日にち | 港 | 入港時間 | 出港時間 | 距離 |
---|---|---|---|---|
1 | ホノルル | ー | 午後 7:00 | ー |
2 | カフルイ | 午前 8:00 | 停泊 | 200km |
3 | カフルイ | ー | 午後 6:00 | ー |
4 | ヒロ | 午前 8:00 | 午後 6:00 | 237km |
5 | コナ | 午前 7:00 | 午後 6:00 | 263km |
6 | ナウィリウィリ | 午前 10:00 | 停泊 | 439km |
7 | ナウィリウィリ | ー | 午後 2:00 | ー |
8 | ホノルル | 午前 7:00 | ー | 354km |
総距離 | 1493km |
日本人ならば行くのが当り前なハワイ。私は、まだ行ったことがないのが自慢(?)だった。 日本人ほどハワイへは行かないオーストラリア人の妻には、少ししか自慢にはならなかった。しばらく前に、自慢することをあきらめて、私たちの人生を人並みにすることにした。
大したきっかけはなかったが、2016年の正月にハワイへ行くことを決めたのは、2015年6月のことだった。初めてのハワイ旅行。ハワイの島々については全く無知。常識のある人ならば、ホノルルを中心にしたオアフ島に、旅行先を限定しそうだ。けれども、私の信条は、「何事につけても普通にはならない」というものだ。厄介だ。
私のいとこ(女性)は、ハワイへは「イヤ」というほど行っている。典型的な日本人ということになる。そのいとこが、「ハワイで一番よかったのはクルージングよ」と言ったのを、思い出した。念のために確認すると、いとこは、船中泊のない1日クルージングを楽しんだのだ。
どの島へ行けばいいのか分からない私は、「いっそのこと主要な島々を巡るクルージングにしてしまえば、心残りはないだろう」と考えた。
私たち夫婦は、シンガポールを起点にした4日間のクルージングへ、行ったことがある。クルージングに抵抗はなかった。妻は私のアイディアに簡単に同意した。
決断を下せば私の行動は速い。何しろ「明日やらなければならないことは、今日やってしまう」が、信条なのだ。JTBのサイトを調べて、全行程10日間のツアーを見つけた。早速予約することにした。
料金表を見て、クルージング・ツアーには、オフ・シーズンやオン・シーズンの料金に大きな差がないことを、知った。
年末から年始にかけて、ハワイとの間で日本人の大移動がある。この時期の料金は高いと思っていたが、10月から翌年の3月までの期間では、1月出発の料金が最も安いのだ。1月になると、ハワイから帰る日本人は多くても、ハワイへ行く人は少なくなるのが、その理由と思われる。
そこで、最も安い1月2日出発のツアーに申し込んだ。バルコニー付きの船室は1人38万8000円だが、医療保険やキャンセル時料金払い戻しの保険などを申し込むと、10万円ほど高くなる。港々でのオプショナル・ツアーは100ドル前後で、私たちは5つのツアーに申し込んだ。オプショナル・ツアーの申し込みはネットでもできるが、ハワイ到着後に添乗員を通して行なった。
予約を急いだ理由は、年始の休暇中になるので、船が満室になることを恐れたのだ。予想通りに、出港時に船は満室だった。
もう1つ、大事な理由があった。ラッキーの宿の確保だ。とても行動的で、人見知りをするラッキーには、定宿の 「ログ・ワールド」 以外には考えられない。広いきれいな芝生の庭つきログ・ハウスが犬小屋で、5頭で満室になってしまう。沖縄へ旅行したときに、旅行の予約を先にしたが、ログ・ワールドはすでに満室だったので、予約を変更しなければならなかった。そこで、ドッグ・ホテルが忙しい時期の予約を、半年前にしたかったのだ。これで、ラッキーの宿を確保できた。
クルージング・ツアーの手配がすべて済んでから、妻は誰かに自慢をしたくなった。
妻は、マンションの玄関で、別の街に住んでいる高齢の女性によく会う。からだが不自由で車いすに乗っているが、とても気さくだ。妻とは気が合う。マンションに住んでいる娘が、毎晩この女性を連れて来て、朝には自宅へ送り返している。女性は、たった1人で広壮な家に住んでいるので、夜は寂しい。それで、毎日娘のいる私たちのマンションへやって来るのだ。
