Essay 18
無の向こうに広がる高次元世界
2010年10月10日
量子論を夢見る

最先端の量子論どころか、物理学には素人の筆者。物理学を体系的に勉強したのは、高校生のときだけだ。この科目はおもしろくなかった。当然、成績は悪かった。高校時代の成績はともかく、私たちの存在を究極的に解明しようとする現在の量子論には、知的好奇心を極限にまで刺激される。
かつて、ビッグバンを理論化した、ガモフの「不思議の国のトムキンス」などを読んで感銘を受けた。このエッセイは、筆者の心の中では、その感銘の延長線上にある。

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「間違いと実証されていないことには、意味がある」
これが、最先端の量子論を議論するときの「常識」のように思われる。それならば、このエッセイで素人が想像をたくましくしても、専門家は文句をいわないはずだ。ついでに、理論物理学者への批判も少し書くことにする。

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このエッセイは、「 巻頭夢 」を補完する意味を持っている。冗談混じりの前のエッセイよりも、科学的に突っ込んだ議論をすることになる。現在知られている量子論の知識を使ってはいるが、前のエッセイと同様に、筆者の夢想が至るところに散りばめられている。いくつかの分かりにくい専門用語は、筆者のような素人に分かりやすい言葉に置換している。
最先端の量子論を紹介すると同時に、量子論に挑戦もするこのエッセイで、筆者は自分の夢を語る。その夢の中には、恐ろしい夢(悪夢)も含まれていることを、最初にお断りしておきたい。

3次元空間に閉じ込められている私たち

4次元時空に住む私たち
our world

自分のからだをじっくりと観察してみよう。縦、横、高さの3つの座標で規定できる、球形を含む立体になっている。顕微鏡下で見れば、からだを構成する60兆個の細胞の一つひとつも、立体になっていることが分かる。これらの立体の内外を、体積で量を示すことのできる、血液とリンパ液が流れている。

3次元立体の私たちは、縦、横、高さで規定される空間の中で、日常生活を送っている。マンションの部屋も車も電車も、それぞれ形状は違うが、完全な立体だ。地球も、人間が観測できる範囲にある宇宙も立体。即ち、私たちは、3次元の空間に住む3次元空間生物だ。時間を見ることはできないが、時間の経過を認識することはできる。私たちは、3次元空間+1次元時間=4次元時空の中に住んでいると、言い換えることができる。
後のほうの議論に関係することだが、私たちの世界の時間は、1次元ではなく0次元とも考えられる。もしも未来と過去へ自由に行き来ができるならば、時間は正確に1次元になる。2次元、3次元の時間は想像できないが、より高い次元の世界へ入っていけば、そんな時間もあるかもしれない。

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生存のために、食用の動物を捕獲し、穀物・野菜を栽培する仕事は、3次元空間と時間によって規定された世界の中で、成就される。 4次元時空の生物である私たちは、4次元時空の中で起きるできごとだけを知っていれば、生存できる。それ以上の空間と時間の情報を、必要とはしない。そのために、より高次元の時空を知覚する必要がなくなった。 たとえ、5次元以上の時空(4次元以上の空間と同じ意味)が周囲に存在していても、それを知覚・認識する能力を身につけることはなかったのだ。
私たちは、より高い次元の世界の一部として存在しているのに、その世界を知覚することも想像することもできない。それは、観念的には恐ろしいことだ。 量子論は、その実在する不可知な世界を解き明かそうとしている。

10次元時空の中に誕生した私たちの宇宙

私たちが住んでいる4次元時空は、10次元時空(11次元時空の可能性もある)の一部と考えられている。即ち、私たちが認識できる4次元時空に、更に6つの次元が加わった世界が、私たちの周囲に存在しているのだ。以下、この10次元時空を、10次元世界、あるいは高次元世界と言い換えることにする。

