Essay 10

父の体臭を嫌う娘から進化が見える

2009年7月26日 (更新2025年4月18日)
和戸川 純
遺伝子プールを多様化するためのオスとメス

この世に男と女がいるのは当たり前、と誰もが思っている。しかし、進化の長い歴史を見ると、性の分離は当たり前というわけではない。 性の分離なしで生物が世代交代を繰り返した、長い年月があった。

バクテリアなどの単細胞生物は、個体の分裂だけで子孫を残している。メスが単独で子を作る単為生殖では、受精せずに卵子が分裂を始め、新たな個体へ成長する。ミジンコ、アブラムシ、カイガラムシ、寄生虫などで一般的だ。カエルのような両生類においては、卵が物理的な刺激を受けただけで、おたまじゃくしへ成長を始める。受精をせずに卵子が分裂を始める現象は、自然界では爬虫類や鳥などでも確認されている。

哺乳動物の体細胞を使ってクローン動物を作ることが可能だ。卵子や精子のみならず、体細胞の一つひとつにも、個体発生のために必要な遺伝子のセットが、内包されている。高等哺乳動物でクローニングが可能になったことは、子孫を残すために、生物はオスとメスの分離を必要としていないことを明示している。

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授乳をする必要がない男が乳首を持っている。性としては男のほうが不安定で、性同一性障害は男に多く見られる。生物の本体はメス(XX)で、それにオス(XY)が付け加わったことを示している。

オスを生み出すMID遺伝子は、30数億年前に祖先の単細胞生物によって準備された(「危機を乗り切る驚異の生存戦略」)。同一個体に雌雄器官が備わったのは15億年前で、オスとメスの個体に分かれたのが5億4000万年前だった。高等動物では、2つの性が「恋した、愛した」という面倒な手続きを経なければ、子が誕生しない。これは進化が効率性を追求していることを考えると、進化に逆行しているように見える。しかし、子孫を残すために、エネルギーと時間が損失することを覚悟の上で、オスとメスに性を分けたことには大きな理由がある。

生物は高等になればなるほど、からだが多様な器官によって構成され、それらが多様な機能を発揮する。自然のどのような変化にも対応できる、個体を生み出すために、遺伝子プールに多様性を持たせる必要がある。その多様性は単為生殖では成し遂げられない。遺伝子プールが異なるオスとメスが生殖を行うことによって、両親を超えた多様性を持つ子が生まれる。多様な子孫が存在すれば、環境が激変しても、新しい環境に適応した個体が選別され、種として生き残ることができる。

恋する、愛するは、生物が変化する環境に適応し、進化を続けていくために必要なコストとして、進化が準備したことになる。

進化が準備した日常生活におけるショック

思春期の娘から体臭を嫌われ、ショックを受けた父の話が、テレビ、新聞、雑誌に出る。これは、中年男性用の化粧品を売るために、化粧品会社が意図的にやっている謀略というわけではない。ただし、化粧品会社が、こういう娘と父の話題を自社のビジネスに有効活用しているという側面は、あるかもしれない。
実は、この話はとても奥が深いのだ。何しろ、生物の進化に結びついているのだから。 文明がどれほど進歩をしても、生物である人間は、進化と直接に結びついた本能から逃げることはできない。

mouse

ネズミの嗅覚に関するこんな実験がある。発情しているメスのネズミをケージに入れる。そのケージには穴がふたつ開いていて、穴の先には若いオスのにおいを充満させた小部屋がふたつある。メス・ネズミと遺伝的に近いオスと、遺伝的に遠いオスの尿などのにおいがついた敷きわらが、各々の小部屋に敷きつめてある。メス・ネズミはどちらの部屋へ行くのだろうか?
メスは、遺伝的に遠いオスの体臭がにおっている部屋へ行く。この行動は、メスが発情しているときにのみ認められ、発情していなければどちらの部屋へでも自由に行く。

マウス(ネズミ)のゲノム解析によると、マウス・ゲノムの99%がヒトと一致する。進化上はとても近い関係にある哺乳類のヒトとネズミは、生理に裏打ちされた同じ本能を持っている。ヒトの女もネズミのメスも、男やオスよりも嗅覚が発達していて、においに敏感だ。嗅覚は深層心理に深く結びついている。母が子育てのときに自分の子を認識し、子への情愛が誘導される刺激がもたらされる。それと同時に、嗅覚は性行動において重要な役割を果たす。
性行動において、男(オス)の体臭は、女(メス)が遺伝的な類縁関係を知るための手助けになる。類縁関係が十分に遠ければ相手のにおいが魅力的に感じられ、相手に惹きつけられる。逆の場合には、相手のにおいが女(メス)への警告になるので、相手との間に距離を置く。この行動は、受胎が可能になった発情期に顕著に認められる。女の生理(physiology)と心理は複雑に一体化しており、男には分かりづらく、父が娘の行動にまごつくのは致し方がない。

女がパートナーを注意深く選ぶ理由

family

遺伝的に近いパートナーと結ばれる近親交配によって、生存に不利な子が生まれる可能性が高まる。ヒトもネズミもこれを避けるための本能を持っている。 この本能は男(オス)よりも女(メス)のほうに強い。

女が一生の間に生むことができる子の数は、極めて限られている。どうでもいい子を生む余裕はない。その結果、生存に有利な子孫を残すために、パートナーを厳しい基準で選ぶことになる。社会的に成功した金持ちを選択するのは、金銭欲以上の衝動に駆られてのことだ。自分と子を保護する意図(人間は「愛」というすばらしい言葉を使う)をパートナーが有しているかどうかも、しっかりと見極める。
女のほうが、着飾ったり、化粧をしたり、香水をつけたりと、他の人を魅了するための努力を惜しまない。最良のパートナーを選ぶ本能が、女を突き動かしていると考えれば、このことをよく理解できる。選ぶためには、まず多くの男からアプローチされる必要がある。