この女性への妻の自慢話。
「私は、今度ハワイへクルージングに行きますよ」
女性の答。
「私は、飛鳥でもう10回ほど世界一周をしました」
驚いた妻の反応。
「・・・・・」
後ほど、クルーズ船のレストランで、仙台からツアーに参加した夫婦と同席になった。クルージングが2回目の私は、会話をはずませるために、クルージングの経験話を披露したかった。そこで尋ねた。
「クルージングは初めてですか?」
奥さんの答。
「数えきれないくらい行ったので、回数を覚えていません」
驚いた私の反応。
「・・・・・」
その後、私たち夫婦は、クルージングの自慢話をすることを止めた。
JTBのツアーには、東京と大阪から22人が参加した。船に乗ってから、「Pride of America」のクルージングに参加した日本人は意外に少なく、計50人に満たないことを知った。添乗員が成田から加わった。細かくうるさい添乗員は妻共々苦手だ。この旅の添乗員は、大らかそうな女性なので安心した。
1月2日の午後10時に成田を出発。成田ーホノルル間は、強い偏西風の影響で、行きは6時間余しかかからなかったが、帰りは9時間もかかった。ホノルル到着は、日付け変更線のおかげで、出発日と同じ日の午前9時半だった。
テロの脅威をヒシヒシと感じているアメリカ。セキュリティには万全の注意が払われている。まず事前に入国許可証(ESTA)を取得しなければ、入国を拒否される。ESTAは事実上のビザになる。
ホノルル国際空港は、入国審査を待つ日本人でごった返していた。アメリカではなくまるで日本。乳飲み子を抱いた夫婦の多いことが、意外だった。ハワイで結婚式を挙げたりするので、ハワイを身近に感じている日本人が多いのだろう。
入国審査には時間がかかり、列が短くなるよりも早く、次の便で到着した日本人観光客が、最後尾に並んだ。審査が終わって外へ出るまでに、1時間以上もかかった。1月2日でこの有様だ。年末の混雑ぶりは想像するのも恐ろしい。
審査ではまず右手と左手の全部の指の指紋を、指紋スキャナで撮られた。そして顔写真。さらに審査官による質問が続いた。
私たちが国際結婚した夫婦であることを知った、メキシコ系と思われる女性の審査官が尋ねた。
「お子さんはいますか?」
私の答。
「息子がいます」
笑顔を見せながら審査官がコメント。
「ハーフの息子さんならば、とても美しいでしょうね」
相手が日本人ならば、最大限の謙虚な言葉を返さなければ、私は嫌われる。ところが、審査官はメキシコ系アメリカ人だ。相手に合わせた私の答は、次のようになった。
「はい、息子はとてもイケメンです」
飛行場からそのままバスで港へ行って、Pride of Americaに乗船した。
このエッセイの冒頭に示した地図を見ていただきたい。全行程がどれくらいなのか、イメージしやすいように、ハワイの地図を同縮尺の日本の地図の上に重ねた。
ハワイの島々は、互いに近接しているように思いがちだが、意外に離れている。
主要な4島巡りクルージングでは、房総半島の南端から能登半島の北端余りのところを、周遊する。全行程は1500kmになる。
東京ー札幌間が直線距離で約1000kmなので、かなり長い航海だ。
距離が離れているので、雨量や風向などで各島には違いがあり、それが自然景観の差につながっている。
1月前後に、マウイ島の気温が他島よりも2~3度高くなるが(約28度)、8~9月には、オアフ島の気温が他島よりも1~3度高くなる(30度以上)。さらにハワイには高い山がある。ハワイ島のマウナ・ケア山は4205m(山頂にすばる望遠鏡)、マウイ島のハレアカラ山は3055mだ。偏西風が山にぶつかって雨を降らせるので、高山の有無も景観を変えるもとになっている。
こんなハワイの全貌を知るには、飛行機で回るよりも船のほうがいい。海岸線をしっかりと観察できる。オプショナル・ツアーでの島内観光が容易だ。
島々の間のほとんど全部の航程で、夕方に出港し、朝に港に着くというスケジュールになっていた。
とても効率的だ。寝ている間に次の島に着き、そこで1日をオプショナル・ツアーにあてられる。効率的過ぎてはあじけないということか、最後のナウィリウィリからホノルルまでの航程の半分は昼間で、真っ青な太平洋を楽しむことができた。
