Essay 3

エベレストの半分の富士山に登頂

Mt. Fuji Climbing
2008年8月14日
和戸川 純
軽装すぎた理由
写真1.自宅付近から見える富士山(冬に撮影)。
Mt. Fuji

先日、私と妻は富士登山へ行ってきた。この登山グループのメンバー数は20人余。年齢は20代から70代にわたり、リーダーは、日本山岳会会員で、登山経験が豊富な70代の男性だった。

富士登山は私たちにとっては初めてだ。何も知らない者には、何も知らないということで、弱みもあれば強みもある。
富士山には、日本人ならば誰でも登っている山、というイメージがある。また案内書を読むと、ダラダラと登り坂が続くだけの山と、書いてある。そこで私は、忍耐力さえあれば、誰にでも簡単に登れる山なのだろうと、常日頃思っていた。 富士登山の広告のチラシを見たとき、何も迷わずに参加を即決できたのは、そんな理由による。

とても簡単なはずの富士登山。5合目まではバスで行き、実際に自分の足で歩くのは、そこから先の山道だけ。しかも8合目で一泊するという。
予定を立てたリーダーは何を考えているのだろうか? わざわざ一泊をして登るほどの山ではない。日帰りでいい。事前の説明会で、私は自分のこんな疑問を口には出さなかった。だが、うれしそうに富士登山の困難さを説明するリーダーを見ながら、いささか白けていたのは事実だ。

疑念はしばしば人生のスパイスになる。疑念のない人生など、砂糖を抜いたチョコレートのようなものだ。

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大いなる疑問を胸に抱えたまま、当日の朝、私と妻はバスが止まっている集合場所へと向かった。
集合場所で他のメンバーの装備を見て、すぐに分かったことがある。富士登山こそ初めてのひとが多かったが、他のメンバーには山歩きの経験が大分ありそうだった。何しろ私たちが一番軽装だったのだ。私たちはハイキング気分。登山には一番大事な靴まで、いつもはいている普通のスポーツ・シューズ。

5合目の軽い現実
写真2.吉田口から富士山を見る。雲の上に頂上。
Yoshida rout
写真3.雲の穴から下界が見える。
cloud hole

そんないい加減な気持ちが、バスの終点の5合目で若干修正された。

そこは吉田口。レストハウスがたくさんあって、登山客でごった返していた。標高2300メートルの地点だ。そこから頂上まで標高では「たった」1500メートル。歩行距離でも「たった」8キロ。ところが、頂上までの所要時間は6時間となっている。「うそ!」と思ったが.....。
山から降りてきたばかりで、埃まみれの疲れきった人たちが大勢いた。若い男女でさえも、頭を抱えたりぐったりと横になったりしている。 日本人よりもずっと大柄で頑健な外国人の若者でさえも、消耗しきって地面に寝転んでいる。

軽い胸騒ぎ。
これは思ったよりも大変かな?でも、 きっと途中で宿泊もせずに、夜間強行登山をやったので、そんなに疲れてしまったのだろう・・・・・、と自分に都合のいいように考えた。

人間は、身の回りで起こったできごとを、それまでの自分の判断と行動を正当化するために、自分の都合のいいようについ解釈してしまう。特に私は、物事を楽天的に考えるように努力をしている手前、その傾向がより強まってしまう。それで、あたりの惨状を見ながらも、それまでのいくらか浮かれた気分のままで、歩き始めることになった。

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7合目の手前までは、確かにダラダラした登りだ。霧(下界から見れば雲)のかたまりの隙間から下の樹海が見えると、次第に標高が高くなっているのが分かる。だがこのあたりで標高が高くなったなどと判断するのは、甘かった。

女性がひとり、吐き気で登るのが困難になり、サブリーダーを付き添いとして付けて、後に残すことになった。

厳しい現実、険しい岩場

現実が甘くないことは、7合目を過ぎたあたりからはっきりしてきた。

写真4.雲海へ入ってから雷雨になる。
thunder storm

登山道は険しい岩場の登りになってきた。滑って落ちれば大怪我をする。 私が落ちなくても、皆が行列を作って登っているので、前のひと(実は私の妻)が落ちれば、バランスを崩して私も落ちてしまう。そして私の下のひとも。 岩場の将棋倒しは考えただけでも恐ろしい。

悪いことに天候が悪化しはじめた。 雷雨が激しくなり、すぐ頭の上で稲妻。激しい雨。風も強い。寒い。雨ガッパを着ると動作が不便になり、登るのが困難になってきた。
ここでも、山歩きの経験のない私たちの無防備さが露呈した。 他の人たちは、リュックの中身がぬれないように、リュック全体を被うビニール・カバーを用意していた。私たちは、そんなカバーが必要になることを知らなかった。そのおかげでリュックの中身がぬれ、宿泊所でぬれた衣服を着替えることができなかったのだ。

