母の家系には、絵心のある者が多い。母自身が若いときから日本画を習い、折りに触れて絵を描いていた。私が小さかったときに、母が描いた、幻想的な挿絵の入った手製の寓話小冊子を、読んだ憶えがある。
実家に、オシドリの下絵が描いてあるふすまがある。絵を完成する前に、母は亡くなった。からだが不自由だったにも関わらず、ふすま全体に伸び伸びと描いてある下絵は、構図も線もとてもしっかりとしている。
母は病院で亡くなった。母が描いた子犬の絵が、自宅の居間にかかっていたが、その絵が、母が亡くなった時刻に壁から落ちた。父からその話を聞いていたので、父が亡くなったときに、私はまず最初にその絵を引き取った。
兄はプロの画家だ。絵で生計を立てるのは大変だが、日本における、パステル画の権威と言われるようになった。
その兄が言っていた。
「絵の才能は、誰でも等しく持っている。プロとアマの違いは、プロのほうがより卓越した技術を持っているという、ただそれだけのことに過ぎない」。
その兄が、今でも言っている。
「私が絵を描くようになったのは、母のおかげだ」。
私も、小さいときから絵を描くのが好きだった。夏休みの宿題の絵を描くときに、母からアドバイスを受けた記憶がある。しかし、母から継続して絵の指導を受けたことはない。
私は生意気にも、中学生のとき、ピカソを気取って、わざと形を崩した絵を描いたりした。それに、意図的に、目に見える色とは全く異なる色で、描くようなこともやった。
完全にアナログの時代だった。満足のいくような絵を描こうとすれば、労力と時間が無限に必要になる時代。
紙に、鉛筆、クレヨン、絵の具を使って描く。努力をして描いても、他の人に見てもらいたければ、普通のひとにとっては、展覧会に出品する以外に方法はなかった。作品発表の場も限られていた時代。
このアナログの世界で苦労しながら、兄は成功した。私は絵を描くのは好きだったが、ただの夢という前提をつけても、絵かきになろうと思ったことは一度もない。絵を描くことに対する、母からの心理的な影響は、多分兄のほうが大きかったのだ。
私の好みは、普通の絵から、いつの間にか一こま漫画に移っていた。絵を崩すことに興味があったので、それが、方向転換をさせるきっかけになったのかもしれない。それからは、時折思い出したように、趣味で一こま漫画を描いている。そんなことが、今までずっと続いている。
一こま漫画を油絵で描く夢も持っているが、このアナログ創作の夢だけは、まだ成就できていない。妻が、油絵の具で部屋が汚れることを心配して、反対している。夢のままで終りそうだ。
上の漫画は、メルボルンの文芸誌Overlandに掲載された(1976年)。同じくメルボルンの同人誌Satadalにも、いくつか掲載された(1977年)。下の漫画は、そのうちの一つだ。
日本の同人誌イスカーチェリが、私の一こま漫画のために特集を組んでくれた(1981年)。上の漫画が、皆さんが今アクセスをしている、私のサイトに載せた アニメNo.9 の原案になっている。下の漫画をもとに、そのうちにアニメを作る予定だ。
パソコンを使うようになったことが、趣味のお絵かきに劇的な変化を与えた。
16年前に、アメリカ帰りの会社の同僚が、会社にマックを導入させた。私は研究所で仕事をしていたので、他の部門よりも早く、パソコンが導入されることになったのは、幸運だった。
この新しもの好きに、私は今でも感謝をしている。こんな機会がなかったならば、私のパソコン使用は、ずっと遅れていたかもしれない。
最初は箱型のミニ・マックだった。それから間もなくして、現在のデスク・トップと同じデザインのパワー・マックが発売された。このパワー・マックになってから、お絵かきは断然楽になった。
マックOSのインストールにも、ネットスケープのインストールにも、最初はとても苦労した。インストールに成功しても、コンピューターがしばしばハング・アップするので、更に苦労した。
お絵かきソフトは、ハイパー・ペイントの初期バージョンを使ったが、こんなものを扱うのにも苦労した。何しろ、コンピューターは完全に人工的な産物だ。他の誰かの創作物だから、操作をするために、それまでの自分の人生経験を、生かすことができない。
そんな事実にも覚悟を決めた。お絵かきにコンピューターを使い、創作した作品を、世界中の人たちに見てもらうことが、突然可能になったのだ。それまではあり得なかった、新しい世界の到来に興奮し、私は空き時間の全てを、コンピューターと格闘することに費やした。