日本人は、ホノルル発着の飛行機に乗る関係で、クルージングの全航程に参加する。 2200人の船客の大部分を占めるアメリカ人の中には、2島間、3島間というように、航路の途中で乗船・下船をする人がかなりいた。 船尾側隣室のアメリカ人乗客が、3回ほど入れ替わった。各島の飛行場に、本土と連絡する飛行機が発着する。
船室の間の壁が薄く、隣室の物音が聞こえた。
特に、船首側隣室の日本人の声がよく聞こえた。「あんたはとってもだめなひと(夫)ね。いつも物忘れをするんだから」などと、妻が夫をなじる声が筒抜けに聞こえた。
私の妻は、他の夫婦の日常生活にとても興味を持っている。夫婦喧嘩が始まると、からだ全体が耳になってしまった。隣人も、隣の部屋の物音がよく聞こえることを、やがて知った。それからは小さい声で話すようになった。妻の楽しみが1つ減ってしまった。夫婦喧嘩を日常的にやっていることを、私たちに知られた隣人は、通路で顔を合わせるとバツが悪そうにしていた。
ホノルル国際空港は見渡す限り日本人。けれども、Pride of Americaに乗船した日本人は50人弱で、2200人の船客の大部分はアメリカ人だった。ホノルルとは全く違い、船内はどこを見ても完全にアメリカ。
ということは、日本人向けのハワイ・クルージング市場には、まだ大きな可能性があるということになる。
JTBさん、頑張ってください。この旅行記が、少しでも役に立てばいいですね。
客室には3種類ある。私たちはバルコニー付きを選んだ。航海中に海の風を感じたかったからだ。船首側のデッキ10(10階)にあった。ここが8日間の生活の本拠になった。
「FREE STYLE DAILY」という名の、船内の案内や予定を書いた情報紙が、毎日配布された。英語版と日本語版の両方があった。それ以外に、ツアーの添乗員が、その日の予定などを書いた、2ページの「かわら版」を毎日配布した。スケジュールの詳細は、このかわら版で確認した。
図1は、3日目のFREE STYLE DAILYで紹介された、エンタテイメントのプログラムだ。
朝から晩までエンタメには切れ目がない。ジム、プール、ジャグジー、カジノ、図書室、ネット・カフェなどの設備もそろっているので、オプショナル・ツアーに出かけなくても、退屈せずに船内で時間を過ごすことができる。
これらエンタメのほとんどが、事実上無料で利用できる。医師や看護師も常駐している。
さすがアメリカの客船と言えるプログラムのあることが、図1で分かる。9:00pmから「同性&両性愛者/性転換者の集い」があるのだ。
この集まりは毎晩企画されていた。閉じられた環境の中で一緒に時間を過ごすので、容易にカップルが誕生する。パートナー探しのためにクルージングをする人が、多そうだ。
出会いを目的にしたプログラムが、他にもある。「お孫さんのいる方々の集い」、「お酒中毒から回復された方の集い」、「単身旅行者のパーティー」などだ。別の日には「退役軍人の集い」、「18~20歳のホワイト・ホット・パーティー」などがあった。
Godd luck!
カラオケはアメリカでも大人気だ。9:30pmからカラオケ・アイドル大会があった。プログラムには、ご丁寧にも「日本語の歌はありません」と書いてある。 会場になった大きなバーに行くと、日本人は見当たらず、アメリカ人がはしゃいでいた。歌は、私が知らないアメリカの歌ばかり。はっきり言って、全体的に日本人よりもずっとへただ。スクリーンに映し出される歌詞の映像も、原始的だった。それでも、カラオケのプログラムが毎晩2つか3つ組まれていた。アメリカ人のカラオケは、将来的にはかなり上達するのではないだろうか。
プログラムに「ハリウッド」と書かれているのが、この船の主要なシアターだ。700~800人を収容できるホールがあり、プロのエンタテイナーが演技をする。ラスベガスなどでショーをやっている人たちなので、さすがに見ごたえがあった。
1日のうちのショー・タイムの時間は短い。エンタテイナーは、余った時間も船の中で過ごさなければならない。彼らはレストランで働いていた。ウエイトレスやウエイターとして仕事をしている時間のほうが、ショーをやっている時間よりも間違いなくずっと長い。
上図に示したように、朝から晩まで、少なくとも2つの無料レストランが開いていた。バーも同様。ただしアルコール飲料はどこも有料。