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高次元世界に誕生した私たちの3次元空間宇宙
brane

高次元世界に浮かぶ、3次元ブレーン(膜)どうしの接触によって、私たちの宇宙(私たちの宇宙を乗せた3次元ブレーン)が生まれたとする説が、スタインハートらによって提唱された(エキピロティック宇宙論)。
この理論によると、 10次元世界の中で2つの3次元ブレーンが接触し、その接点で、3次元空間と時間を持つ新しい宇宙が誕生したことになる。これがビッグバンの始まりだ。誕生時の宇宙は瞬間的に10次元だった。しかし、10 ー44 秒後には、3次元空間と時間だけが選択された。 その時空は膨張を開始し、やがて私たちの宇宙になった。

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この理論を敷衍すれば、ブレーンを3次元だけに限定する必要はない。 4次元、5次元、あるいはそれ以上の次元のブレーンが、10次元世界の中に存在し、それぞれのブレーンが互いに接触をしている。その結果、多様な次元の宇宙が生み出されているかもしれない。

後で触れるが、10次元世界には、無限の数のブレーンが存在していると考えられる。2つの3次元ブレーンの接触によって、私たちの宇宙を乗せたブレーンが新しく生み出されたのならば、10次元世界において、3次元空間の宇宙が数限りなく生み出されているはずだ。
接触は、同じ次元のブレーンどうしで起こることになる。3次元ブレーンと、4次元以上のブレーンとの接触はあり得ない。立方体(3次元)とその立方体の表面(2次元)を考えれば、そういう結論になる。立方体の表面が、その表面を乗せている立方体に接触をするということは、あり得ないからだ。

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ブレーンどうしの接触によって、ブレーンが消滅する可能性も考えられている。消滅は本当に起こるのだろうか?起こるとすれば、どういう条件がそろった時なのだろうか?
高次元世界のどこかで起こっているとしても、観察は不可能だ。私たちは、他の宇宙が乗っている別のブレーンを、観測することはできない。私たち自身の宇宙が乗っているブレーンが消滅する場合は、私たちはブレーンどうしの接触を知る前に消滅してしまう。

ビッグバンから生命誕生までの自然な流れ

ビッグバン時に生成された「粒子」と「反粒子」
molecules

ブレーンどうしの接触によって引き金を引かれた、ビッグバンによって、高次元世界のどこかから、この宇宙へ放出された莫大な量のエネルギーは、最初に「粒子」と「反粒子」になった。ほとんどの「粒子」と「反粒子」は、接触して対消滅した。しかし、不確定性原理によって、「粒子」の数がわずかに勝っていたために、消えずに残る「粒子」があった。
ここで、アインシュタインの有名な公式E=mc 2 を思い出そう。この公式は、エネルギーと物質が等価であることを示している。エネルギーは物質に変換され、物質はエネルギーに変換される。

ビッグバン時に残った「粒子」によって、クオークが形成された。そして、原子核を構成することになる陽子や中性子と、原子核の周囲を回る電子が誕生。ここまでにかかった時間は、宇宙誕生後1000分の1秒だった。 空間が膨張するとともに宇宙の温度が下がり、38万年後に、原子核と電子が結びついて、最も単純な原子が誕生した。それは水素原子で、現在、宇宙に存在する原子の実に75パーセントが、ビッグバン後に誕生したこの水素原子なのだ。

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やがて、原子が集合して星が作られた。水素原子は燃える星の中で重合し、元素表に示されている各種のより重い原子へと進化した。それらの原子は超新星爆発によって、宇宙空間へ放出された。自らの引力や斥力によって、宇宙空間で集合した原子は、ケイ酸塩や水などの分子を形成した。いわゆる宇宙塵だ。そして宇宙塵は星間雲に成長し、太陽系のような恒星系を生み出す種子になった。太陽の周囲を惑星が回るようになった。やがて、地球上に生命の誕生。
生命のもとになる分子を形成し、更に複雑なたんぱく質を誕生させるには、宇宙に普遍的な原子間、分子間相互作用である、ファンデルワールス力、クーロン力、水素結合、配位結合、疎水結合などの化学結合があれば、十分だ。地球上で最終的には人類が誕生したが、この進化に奇跡はない。