トイレの懐かしい臭いが強すぎる

8合目の手前からは、宿泊所がいくつか続く。そのはるか下方にいるときから、懐かしい臭いに悩まされることになった。 最初の宿泊所のトイレの管理が十分ではないらしく、山肌に沿って悪臭が下降していたのだ。その臭いから早く逃げたいと思っても、そんなに早く登れるものではない。
「宿泊所が近くなった証拠だ。元気を出して」と、妻をなぐさめる材料にした。

酸素が薄くなってきたために、低酸素症で妻が頭痛を訴えはじめた。本当に必要になるのかどうか、いささか半信半疑だったが、 面白半分で携帯用の酸素吸入缶を買ってきていた。これが低酸素症の妻にとても役に立った。

なんとか最初の臭い宿泊所を通過しても、私たちの宿泊所の白雲荘までは、まだしばらく登りが続いた。
このあたりのトイレの使用料金は100円。有料ならば、この悪臭をしっかりと消す設備を取り付けてほしい。ユネスコは、富士山にはゴミが散らかっているという理由で、富士山の世界遺産登録を断った。ユネスコの委員がここまで登ったときに、強い悪臭から衝撃を受け、すぐに下山してしまったのではないだろうか?この悪臭の強さと広がりから、実感として私はそのように想像したのだった。

元気なシニア

全体的には、30~50代の人たちが最も早く消耗したように見えた。60歳以上は割合元気だった。消耗した世代は現役の真っ盛りで、余暇に運動をする余裕がない。登山はそんなからだにはきつい。退職した世代は山歩きを頻繁にやっているので、からだが登山に慣れているのだろう。・・・・・と、勝手ながら解釈をさせてもらった。

写真5.夕暮れの富士山、8合目。
sunset

私たちは週2~3回ジムへ通っている。そこで筋肉トレーニングだけではなく、1回に40分程度の走りこみもやっている。このような運動をやっていなければ、気分を悪くした女性の仲間に入ってしまった可能性が大きかった。
このあたりまで登って、やっとこんなことが分かるようになった。

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8合目の白雲荘に着いたのは晩の7時。雨は止んで、厚い雲の間に夕焼けの名残りを見ることができた。 強風のためにここで私の帽子が飛ばされた。帽子は、今まで登ってきた道をはるか下まで飛んでいった。

いいかげんな超能力

ここで超能力者の妻の話をしておこう。

ビデオ・カメラは重いので、出発時に私のリュックに入れておいた。私のリュックは妻のリュックよりも大きく、私の着替えなども入っている。妻は自分のリュックに自分の着替えを入れた。リュックはサイズは違うが、色は両方とも黒。
5合目で、私のリュックへ食べ物や飲み物を詰め、カメラは妻のリュックへ移した。途中でビデオを撮るときは、妻のリュックからカメラを取り出した。
白雲荘でリュックを開けて気づいた。私が妻のリュックを背負い、妻が私のリュックを背負っていたのだ。カメラは妻が背負っていたリュック、すなわち私のリュックに入っていた。

これは私の超能力ではない。自分でもコントロールのできない、いささか頼りない妻の超能力だ。機会があれば、このサイトで、妻のこの全くあてにならない超能力について書くことにする。

過酷な寝場所

説明書では全行程で6時間となっているが、私たちは、既にここまでで6時間かかってしまった。無駄な言い訳はしない。事実のみを書いておく。
時間はかかったが、リーダーが70歳代だったことは、メンバーにとっては幸運だったと結論できる。これが若いリーダーならば、「行け行けドンドン」と皆の尻をたたき、時間的には早く着いても、ただ苦しいだけの登山になってしまった可能性がある。

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白雲荘は眠るところというよりも、低酸素に時間をかけて慣れるために一時滞在をするところ、という感じだった。

まず寝場所の天井が低く窮屈だった。妻は思いきり頭をぶつけてしまった。

部屋には柱が何本か立っていて、その柱を男女別々の寝場所の区切りにするという。どうせ窮屈ならば、いつもお世話になっている妻にくっついて寝たかった。だが、宿のひとは、「それはだめです」と、はっきり言ったのである。
そこで見知らぬ男性と抱き合って寝ることになった。床板の上に毛布が敷かれ、細長い巻き寿司のような枕が置いてあった。 柱の間は、上を向いて寝れば3人しか横になれない狭さだ。そこに5人が寝たのだ。おかげで全員が横向きになった上に、隣どうしがくっつきあうことになった。ニシンの缶詰を想像してもらえばいい。
とても寝苦しい。眠れなかった。
ただしどこにでもタフなひとがいるもので、私の右側に横たわったひとはすぐに高いびき。何やら寝言まで言いはじめた。好奇心が旺盛な私は、その寝言を解析することに興味を持ったおかげで、頭が冴えてしまった。