乗船時にプラスチック製のIDカードを渡される。このカードは、部屋へ入室するときのキー・カードだ。また、有料の食事をしたりアルコールを注文した場合は、クレジット・カードと連動したこのカードで決済する。日本人になじみの薄いチップは、クルージングでは18%を自動的に加算されるので、何も心配することはない。
これは領収書を見れば分かる。「gratuity」、「service charge」などと書かれているのが、チップだ。領収書の最下段にサインをする。
無料レストランでも、ウエイターが仰々しくサービスするところがある。また有料のメニューも入っている。リラックスすることだけを目的に参加した私たちには、こんなサービスはうるさい。
そこで、いろいろな食事を自分でいくらでも自由に選べる、ビュッフェ・スタイルのアロハ・カフェをしばしば利用した。
アロハ・カフェには最もアメリカ的な食べ物がある。ビールも日本製品は見当たらない。味付けが余り日本人向きではないが、選択の幅があるので、新しい味を見つけるなどの楽しみがあった。
ヨーグルトが私の大好物だが、アメリカ人はヨーグルトを余り食べないことを知った。たまにヨーグルトが提供されたときには、このときとばかりにたくさん食べた。
家族そろって旅行しているアメリカ人が、多かった。
船にはジャグジーが6つあったが、私たち夫婦には5つのジャグジーの水が冷た過ぎて、入ることができなかった。船尾のジャグジーだけに温水が供給されていて、温まることができた。ある晩のこと、私たちと同じように、冷たい水には耐えられないアメリカ人家族と、このジャグジーで一緒になった。若い娘は高校を卒業し、大学に入る準備をしていた。クルージングは卒業祝いだった。
妻からその女性への質問。
「クルージングを楽しんでいますか?」
女性の答。
「ボーイフレンドから少し離れることができ、家族と完全にリラックスしています」
疲れきるほどの熱烈な恋愛をしているらしい。
マウイ島で、ハレアカラ火山へ最初のオプショナル・ツアーに出かけた。乗船・下船時には厳しいセキュリティ・チェックがある(特に乗船時)。IDカードとパスポートを持っていかなければ、船に乗れなくなる。
厳しいのはセキュリティ・チェックだけではない。衛生面でもアメリカは厳しい。
低開発国からの移民が多いだけではなく、アメリカは世界中へ軍隊を派遣している。国内へ感染病が入るのを防ぐために、社会のいろいろなところで国民に規制をかけている。日本人が想像するのとは違って、アメリカ人は、各種法規によって自由を厳しく制限されている。
船に入るときには、手に必ず消毒液を吹きかけられた。また、レストランの入り口には消毒液を吹きかける乗組員が立っていて、消毒を拒否すればレストランに入れない。プールやジャグジーの水には、高濃度の塩素が加えられていることが、水のにおいですぐに分かった。各トイレにマスクが置いてあった。
私たちは、バリ島へ行ったときに、今までに経験したことがないほどの、猛烈な下痢に悩まされた。アメリカ人の厳しさは、歓迎こそすれ反対する理由はない。
日本人には苦手なチップについて書いておきたい。 バスの運転手や観光ガイドへのチップは、ツアー料金には含まれていない。このような職業の人たちの給与水準は低く、チップなしでは生活が困難だ。ツアー終了時に2人に1ドルをさりげなく手渡したい。これはグループの場合で、個人のツアーならば20~30ドルが目安になる。 添乗員が何度も念を押したが、私たちのツアー参加者の中には、チップを渡さない人たちがかなりいた。
世界各地を訪れると、チップ以外にトイレでも日本人は苦労する。有料が多いからだ。ところが、ハワイのトイレはすべて無料、しかもきれいだ。日本人の移民が多かったハワイ。現在は、日本人観光軍団が大規模に侵略している。トイレには日本人の影響があるのかもしれない。
マウイ島で、日本人移民がサトウキビ栽培を始めた。しかし国際競争に負けてしまい、今はサトウキビはほとんど栽培されていない。観光が収入源だ。
ハレアカラ火山の斜面の傾斜はゆるく、頂上まで道路が舗装されている。多くのサイクリストが、頂上めがけて必死にペダルを漕いでいた。山腹には、有名アメリカ人俳優(名前を忘れた)の別荘がある。