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以上のことを考えると、 私たちが住んでいるこの宇宙のみならず、観察することが不可能な別の3次元空間宇宙にも、私たちのような生物が住む惑星は無数に存在すると考えるのが、自然だ。

宇宙誕生時から今まで、無の空間に湧き出る粒子

宇宙には、膨大な数の素粒子や原子が存在する。これらの素粒子や原子を全て取り除くと、無の空間になるはずだ。ところが、ここにおける無は、私たちの通常の概念とは異なる。素粒子も原子も存在せず、無になっているはずの空間で、無数の粒子が瞬間的に生まれ、瞬間的に消滅しているのだ。
一つひとつの粒子が存在する時間は余りにも短く、これらの粒子を直接に観測することはできない。存在の証拠は、間接的な実験の結果から得られる。2つの素粒子を、反対方向に光速度で飛ばして衝突させる、加速器の実験だ。この実験で、衝突のエネルギーから全く新しい素粒子が生み出される。

無の空間に湧き出る「粒子」と「反粒子」
molecules

無の空間に瞬間的に存在する粒子は、「粒子」と「反粒子」。これらの粒子は対生成され、生成後即座に衝突して対消滅する。しかし、粒子は、高次元世界のどこかから、間断なく私たちの宇宙へ供給されているので、供給が途絶えることはない。
不確定性原理によって、無の空間に湧き出る「粒子」の数は、「反粒子」よりもほんのわずかに多いという。しかし、ある特定の時間と空間においてはわずかでも、宇宙的な時間と空間を考えれば、合計は膨大な数になる。

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上に書いたように、ビッグバンの開始時点においても、「粒子」と「反粒子」が対生成されたと、考えられている。大部分の「粒子」は、「反粒子」と対消滅してしまったが、「反粒子」よりも「粒子」のほうがわずかに多かった。そのおかげで、今私たちはここに存在している。

ビッグバン後の宇宙の無の空間に生まれ、対消滅をまぬがれて、蓄積されたはずの膨大な量の「粒子」。ビッグバン時に、無から私たちの宇宙へ瞬間的に放出された物質エネルギーと比較しても、かなりな量になるのではないか?これらの「粒子」は、素粒子へと進化することが考えられる。

高次元世界につながるダークマター

アインシュタインを初めとする理論物理学の巨匠たちは、人間が知覚できない世界を理論化したが、この時に最も大事にした思索法は、「自然であること」だった。実証できない存在や事象のあり得る姿を描く時には、論理的に誤りのないことを求められる。それが「自然であること」だ。今話題のダークマター(暗黒物質)に、筆者なりに自然な思考を適用するとこうなる。

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宇宙に存在する物質とエネルギーの80パーセントが、ダークマターと考えられている。即ち、 この宇宙はほとんどダークマターからできているのだ。この物質エネルギーは目に見えないだけではなく、目に見える物質と反応もしないという。 宇宙の大部分を構成する物質エネルギーが、直接には観測不可能なのだ。
ダークマターの候補として、ニュートリノ、ニュートラリーノ、アキシオンなどの既知の素粒子があげられている。ダークマターは、宇宙空間に存在するだけではなく、私たちのからだの中にも存在する。からだが占める空間にダークマターが満ちている。ところが「見る」ことはできない。このような特徴を考えると、既知の素粒子をダークマターの正体とするのは、不自然なのではないか?未知の素粒子を考えることにも、無理があるように思われる。

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繰り返し書いているように、 私たちの宇宙はより高次元の世界の一部なのだ。物質エネルギーの80パーセントを占める観測不可能なダークマターは、素粒子というよりも、3次元空間が高次元世界と交わるところに存在している、「何か」ではないのか?そのぎりぎりの境界に存在する「何か」は、物質としては観測できないが、エネルギーとしてなんとか認識ができると、考えてはどうだろうか?
もっと具体的に書けば、下のほうで述べる、 超ひも理論で規定された重力子を、ダークマターの実体としてあげることができるかもしれない。
数多くの 3次元空間宇宙を内包する高次元世界と、私たちの宇宙の間を瞬間的に行き来している重力子、あるいはその「影」を考えればいい。この重力子は、私たちの宇宙を構成する素粒子になるほど、この宇宙では安定的に存在していないかもしれない。しかし、一個一個の重力子が、観測が不可能なほど短かい時間しか存在しないとしても、ある時点において存在する重力子の総和は、膨大なエネルギーになるはずだ。

