遺伝子の保守性は、激変する環境への適応を阻害します。遺伝子の機能発現を融通無限にすることで、生物はこの問題を解決しました。機能発現に関わるのは自己組織化です。自己組織化は、環境と対話してランダムな生体反応を秩序へ組み上げる現象、ということができます。生物は、自己組織化によって環境の激変に積極的に対応しています。
温度、圧力、電界、磁界、イオン、大気組成など、生体外部や内部の物理化学的な環境が、常に変化しています。それらの変化に影響されて、遺伝子の発現の仕方や、タンパク質の高次構造の組み上がり方、それにタンパク質間の相互作用が、再構築されます。その再構築において、自己組織化が決定的に重要な役割を果たしているのです。
自己組織化は、高校で習った、単純な物理化学反応によって成し遂げられます。関与する物理化学結合は、水素結合、配位結合、疎水結合、クーロン力、ファンデルワールス力などです。これらの単純な結合をもとに、アミノ酸は、1次、2次、3次とより複雑かつ大きな分子構造へ組み上がります。最終的に、4次構造といわれる、とても複雑な機能タンパク質になります。
この過程において、水素原子が重要な役割を果たしています。特に、4次構造は、水素結合やファンデルワールス力などの弱い結合が関与しているところに、特に大きな意味があります。構造の構築に関与する結合力が弱いおかげで、機能タンパク質は、柔軟に形を変えながら複雑な機能を発揮することができるのです。
卵子と精子が結合し、母の胎内で胎児が成長します。これを、細胞レベルでは細胞の分化として理解することができます。からだのどのような細胞にでもなり得る、初期の胚細胞が、分裂を繰り返しながら、特殊な機能を持つ細胞に変わっていくことを、分化と呼びます。
専門化した細胞群が、複雑なネットワークを構築することによって、私たちのからだを機能させています。
遺伝子発現と同様に、この細胞分化も環境からの影響を受けて進みます。
受精4日目の桑実胚においては、各細胞が将来どのような細胞になるのか、全く決まっていません。間もなく、周囲の液体のイオン濃度か何か、引き金は分かりませんが、桑実胚の一部の細胞が、より強く増殖を始めます。そこが将来の口、即ち原口になります。原口が決まれば、その原口に対する位置関係だけで、周囲の細胞の分化する方向が決まってきます。普遍的な言い方をすれば、細胞分化は環境からの影響によって決定される、となります。
個体発生が系統発生を繰り返すかどうかはともかく、以上の知見をもとにして、単細胞生物が多細胞生物に進化したときの有様を、想像できます。
原始の海の中で1個の単細胞生物が分裂・増殖すれば、子孫の細胞群が1箇所に集合することになります。周囲の環境が、1個1個の細胞の生存にとって理想的ならば、これらの細胞は独立したままで生活を続けるはずです。環境が生存に困難になる、即ち危機が到来すると、細胞群は生存の仕方を変えます。
最外側に並んだ細胞が壁の役割を果たし、群の中へ有害物質が入るのを阻止しながら、有益な物質を通過させるようになる、と想像できます。ここまで来れば、多細胞生物へ進化するまでに余り時間がかかりません。
原始の海を襲った初期の環境激変が、多細胞生物誕生の引き金になったと思われます。
からだのどの部分から取り出した細胞でも、培養液中で生きることができます。 顕微鏡下で見ると、一つひとつの細胞が、独立生命体として生きているのが分かります。これらの細胞の各々が、一つのからだを構築できるだけの遺伝情報を持っています。各細胞は自由に動き回り、周囲の細胞と情報のやり取りをします。時に応じて分裂をし、子孫を残します。体細胞のサイズや見かけだけではなく、液体中での行動も単細胞生物とよく似ています。
私たちのからだは、基本的には単細胞生物の集団から成る、と考えることができます。祖先の単細胞生物との違いは、からだを構成する細胞の一つひとつが、存在する場所によって異なる機能発現をし、特殊化しているということだけです。