下界の気温は26~27度。雲の高さは2000mほど。 3000mを超えるハレアカラ山頂の気温は、10度以下なので寒い。 日差しはとても強かったが、冬用のジャンパーを羽織った。ハレアカラ火山は休火山で、山頂には大きな噴火口がある。その噴火口は、上のビデオを撮っている私の背後にあり、ビデオには映っていない。
ビデオは島の北西部を映し出していて、遠くにウエスト・マウイ山脈が見える。島のくびれたところの右側に、船が止まっているカフルイ港がある。
キラウエア火山の活動が活発なときには、大量のドロドロな溶岩が海へ流れ込み、水蒸気を激しく巻き上げる。
この噴火口の周囲には壮大なカルデラが広がっている。阿蘇山へ行ったことのある日本人によると、阿蘇のカルデラほどの大きさがあるそうだ。
私から妻への冗談。
「ここの溶岩台地にいたずら書きをしておけば、大陸移動で、1億年後には私のいたずら書きが日本へ到着するよ」
妻には私の冗談の意味が通じなかったらしい。無視されてしまった。なお、太平洋プレートは、日本列島のところで地球内部へ沈み込んでしまうので、1億年後の日本人が、私のいたずら書きを見ることはない。
ヒロの町は、かつて日系人の町として繁栄した。ここには、上のビデオで示したような、国外最大級の日本庭園がある。この公園の名前はリリウオカラニ公園で、公園の看板のどこにも「日本」の文字はない。日本庭園であることを明示しないところに、複雑な日米関係の歴史の中に存在するハワイを、感じた。
この町だけではなく、ハワイの町の土産物屋やレストランの各種表示は、英語と日本語だけで書かれている。中国人観光軍団の数は、まだ圧倒的にはなっていないようだ。 中国人の爆買心理を刺激するような物が売られていないのが、その理由と思われる。けれども、生活が豊かになれば、買い物よりも旅行自体を楽しむようになる。やがて中国語の表示も現れるだろう。
船は、ヒロと同じハワイ島のコナにも停泊した。コナの港は浅いので、客船をふ頭に付けることができない。今回のクルージングでは、テンダー・ボートが使われた唯一の港になった。
大型船が停泊できないということは、観光地としてはまだ十分に開発されていないことを、意味する。海と山に囲まれ、花が咲き乱れた小ぎれいなコナの町。妻はすっかり魅了されてしまった。 オーストラリアの海岸の砂は純白で、ハワイよりももっと美しい。けれども、砂の色だけでは女性へのアピールは弱い。妻は、「この町へこれから何度でも来たい」と、興奮気味に言った。
町並みだけではない。私たちはとてもムードのあるレストランを見つけた。 ビーチ沿いの道路を北東へ500mほど歩いたところで、Java on the Rockという名のレストランに入った。屋根がシュロの葉でふかれ、海へ突き出たレストランの床には、海岸の砂が敷き詰められていた。沖には私たちの客船が見えた。
妻の感動が最高潮に達した。私たちは、私の好きなマルガリータを飲んで、天に昇るようなほろ酔い気分になった。
上のビデオの途中で、「ROCKS」と書かれた左下に向いた矢印が見える。レストランの床が砂なので、床の向こうのビーチも砂だろうと勝手に解釈した、酔った観光客がいた。夜だったので、岩だらけのビーチが見えなかったので、飛び降りて大けがをした。そんなできごとを踏まえて、この警告の表示が付けられた。
コナではさらに大きな驚きに遭遇した。船の床がガラス張りのボートで海底探索をしていたときに、イルカの群れが現れたのだ。 イルカは、人間との出会いを楽しむように、船の間を泳ぎ回った。こんなことからも、コナには、他のハワイの町よりも自然が残されていることが、分かる。
ハワイ島のコナからカウアイ島のナウィリウィリまでが、最長の航路だった。440kmを16時間かけて航海した。
北端の島カウアイ島は開発が遅れているので、自然が残されている。全島を一周する道路はなく、島の途中で途切れている。
車が少ないので、他島では禁止されているヒッチハイクが、この島では許されている。
景観をきれいに保つために、庭仕事で出た木の枝や草を庭に放置するのは違法とされ、処罰の対象になる。この島には野生化したニワトリが多い。死体を見つけたときはすぐに通報することを、義務付けられている。