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以上の仮説が、余りにも空想的すぎるならば、 もう少し現実的な仮説として、上に書いた、無の空間に湧き出る「粒子」をダークマターの実体としてもいい。
ダークマターは、宇宙を膨張させている物質エネルギーだ。それならば、この湧き出る「粒子」が、ダークマターである可能性は極めて大きい。湧き出る「粒子」の特徴を考えれば、ダークマターが物質として特定されにくいことは、当然かもしれない。

3次元的な大小が無意味な世界

ここで、高次元世界から見た宇宙の大きさの意味について、考えたい。

私たちの宇宙は無から誕生し、誕生直後は極めて小さかった。誕生後のある時点で、宇宙の直径は1000メートルになったはずだ。この微小宇宙の中心に私たちがいたとする。そこから、どの方向へでも500メートルも歩けば、宇宙の端に到達したのだろうか?
宇宙の端とは何か?壁のように固いのか?両手で力一杯押しても、その宇宙の端の壁は微動だにしないのか?
高次元世界から見て直径1000メートルの宇宙。その中にいる私たち。この私たちの感覚では、無限大の宇宙の中にいるのと同じことになる。より高い次元から見れば、3次元空間は曲がっている。私たちはこの曲がった空間の中にいるので、3次元的には端を認めることができない。500メートル歩こうが、1億キロ歩こうが、端に到達することはない。

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球の曲がった表面を想像すれば分かりやすい。2次元生物は、3次元的には有限の表面を歩いているが、どこまで行っても2次元世界の端に到達することはない。
あるいは、次のような説明をしてもいい。3次元空間に2次元の平面を描く。一辺が10センチの正方形だ。正方形の一方の辺にいる2次元の生物は、他方の辺まで最短でも10センチ歩かなければならない。3次元空間に住む私たちは、この生物を助けるために、歩く距離をなくすことができる。3次元的に平面を折り曲げればいい。2次元生物のいる辺を反対側の辺に接触させれば、2次元生物にとっては、それまでの10センチの距離が0になってしまう。

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私たちの宇宙がその一部である高次元世界は、私たちの宇宙の尺度を使って、大きいとも小さいともいえない。4次元以上の空間に、3次元の尺度を当てはめることはできない。大きい、小さいは、縦、横、高さを座標とする3次元空間の指標だ。縦、横、高さの3つの座標に付け加わる次の座標を、私たちは想像することもできない。 こんなことは、素人の筆者には分かり切ったことのように思えるが、理論物理学者は以下のように議論している。
「10次元世界に存在する私たちの4次元時空。残りの6次元は極端に小さく、3次元的には見えない。この6次元は丸く閉じていて、4次元時空に接触している」

「無限」から導き出される驚くべき結論

無限世界
eternal

3次元空間の中に、あらゆる形と大きさの2次元平面を描くことができる。高次元世界の中には、あらゆる形と大きさ、それに時間の4次元時空が含まれていると考えるのが、自然だ。しかも、3次元空間に2次元平面を無数に描くことができるように、高次元世界に、無限の数の4次元時空が存在しても不思議ではない。

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この「無限」という概念は、驚くべき結論を導き出させる。
あらゆる4次元時空が無限の数だけ存在すれば、その中には、私たちの宇宙と全く同じものが含まれることになる。しかも、この同一の宇宙は無限に存在する。時間の視点からいえば、今のこの時点における私たちの宇宙と、同じ時点にある宇宙が存在することになる。その数はまたも無限。視点を異なる時間へ持っていけば、私たちと同じ宇宙の誕生から消滅に至るまでの、あらゆる時点にある宇宙が存在することになる。しかも、どの時点をとっても、同じ宇宙が無限に存在する。