進化生物学者のドーキンスが、「利己的な遺伝子」という、センセーショナルな言葉を使いました。生物は、遺伝子を生き残らせるためのロボットに過ぎず、遺伝子は、自らが生き残るためにプログラムを組む、というのです。これは、進化の過程において多種多様な生物が出現したにも関わらず、遺伝子の基本的な骨格が、大きく変化することもなく保存されていることを、端的に指摘した言葉と受け取ることができます。
私は、「利己的な細胞」という名称のほうが、進化のダイナミズムをよりよく表現できる、と思います。
私たちのからだを構成する60兆個の細胞は、一つひとつが、独立生命体として生きる能力を持っています。これらの細胞は、30数億年前に地球上に誕生した単細胞生物の特徴を、色濃く残しています。生物の種が、サイズ・形・運動能力において極端に異なっているのに対して、どの生物種の細胞も基本的には同一性を保っています。
即ち、
細胞は、自らが生き残るために、細胞の集合体としての個体のサイズ・形・運動能力を、変えてきたことになります。 環境の変化が余りにも激烈なので、多くの種が絶滅することを細胞はいといません。多種多様な種が存在するおかげで、生き残る種があります。少数の種だけでも生き残れば、その種の個体を構成する細胞は、変化した環境に更に適応できるように、種を進化させます。
全体として生き残るための細胞の戦略が、自ら進んで自殺する細胞群まで生み出しました。
胎内で胎児が成長する過程において、手の指に分化する細胞が決まってきます。それらの細胞が、指の間に位置することになる細胞に、自殺を要求するシグナルを出します。その結果の細胞死を、プログラムされた細胞死(アポトーシス)と呼びます。これによって、私たちの指が互いに分離するのです。アポトーシスはからだ全体に及びます。もしもアポトーシスがなければ、私たちは肉団子のように丸い形で生まれます。上図の右下の絵が、アポトーシスの前の胎児の手です。
アポトーシスは、初期のがん細胞や進入したウイルスを攻撃する、免疫細胞にも認められます。がん化やウイルス感染によって正常から逸脱した細胞を、貪食細胞やT細胞が攻撃し、破壊します。
生物の進化において最もドラマチックなできごとが、5億4200万年前から5億3000万年前の1200万年の間に発生しました。地質学的にはカンブリア紀になり、このできごとをカンブリア大爆発といいます。1200万年は、人間の一生からは途方もなく長い時間ですが、進化史においては「アッ」という間の一瞬です。
単細胞生物が地球上に誕生してから30億年余の間に、カイメンやクラゲのような軟体性の動物が現れました。しかし、種類も数も極めて限定されていたのです。 カンブリア大爆発において、現世動物の全ての祖先がいっせいに誕生しました。
このような進化の爆発は、遺伝子の突然変異によって達成されたわけではありません。既述のように遺伝子は極めて保守的で、革命を起こすことはありません。当時の生物は、基本的には、9億年前に誕生したカイメンと同じ遺伝子しか、持っていなかったのです。
大爆発の前に、全ての現世動物を生み出す遺伝子が準備された、という言い方をする進化論者がいます。この言い方は誤解を受けやすい。未来を予想し、その未来のために何かを準備する神は、この宇宙には存在しません。
保守的な遺伝子を環境に合わせて柔軟に発現させる、自己組織化を含む生命の驚異のメカニズムが発動された、と考えるのが理にかなっています。
既に述べたように、単細胞生物から多細胞生物への進化は、細胞の劇的な能力の増大などがなくても可能でした。動物の種の多様化も同じように容易に行われた、と考えられます。
それでは、何がその引き金になったのでしょうか?まだ定説はありません。しかし、次のような地球環境の激変を考えることができます。
5億5000万年前頃に、パノティア超大陸が、ローラシア大陸、バルティカ大陸、シベリア大陸、ゴンドワナ大陸に分裂しました。この地殻変動によって莫大な量のリンが海へ流れ込みました。リンは岩石に含まれているので、大規模な造山運動と大量の降雨が組み合わされて、海へ流れ込んだのです。リンは動植物の栄養源になると同時に、骨などの硬組織の材料になります。