小さい島だが多様な自然がある。主に、 アフリカ、中南米などを舞台にしたハリウッド映画の多くが、ここで撮影される。「ブルー・ハワイ」、「ジュラシック・パーク」、「パイレーツ・オブ・カリビアン」、「ファミリー・ツリー」などと、今までに撮影された映画は数が多い。
仕事場になると同時に、自然が豊かに残されているためか、ナウィリウィリにはハリウッド・スターの家が多い。ガイドの説明によると、最近は家の値段が下がっているとのこと。我と思わん方は購入を考えてはいかが。
仕事が少ないこの島では、映画のエキストラが現地人の大事な仕事になる。「パイレーツ・オブ・カリビアン」の撮影のときに、ガイドの友人がエキストラに応募した。海賊の役だったので、条件は「人相が悪く、前歯が抜けていること」。 大勢の応募者の中から友人はめでたく採用された。撮影は朝から晩までと長く、期間も長期に及んだ。映画ができ上がってから、友人はスター気取りで映画館へ出かけた。ところが、上映された映画を見て友人は驚き、がっかりした。スクリーンに映ったのは腕だけだった。
カウアイ島には、ハリウッド好みの巨大峡谷や海岸絶壁がある。 ワイメア峡谷の最大高低差は約1000m。長さは16kmに達する。
雨量が多いカウアイ島。両岸に密林が迫ったワイルア川を、港からボートで約20分さかのぼって、シダの洞窟に着いた。この洞窟は、先住民にとっては神聖な場所だ。 高貴な身分の者しか入れず、神聖な儀式や結婚式に使われていた。現在は観光化し、外国人でもここで結婚式を挙げられる。外国人の中では、カナダ人と日本人が多いそうだ。
シダの洞窟へ行くボート上での演技を、上のビデオに撮った。フラダンスが好きな人にはたまらない。このような人たちにも、観光客からのチップが生活のために大事だ。船から降りるときに、1ドルを渡すことを忘れないようにしたい。
雨が多いカウアイ島は植生が豊かで、美しい花が多い。咲き乱れるブーゲンビリアを見て、オーストラリアを思い出した。もっとも、オーストラリアでは成長が早く、巨木になり、庭のブーゲンビリアを頻繁にせん定しなければならなかった。そのたびに、大きな鋭いトゲで傷だらけになった。美を保つには、困難を乗り越えなければならない。
カラパキ・ビーチは、マリオット・ホテルのプライベート・ビーチのように見えるが、公共ビーチなので誰でも入れる。妻は、このビーチに天国を感じた。夕方だったので、このビデオを撮ったあとで、道路沿いのガス灯に火が入り、ビーチは幻想的になった。
上の写真の左の男性が、日光東照宮のサルたちからヒントを得て作った。 彼のオリジナリティは、腹を押さえた先頭のサルにある。このサルの説明は向こう側にあるので、こちらからは見えないが、「DO NO EVIL」と砂に書いてある。「悪いことはしない」が最も大事なのだ。アメリカ人らしく行動を重んじる。
カウアイ島出発は午後2時だった。昼の太平洋航海を初めて経験した。バルコニーに坐って広大な青い海を見、吹きよせる太平洋の風を感じた。聞こえる音は、船がかき分ける波の音だけ(上のビデオにサウンドを入れた)。
冒頭の地図を見ていただきたい。船がカウアイ島の北岸に沿って、大きくUターンしているのが分かる。この 北岸ナ・パリ・コーストは、ハワイ諸島の海岸の中でも特に絶景だ。垂直に切り立った断崖が35kmも続き、海へまっすぐに落ち込んでいる。「ジュラシック・パーク」、「ウオーター・ワールド」、「南太平洋」などの映画の撮影が、ここで行われた。
カウアイ島の西に、ニイハウ島という島がある。この島はロビンソン・ファミリーの私有地で、家族以外は岸に近づくことを禁止されている。
住んでいる親類縁者の数は130人。電気もない自給自足の生活を送っている。このファミリーは、カウアイ島に広大な私有地を持っていて、毎週見回りをしている。生活は原始的でもとても大金持ちだ。ファミリーには76歳の独身の男性がいるので、勇気と野心のある女性は、挑戦してみてはいかが。
船の最後の夜に、ハリウッド・シアターで「お別れバラエティ・ショー」があった。そのショーの最後に、司会者が、「兵士、警官、教師の皆さんは立ってください」と言った。かなりな数の人たちが立ち上がった。司会者は、国を守っているこれらのアメリカ人に感謝した。
大きな星条旗を掲げた人が2人、左右の通路を後方からホールへ入ってきた。客席から立ち上がった人たちが、星条旗に続いてステージへ向かった。座っている人たちからひときわ大きな拍手。