3次元空間に住んでいる私たちは、縦、横、高さのどの座標方向へでも、自由に動くことができる。ところが、この空間における時間の流れは一方的だ。過去から未来へ。私たちは、時間軸上においては、一方向へしか進むことができない。ここでは、私たちが住んでいる3次元空間の宇宙は、無から誕生したように見える。
異なる時空の宇宙においては、時間が未来から過去へ流れたり、流れ方が、私たちの宇宙とは根本的に異なることがあっても、不思議ではない。そこでは、宇宙の誕生から全てが始まるわけではない。

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以上を、もっと個人的に表現すればこうなる。
今の時点の私たちの地球と完全に同一な地球が、高次元世界のどこかに無限に存在するのだから、量子論のエッセイを書いている和戸川も、無限に存在している。1日前の筆者が存在する1日前の地球も、無限に存在する。1日あとの筆者と地球についても、同じことだ。
4次元時空の存在である筆者は、高次元世界のどこかに存在する、このような他の筆者も地球も、決して見ることはない。

超ひも理論が高次元世界へ切り込む

私たちの宇宙が高次元世界に存在していることを、素粒子の研究者は、具体的に検証する方向で動いている。
高次元世界へつながるのは、私たちの世界の存在を規定する、最も基本的なエレモントになる。物質を構成する最小の粒子を見極めることは、3次元空間のかなり大きな物体しか知覚・認識できない私たちにとっては、極めて困難な課題だ。更に、 素粒子の世界においては、私たちが見ている世界の物理法則のいくつかを、適用できない。そこは、既知の法則とは異なる法則で動いている、高次元世界との接点なのだ。

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究極の基本粒子の探索は、物質の最小単位は粒子ではなく、極微のひも(ストリング)と考える、超ひも理論にたどり着いた。このひもを介して、私たちの世界と高次元世界との関わり合いが、解明されることになる。
ひもは想像を絶する小ささだ。原子核を地球の大きさに拡大し、太陽の位置に置くとする。その原子に含まれる電子は、地球軌道の位置に存在することになる。同じ倍率をひもに適用すると、ひもの大きさは、やっと原子核と同じになるのだ。

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以上の説明では、小さいとはいっても、ひもはあるサイズを持つことになる。即ち、ひもは3次元的な存在になる。ところが、 超ひも理論の専門家は、このひもの直径を0といったり、ひもは1次元の存在であるといったりする。直径0のひもは、3次元的には存在しない。私たちには知覚も認識もできない。1次元の存在も同じことだ。私たちには、2次元と3次元の存在しか、空間的には知覚・認識ができない。
超ひも理論によると、私たちには知覚も認識もできないひもが、私たちが見ることのできる、3次元空間の物体を形作っていることになる。超ひも理論には、このような大きすぎる飛躍がある。
ただし、私たちには不可知な4次元以上の空間と、認識可能なこの3次元空間を介在するものがひもなのだから、飛躍は大きくても、それを根拠に否定をすることはできない。高次元世界の一部である極微の世界と、目に見える大きさの世界を結びつける、新たな理論の出現を待ちたい。

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超ひも理論について、筆者が感じる矛盾を書いておきたい。
そもそも「ひも」という言葉を使って、それがあたかも3次元の物体であるかのように表現するところに、基本的な問題があるのではないか?私たちが生活で使う通常のひもは、3次元の物体だ。誰もが、日常的な経験をもとに、直径0の想像が不可能なひもを、頭に思い浮かべようと、苦労をする。
ひもの実体は、場の振動なのではないだろうか?超ひも理論がいうように、ひもが振動しているのではない。場の極微の振動部分が、ひもの実体として認識される。そう考えれば、矛盾はなくなるはずだ。