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私たちの睡眠時間は、9時から翌朝の3時まで。 高校生のグループなどは、真夜中の12時頃に出発した。この時間に出発しなければ、十分に余裕を持って、頂上でご来光を迎えることができないのだ。 この出発グループがうるさく、いびきと寝言の伴奏を伴っていたので、不眠の原因になってしまった。

途中でご来光を見る
写真6.雲海から現れる「理想的なご来光」。
sun rise
写真7.下で山中湖が光っている。
lake Yamanaka

あせらないリーダーの安全第一の方針に従って、空がなんとなく明るくなった、3時半に宿を出発した私たち。足元はまだ暗かったので、最初は懐中電灯で道を照らしながら登った。間もなく、空だけではなく山道も明るくなってきた。
どう頑張っても、頂上でご来光を見ることはできない。そこで、8合目と9合目の間でご来光を待つことになった。 運の良いことに、下界の東側は雲海で隠されていたが、他に厚い雲は認められなかった。
この状態は頂上へ着くまで続いた。ところが、下山時には再び霧と雨。

次第に明るさを増す空。雲海のかなたから、陽光が放射状に広がった。まぶしくなった。 4時37分、雲海の上に顔を出したご来光をながめて、気分がなんとなく新年になってしまった。私は妻に「ハッピー・ニュー・イヤー!」と言ってしまったのである。

頂上のトイレは200円

2日目に登頂までかかった時間は3時間で、合計の登山時間は9時間になった。

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頂上のトイレは使用料として200円を払うが、自然の欲求には勝てない。トイレに入ったついでに、入り口で料金を受け取っている係りのひとに、ずっと抱えていた疑問をぶつけてみた。
トイレの汚水はどうしているのだろうか?まさか、人力で下界へ降ろすわけではあるまい。ヘリコプターを使うか?それでは、汚水は人間よりもぜいたくをすることになる。

トイレで200円も取ることにクレームをするひとが、かなりいるようだ。私はただ単に汚水の処理法を知りたかったのだが、係りのひとは明らかに身構えた。 そして答えた。
「汚水は、物理的、化学的な処理をし完全に浄化してから、山肌へ流しています。 膨大な電気代がかかり、処理用の化学薬品もここまで持ち上げなければならず、トイレは大赤字になっています 」。

下の宿泊所のトイレの臭いが強烈なことを、私はこのひとに話した。「世界遺産の申請をするのならば、まずトイレ臭を消すことが大事ですね」と、この身構えている係りのひとにエールを送ってから、トイレを出たのである。

富士山頂で妄想
写真8.富士火口の中の残雪。
volcano

8合目から頂上の火口にかけては雪が残っていた。風が強く寒い。頂上での最低気温は3~4度。下界よりも約30度低い。

富士山の高さは3800メートル。 富士山の頂上の気圧は地上の70パーセントだ。 エベレスト山の高さは8800メートル。富士山の高さは、エベレスト山の高さの半分近くになる。こう考えれば、富士登山がそんなに甘くないことが、よく分かる。
少し無理を承知で言えば、富士山に2回登ると、エベレスト山に登ったのと同じことになる。そこで妻に、「次はエベレスト山にしよう」と言った。足を痛がっていた妻の答えは、「エベレスト山どころか、富士山ももう絶対にいや」だった。そこで、歩いても10時間で完走(完歩?)できるハワイ・マラソンに出場することを提案したが、こちらも駄目。疲れれば何事にも否定的になるのが、人間の心理だ。

もっとも、帰宅して疲れが完全に取れてから再度提案をしても、全部駄目という返事だった。人生は無情だ。

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写真9.富士山頂から見た空。
big sky

人間が、酸素ボンベなしでもなんとか登れる高さは、9000メートル程度。そこでは気圧は下界の30パーセントしかなく、気温はマイナス30度に下がる。登る努力を考えればとても高く、気象条件が下界とは劇的に異なるので、異世界と言っても違和感はない。だが、平地での9キロは極めて近い。高速道路を走れば、わずか4~5分で走り抜ける距離だ。
車で4~5分先の気圧が30パーセントになり、気温がマイナス30度に下がる。こんなことは平地では絶対にあり得ない。ところがこれは、車が地球上で縦方向へ走れば、現実のものになる。

地球の外から見れば、人間は紙よりも薄い大気層の中で生活をしている。このとてつもなく薄い生活圏で、生物は38億年も進化を続け、多種多様な種を生み出してきた(エッセイ2「絶滅をバネに進化する生物」を参照)。

あと何倍かの高さを登れば、大気圏の外へ出てしまう富士山の頂上で、ふとそんなことを思った。疲れきった妻には私の妄想を話さなかった。こんなことを話せば、からだだけではなく、頭も疲れるのがオチなことはよく分かっていた。

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下山にかかった時間は5時間。8合目で雨に降られた。下山は足にかかる負担が登りよりも大きく、靴ずれと筋肉痛に悩まされることになった。

下界は暑かった。風が強く埃で顔が黒くなった。帰りに温泉に入ってやっとハッピー・エンド。


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