日本人である私は、この光景にいささか引いてしまった。外国人ならば引いてしまうようなことでも、テロとの戦いの真っ只中にあるアメリカでは、「戦意高揚」のための儀式として受け入れられている。
この客船の名前を思い出していただきたい。
「Pride of America」
最後の宿は、陸に上がって、ワイキキのシェラトン・ホテルだった。船から降りる前に、普通とは違う生き方を選んだ、日本人女性の人生を知った。
Pride of Americaには50人弱の日本人観光客が乗っていた。客室係の中年の日本人女性乗組員が、日本人船客全員を集めて、船の大事な情報を時おり「訓示」した。そのテキパキぶりから、同じことを繰り返し言っていることが分かった。海外で仕事をしてきた私は、激しい競争社会のアメリカで生き抜いている、日本人の生き様を見たような気がした。
余りのテキパキぶりに、ノンビリしたところのある添乗員は、私たちツアー参加者の前で、彼女を「教官」と呼んでいた。最後の日に、添乗員自身が自分で言っていたにもかかわらず、「あなたのことを、皆さんが教官と言っていますよ」とこの女性に告げた。客室係女性の返答は、「教官ではなく教頭と言ってください」だった。
「船長を校長と見立てれば、自分は教頭になる」と言いたかったらしい。船長よりも、船内のこまごましたことを知っている女性。仕事に対する誇りを間違いなく持っている。
添乗員によると、 その女性は陸上に住むところを持っていず、10年間も船上生活を続けている。小さな船室に入れられる私物が限られているので、かさばる物は陸上のレンタル物置に入れてある。 船に人生を捧げている船の主だ。
シェラトン・ホテルの27階の部屋に入って、妻が感動した。部屋が広いだけではなく、眼下にワイキキ・ビーチが見えたのだ。
プールの直下が太平洋のように見えるが、プールと海の間には狭いビーチがある。
海に面したこの快適なレストランで、食事やマルガリータを楽しんだ。
最初の予定では、話のタネに「この木なんの木」を訪れることにしていた。けれども、 「この木なんの木」はどこにでもあるのだ。日立のコマーシャルの「この木なんの木」の枝ぶりは美しいが、どこにでもあるのを見て、訪れる意欲を失った。
ダイヤモンド・ヘッドの頂上は標高232m。添乗員が笑いながら、「登るのは大変ですよ」と忠告したが、その程度の標高では「大したことはない」と判断した。市バスのふもとのバス停から、約1.5kmの道を歩き始めた。昼日中だったので、気温がとても高い上に、クレーターの外壁を登る山道が急で、意外に大変だった。結局、登るのに約1時間かかった。
上のビデオの最初のほうに、たくましい男女が出てくる。 この男女が座っている場所は、展望台の真正面にある。ダイヤモンド・ヘッド頂上の「ヘリポート」だそうだ。けれども、このビデオをよく見ていただきたい。鉄骨でできた3角形の構造物が鎮座している。これではヘリコプターは発着できない。これは何だろうか?
夜、音楽に同調させた映像が、最上階からプールへ投影された。おもしろい試みだ。
太陽が昇る前からサーフィンを楽しむ人たちがいるのは、さすがにハワイだ。上のビデオの終りにダイヤモンド・ヘッドが映っている。
このエッセイの最後に、ツアー参加者の間にあった、ウオシュレット論争を書いておく。
JTBからのアンケート用紙に、ホテルなどへの要望を書き込む欄があった。私は「ウオシュレットを取り付けてほしい」と書いた。ウオシュレットは日本人には必需品なので、日本人観光客が多いハワイでは、この程度のサービスは必要だ。
ところが、空港へ向かうバスの中で、 1組の夫婦が、「私たちの部屋にはウオシュレットがありました」と言った。他のツアー参加者だけではなく添乗員も、「シェラトン・ホテルにウオシュレットはありません」と反論した。 むきになった夫婦が、ちょっと目にはあるのが分からないボタンについて、一生懸命に説明した。けれども、他の参加者から再び一斉反撃。私はとりなすために、「ウオシュレットではなく、フランス人が好きな物(ビデ)ではありませんか?」と言った。その意見は否定された。
議論を聞いていた妻の感想。
「日本人は滅多に議論を戦わせないのに、ウオシュレットについてはむきになったので、おかしかった」