想像を絶するひもの実体

中心に原子核があって、その周囲を電子が回っている原子の絵は、誰もが見たことがある。原子核は陽子と中性子から成る。その陽子と中性子はクオークから成る。素粒子とはこれらのクオークや電子のことだ。素粒子は大きく2つに分けられる。

自然界の力:
ボソン
電磁気力(光、X線など)、ウイークボソン(ニュートリノなどに働く弱い力)、グルオン(クオーク間に働く強い力)、重力
自然界の物質粒子:
フェルミオン
クオーク(原子核)、電子、ニュートリノなど

電磁気力、ウイークボソン、グルオン、重力、クオーク、電子、ニュートリノなどが、超ひも理論のひもだ。

振動する開いたひも(動画)

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超ひも理論との関係で、前に出てきたブレーンに説明を付け加える。超ひも理論の説明のためにブレーンを使い始めたのは、ポルチンスキーらだ。
最も単純なブレーンは0次元の0ブレーン。3次元空間の生物である私たちは、この0次元を知覚も認識もできない。例えば、点は0次元だ。0次元の点の直径は、0にならなければならない。ところが、私たちは、直径0の点を、イメージすることも描くこともできない。紙に点を描けば、その点は、どれほど小さくても常に直径を持つ。即ち、2次元の図形になる。
同様に、1次元も、私たちには知覚も認識できない。1次元の線には、長さはあるが幅はないはずだ。ところが、幅0の線を私たちは描くことができない。私たちが紙に線を描けば、その線には必ず幅がある。2次元図形だ。3次元の生物である私たちに認識できるのは、平面の2次元と立方体の3次元だけだ。

振動する閉じたひも(動画)

超ひも理論のひもは、1次元のブレーンに乗っている。これは、私たちが住んでいる3次元ブレーンに含まれる、私たちには認識不可能な1次元のブレーンということになる。この1次元ブレーンは、5次元方向へでも10次元方向へでも、どの次元方向へでも自由に振動できる。4次元時空に存在するひもの振動は、6~10次元世界の影響を受ける。ひもの振動の方向と状態が変われば、異なる素粒子になる。
以上は仮説だが、この仮説を実証できれば、私たちが住んでいる4次元時空が、高次元世界の一部であることの直接の証明になる。

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電磁気力、ウイークボソン、グルオン、クオーク、電子、ニュートリノなどは、両端が開いた基本的には直線状のひもだ。これらのひもは、その両端で、次元的に様々な広がりを持つブレーンに付着している。重力子は、輪ゴムのような輪になっているので、ひもに端は存在しない。即ち、特定のブレーンに付着することはない。

高次元世界に関わるひも
highdimension

私たちの宇宙は3次元ブレーンに乗っている。両端が開いたひもは、両端でこのブレーンに付着している。これらのひもは、私たちの宇宙から離れることはない。
端のない重力子はこのブレーンに付着しないので、より高次元の世界へ自由に動くことができる。4次元時空を離れることができるのだから、重力子は高次元世界を介して、瞬時に宇宙の端まで到達するかもしれない。また、今ここに存在している重力子が、どの時点の私たちの宇宙へでも、瞬時に移動できる可能性がある。高次元世界のどこかに存在する、他の3次元空間宇宙の重力子が、私たちの宇宙へ出現することも、否定はできない。

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なお、アインシュタインは、一般相対性理論で、重力の伝わる測度は有限、即ち光速であると述べた。天体観測によって、それを証明したという報告がある。しかし、重力波そのものを検出する方法がないので、この「証拠」を疑う物理学者は多い。
超ひも理論は、一般相対性理論に対して決定的な疑問を呈する。私たちの宇宙ブレーンに付着した光子と、高次元世界を移動する重力子が、3次元空間で同じ速度を示すことは考えられない。

一般相対性理論では、重力の作用を、4次元時空の曲がり(3次元空間の曲がりと時間の遅れ)と説明する。重力子が、より高い次元を動くことを考えると、4次元時空の全ての存在に影響を与えるという説明は、理にかなっている。

私たちの宇宙はなぜ消滅しなかったのか?