この時期に、それまで繁栄していた、軟体性のエディアカラ生物群が絶滅したことが、環境変化がいかに激烈だったかを示しています。エディアカラ生物群の絶滅は、広大な海という生活圏が、新しい種のために準備されたことを意味します。
全地球的な地殻変動の結果、複雑な地形から成る浅海・内海・湾が形成され、海流の動きが多様になったと思われます。地球上に多種多様な生活圏が形成されたことが、種の爆発的な増加につながったと考えるのが、自然です。
カンブリア大爆発によって、脊椎動物の祖先である直泳動物が誕生しました。その子孫の魚類が両生類に進化し、更に爬虫類と哺乳類へ進化しました。
爬虫類から枝分かれした恐竜類は、6500万年前の巨大隕石の落下によって絶滅し、子孫の鳥類が今生きています。恐竜が絶滅したあとの地球で繁栄を誇っている、人類を含む哺乳類の種の数は4000数百種に達します。
ただ単に生命を存続させるのならば、単細胞生物だけで十分です。ところが、単細胞生物が多細胞生物化したばかりか、進化は性の分離まで試みるようになりました。子孫を残すために、雌雄という二つの性は必ずしも必要ではありません。からだの断片が、完全な個体にまで成長することが可能です。そのような現象は、多くの軟体動物に認められます。
なぜ、進化は、雌雄という二つの性を作り、「愛した」、「恋した」という面倒な手続きを経なければ、子が誕生できないようにしたのでしょうか?子孫を残すために、二つの個体の合体が必要なのでは、子孫誕生の効率を下げてしまいます。 環境の変化が突然に生じることを考えると、この効率の低下が、決定的な危機を招きかねません。そのような犠牲を払ってでも、性を分けた理由は何でしょうか?
環境の激変の頻度が高いばかりではなく、激変の原因がとても多様です。遺伝子プールに少しでも多くの多様性を持たせることが、将来の危機に対する対応力を強化することにつながります。異なる機能を持つ細胞群が協調して、個体を存続させなければならない高等生物において、遺伝子の多様性への必要性が特に高まりました。これが、性の分離の理由と思われます。
性の分離のための遺伝子の準備は、30数億年前の単細胞生物時代に、既に始まっていました。性の基本はメスで、そこへオスのMID遺伝子が付け加わったのです。メスが基本であることは、出産をしないオスに乳首があることからも分かります。また性同一性障害になる人は、女性よりも性的により不安定な男性に圧倒的に多い、という現実があります。
多細胞生物が誕生してから雌雄の器官が分かれ、カンブリア大爆発後に、雌雄が個体として分離しました。
生物の危機対策は、更に巧妙になりました。最大級の危機に対しては、種が単独では対処しきれなかった、進化史があると思います。地球上の生物が互いに協力し合って生き残りを図るという、驚くべきメカニズムが進化の過程で構築されました。
私たちのからだの中に、60兆個もの生体細胞が存在しています。ところが、それよりも多い100兆個もの細菌が、主に腸管に定住しています。
腸管の周囲に莫大な数の免疫細胞が集合していて、腸管は、とても重要な免疫系活性化の役割を担っています。その原動力になっているのは腸内細菌です。細菌を完全に取り除いた無菌動物では、免疫系の活性化能が極端に低下しているので、ちょっとした感染でも細菌が急速に増殖し、動物はすぐに死亡してしまいます。 即ち、
私たちと腸内細菌の間には共生関係が成立しているのです。私たちは、腸内で細菌を生かすと同時に、腸内の細菌によって生かされています。
共生関係を極限にまで高めた細菌は、ミトコンドリアです。
私たちの祖先がまだ単細胞の嫌気性細菌だった頃、シアノバクテリアの登場によって、地球上に酸素が蓄積されるようになりました。この頃、酸素を介した糖類の好気性分解において、エネルギー代謝に使われるATPを効率よく産生する、好気性細菌が誕生しました。