アナログのお絵かきから、デジタルのお絵かきへ。質的に根本的な転換がある。
ただし、アナログのお絵かきを引きずっている私は、16年前から今まで、ほとんどペイント・ソフトしか使っていない。ペイント・ソフトでは手描きの味が出るが、ドロー・ソフトで描いた絵は、メカニック過ぎるように、私には見える。ディズニー・アニメのようなメカニックな絵は、どうも肌に合わないのだ。
デジタル描画では、まず線の修正がとても簡単にできる。いちいち消しゴムで消して、紙を汚すようなことがない。色も、紙に絵の具で塗ってしまえば、修正は困難だが、デジタルではいくらでも塗り変えられる。適切な色を選ぶために、何度でも異なる色をテストできる。これらが最大のメリットだ。
そしてコピー&ペーストで、絵の全部または一部を再利用できるので、描画の効率が上がる。これは、特に絵の数が多くなる、アニメ制作で有効に働く。
下の漫画が、コンピューターで描いて、私のウエッブ・サイトに載せた、最初の一こま漫画だ。タイトルは「虹の世界」。 タブレットもペンも使わず、マウスだけで描いた。
兄が言っていた「プロとアマの差は技術だけ」が本当ならば、比較的初期にコンピューターでお絵かきを始めた私は、その経験からいって、デジタル画(一こま漫画)のプロになれそうだ。しかし、人生はそんなに甘くはない。たとえ技術的に達人になったとしても、画業で生計を立てることの難しさは、兄を見てよく知っている。それが可能だとしても、プロになろうとは思わない。
趣味で好きなことをやっているのが、一番いい。趣味でやっていることで賞がもらえるならば、それよりもいいことはない。
下の一こま漫画で、小学館からWebstar-s MVC最優秀賞をもらった。この漫画が、私のこのサイトで、
アニメNo.2
になっている。
今までパソコンで描きためた一こま漫画は、600点程になる。
実は、昔からの夢は映画を作ることだった。これは、趣味でやるには難しい。映画には出演者ばかりではなく、脚本、音楽やカメラ、映像編集技術も必要になる。
幸いにも、ビデオ・カメラの進歩によって、誰でも映像を記録し、編集することが可能になった。私も、ホームDVDを日常的に作成している。Roxioを使って映像の編集をし、音楽も入れている。技術的には、素人にも映画制作ができるようになった。
「アニメと小説の工房」にも載せているように、小説を書くのは趣味のうちなので、脚本も大丈夫だ。もしも映画を作るならば、この小説を映画化しようと考えている作品(「終わりなき夏」)が、あるくらいだ。
音楽もなんとかなりそうだ。最も簡単な作曲ソフトのウイザードを使って、作曲ができる。市販の音楽ソフトを使えば、この曲を少し複雑に編曲できる。
だが、出演者を含む撮影隊を動かすことは、個人の趣味の範囲内では不可能だ。
映画制作の夢は、少し形を変えてアニメで可能になる。アニメならば、部屋に坐ったきりで、一本の映画を制作できる。ただし、作品が長くなればなるほど、絵の数が膨大になるので、ひとりで制作するのは困難になる。
しかし、ある程度労力を省くことはできる。コンピューターに指示を与えて、絵を自動的に動かすFlashを使えば、単純な動きのために、手描きの絵を大量生産する必要がない。2枚の絵を準備して、1枚の絵から他方の絵へ連続して変身させる、モーフィングという技術もある。水面の波紋や雨、雪を自動的に描かせる、Water Reflectionというソフトもある。
その他有料、無料のいろいろなソフトを使ってみた。私の使用目的に合っていなければ、試用しただけで、有料ソフトを使うことはあきらめた。
基本的な絵はPictBearで描いている。ハイパー・ペイントが持っていた、融通無限に絵を変形させる機能を有するソフトは少なく、やっとSAIにたどり着いた。JTrimは特殊効果を与えるときに使う。
Flashアニメ・ソフトは、かんたんWebアニメーションを使っている。とても使いやすいソフトだ。私は、アニメ作成にしかFlashソフトを使わないので、ゲーム作成に必要なインタラクティブな機能は、必要としない。そんなわけで、使うのが面倒なAdobe Flashはお蔵入りになっている。
テクノロジーの進歩は、今まで不可能だった多くの夢を、普通の庶民が、現実のものにできるようにする。それを謳歌するためには努力が必要だが、その努力はやればできる努力だ。不可能ではない。
良い時代になった。