ここまで議論を進めてくると、極微と極大の世界に、絶対的な差はないと結論づけたくなる。極微世界で起こることは、極大世界でも起こる。その逆もある。あるいは、極微世界と極大世界は完全につながっている。同質だ。

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私たちの宇宙は、3次元空間的には無から誕生した。誕生直後の宇宙は原子よりも小さかった。素粒子よりも小さかった。それならば、今は何も存在しない目の前の空間で、突如新しい宇宙が誕生することはあるのだろうか?それも、最初は原子よりも小さい宇宙だ。
私たちの宇宙は、3次元空間のブレーンに乗っている。ブレーン同士が接触をすれば、新しい宇宙が生まれる。目の前で、私たちのブレーンが他の3次元空間ブレーンに接触し、新しい宇宙が誕生する可能性を、完全には否定できない。その時、私たちは瞬間的に消滅する。別の宇宙誕生を認識する前に、消滅してしまう。

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新しい宇宙が、周囲で無数に誕生しているが、私たちが宇宙誕生を認識する前に、消滅している可能性がある。実は、ビッグバンが始まる直前に、極微の「宇宙」と「反宇宙」が対生成されたという説が、あるのだ。今、無の空間に対生成される「粒子」、「反粒子」と同じ構図だ。両宇宙の対生成説が正しければ、両宇宙は、ビッグバンが始まる前に、「粒子」、「反粒子」のように瞬間的に対消滅したはずだ。ところが、私たちの「宇宙」は、なぜか「反宇宙」との衝突をまぬがれ、生き残ることができた。

「宇宙」と「反宇宙」は、「粒子」と「反粒子」のように無数に対生成されるが、不確定性原理によって、「宇宙」の数がわずかに上回っているために、ある頻度でビッグバンが始まるのではないか?私たちの「宇宙」はそのある頻度の中に入っていた。そして目の前の空間では、その「ある頻度」はまだ実体化していない。

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「宇宙」が対消滅しなかったり、「粒子」が生き残る理由は、3次元空間だけを考えていても分からない。高次元世界における3次元空間ブレーンの接触の有様や、高次元振動をするひもの起源と性状について、より多くの知識が必要になる。

無への回帰

次に、無からの誕生の逆になる無への消滅を考えてみる。巨大な質量を持った星が無限に小さくなる、ブラックホールが好例になる。

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限りなく小さくなるブラックホールは、最後にはこの宇宙から消えてまうと、車椅子に乗った天才学者のホーキングは、予言した。ブラックホールに落ち込んだ物質エネルギーは、高次元世界へ移動してしまうと考えれば、話は簡単なように思われる。ところが、多くの物理学者は、ブラックホールの先に、観測も認識も不可能な高次元世界があることを、認めたがらない。物理学者の常識に支配されている、この宇宙に存在する情報(物質エネルギー)が跡形もなく消え去っては、彼らが信じる物理法則が、破壊されることになるからだ。
ホーキングもジレンンマにおちいった。そして、ブラックホールへ吸い込まれた情報は、ホーキング放射によってこの宇宙へ戻されると、説いた。天才ホーキングも、結局は、私たちの3次元空間宇宙に閉じ込められているようだ。

ビッグバン直後の極微宇宙に、この宇宙の情報が含まれていた。これらの情報が、高次元世界のどこかから移動してきたのならば、私たちの感覚では無から湧き出たことになる。宇宙に存在する巨大な星がブラックホールになり、その物質エネルギーがこの宇宙から消えても、再び高次元世界へ戻るとすれば、何も矛盾は生じない。

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新しい量子論、それを敷衍した宇宙論は、私たちの宇宙が、高次元世界とどう関わっているのかを、示しはじめた。私たちの生存と、直接には関わりのない高次元世界。私たちの知覚や認識能と高次元世界は無縁だ。目に見える世界の物理法則の多くを捨てなければ、理解することはできない。最も野心的な理論物理学者の挑戦は続く。そして、筆者のように好奇心の旺盛な素人が、物理法則から離れて夢想を自由奔放に語る。


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