私たちの祖先は、この好気性細菌のミトコンドリアを、細胞内に取り込みました。ミトコンドリアは独自の遺伝子を持っていて、ヒトを含む動物の遺伝子とは全く関係がありません。ミトコンドリアのおかげで、酸素が含まれる大気中で私たちは生きることができます。
進化の過程で更に驚くべきことが起こりました。
DNAには遺伝情報が書き込まれているので、私たちのDNAは、祖先からずっと受け継がれてきたものと、つい考えがちです。しかし、ここにも驚くべき共生関係があるのです。
DNA鎖の全長のなんと34%もが、ウイルス由来なのです。
遺伝子として機能しているDNA鎖の領域が、全体の2%しかないことを思い出してください。私たちの祖先に感染したウイルスがDNAに入り込み、DNA鎖の大きな部分を占有してしまいました。
DNAのジャンクと呼ばれる領域にイントロンがあり、ここにウイルス由来のDNAが存在しています。ここは、機能タンパク質を書き出すための遺伝子部分とは、異なる領域になります。イントロンは、主としてDNAの切り出しや翻訳の仕事をしています。
遺伝子情報の発現に、ウイルス由来のDNAが、決定的に重要な役割を担っているのです。環境が激変しても、ウイルスDNAのおかげで動物は生き延びることができます。
増殖因子という、ホルモンに似た作用をするタンパク質があります。細胞の増殖においてとても重要な役割を果たしています。従って、胎児期に大量の増殖因子が体内で産生されています。ある種の増殖因子DNAが、ウイルス由来なのです。
こうやって、私たちは、細菌やウイルスによって生かされると同時に、これらの細菌やウイルスの生存に貢献しています。幼少の頃から手洗い慣行を強制され、大人になると、空気中の雑菌やウイルスを殺すという怪しげなスプレーを使うのが当り前、と思わされている私たち。自然の摂理に反する危険を内包した日常生活を送っている、という意識を頭のどこかに留めておく必要があります。
これまでの、突然変異と自然淘汰をもとにして構築された進化論には、決定的な弱点があります。ここで、生物の環境への適応力をもとにして考えた、新しい進化論を書いておきます。
絶滅の原因になる環境の激変が、繰り返し地球を襲いました。この激変は、進化史的な時間のスケールからは、瞬間的に発生する場合が多々あります。超新星爆発の結果、降り注ぐ大量のガンマ線の地球への照射時間は、わずか数分と考えられます。ここまで極端に短くはなくても、何度も地球に落下した巨大隕石が、極めて短時間のうちに環境を激変させてしまいました。地殻変動も繰り返し生物を襲います。日本列島の下に沈み込む太平洋プレートが、年に10センチも動いているのです。進化の時間スケールからは、これは驚くべき速さです。大陸を乗せている卵の殻のように薄い地層が、短時間で形を変えてしまいます。
遺伝子DNAの突然変異はランダムに起こります。そのようなDNAの変異は、通常は修復されてしまいます。修復されない場合、変異が有害ならばその変異を持つ個体は死亡し、変異が子孫に伝わることはありません。無害な変異は中立の変異となり、保存されます。これが、遺伝子の保守性を保つ基本的なメカニズムです。
絶え間なく激変する地球環境下で、ある特定の環境変化に適した遺伝子が、ランダムな突然変異によって生まれる可能性は、極端に低いと考えられます。事実上、ゼロと言ってもいいと思います。これでは、生物は進化するどころか、簡単に絶滅してしまいます。突然変異と自然淘汰が進化の原動力ならば、現在地球上に生物が存在していません。
ここまで述べてきたように、極端に単純で安定したDNAに、数少ない遺伝情報が書き込まれています。機能タンパク質が作られ、最終的にからだが構築されるまでの過程で、自己組織化を中心にした物理化学反応が使われています。 生物は、環境と動的に対話しながら、遺伝子の基本的な構造を大きく変えることなく、自らのからだを変えているのです。環境への積極的な適応、それが新しい進化論になります。