男はかなりいい加減だ。受け入れる相手がいるならば、数限りなく自分の子を作ることができる。「下手な鉄砲、数撃ちゃ当る」。その子たちの中に落ちこぼれがいても構わない。生存に有利な子が少数でもいれば、たくましく生きる大人に成長する。彼らが子を大勢作り、優秀な子孫をたくさん残す。相手を厳密に選ぶ必要がない。パートナーは多ければ多いほどいい。

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少し脱線して男と女の浮気を考えてみたい。女性から怒られるのを覚悟の上で、「真理」を言ってしまおう。一夫一婦制はオスの本能に反している。結婚をしていても、妻以外の女と性関係を結ぼうとする男が多いのは、自然の摂理といえる。女の浮気は、一般的には夫以上の能力を持った男とめぐり合ったときに生じる。性交渉によって、より生存に適した子孫を残す可能性が高まるからだ。サル山のメス・ザルは、隣のサル山に魅力的なオス・ザルを見つけると、ボス・ザルの目を盗んで性交渉をしてしまう。

勿論、人間の社会的な行動を規定する要素は他にたくさんあり、以上の性衝動だけでは説明がつかない。子が生まれれば、独り立ちができるようになるまで、養育を続けなければならない。社会的な生物である人間は、子の成長のために、夫婦を助けてくれる身近な他人を必要とする。

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ここで話題の最初のほうに戻る。 息子と母の間には、娘と父の間におけるような、生理的な嫌悪感に至るまでの生物学的な緊張関係はない。親として主導権を握っている母には、上に書いたブレーキになる女の本能が、もともと備わっているからだ。

近親交配が危険な理由

それでは、なぜ近親交配は、生物の進化にとって不都合なのだろうか?

遺伝子の中には「劣性遺伝子」がある。この「劣性」という言葉は、能力の優劣とは関係がない。両親が同じ遺伝子を持っている場合にのみ、子に形質として発現する遺伝子のことだ。形質とはそのひとが持つ肉体的な特性になる。生理的な代謝も形質に入るので、子が持ついろいろな能力が、この劣性遺伝子の発現によって影響を受ける。

生存に不利な劣性遺伝子が存在しても、発現しないので、個体の生存には影響を与えない場合が多い。劣性遺伝子は隠れてしまい、進化の過程で取り除かれることがない。近親交配における両親は遺伝的に近いので、両親が共通の劣性遺伝子を持っている可能性が、高くなる。即ち、子に劣性遺伝子が発現する可能性が、高くなってしまう。
劣性遺伝病には、先天性ろうあ、白子、黒内障性痴呆、真性小頭症、色素性乾皮症、先天性魚鱗症、フェニールケトン尿症、ウイルソン病、のう胞性繊維症、神経性筋萎縮などがある。両親が遺伝的に遠く離れていれば、劣性遺伝子の発現が抑えられ、これらの劣性遺伝病は発病しない。

片親からもらっただけで形質が現れる遺伝子を、「優性遺伝子」という。生存に不利な優性遺伝子が発現すると、子を作る機会が減る。長い間に、生存に不利な優性遺伝子を持つ個体の数は、減少する。
優性遺伝病には、家族性高コレステロ-ル血症、ろうあ成人発症型、多発性腎のう症、ハンチントン舞踏病、多発性外骨腫、多発性神経線維種、網膜芽細胞種、筋硬直性ジストロフィーなどがある。

しかし、人の問題は、ここまでに述べたほど単純ではない。

環境によっては有利な形質が不利になる

遺伝的に遠い外国人を見て、カッコイイと思う若者は多い。日本の女性人口は減り始めたが、女性の海外移住がこの減少に貢献している。 パートナーをしっかりと選ばなければならない女性のほうが、外国人に憧れる。これは、上に書いた進化の遺伝学、特に劣性遺伝子の特質を考えれば、理解できる女性の本能だ。

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次に、別の視点から異なる問題を指摘したい。健康に生きることができる遺伝子のセットを持っていても、状況によっては生存が困難になることがある。

現世人類の直接の祖先は、約20万年前にアフリカで誕生した(「絶滅をバネに進化する生物」)。このホモ・サピエンスは6万年ほど前にスエズ地峡を渡り、ユーラシア大陸へ行動範囲を拡大した。進化的には極めて短い6万年の間に、地球の隅々にまで広がった人類は、ネグロイド(黒色人種)、コーカソイド(白色人種)、モンゴロイド(黄色人種)などの人種に枝分かれした。

この枝分かれは、人類が居住地の自然環境に適応した結果だ。太陽の真下に住むネグロイドは、細胞破壊とがん化に関与する、危険な紫外線が体内へ透過するのを防ぐために、メラニン色素を皮膚に蓄積させた。また汗の蒸発によって体温を下げるために、汗腺が多くなった。寒冷地に住むコーカソイドの汗腺は約170万個だが、ネグロイドは約260万個の汗腺を持っている。
陽光は皮膚でビタミンDを作らせる。ビタミンDが不足しがちなコーカソイドにとって、皮膚のメラニン色素が少なくなることは、生存のための有利な条件になる。

穀物食を中心にしたモンゴロイドの腸の長さは、植物繊維を消化するために8~9メートルと長い。肉食中心のコーカソイドの腸は、6メートルほどしかない。

生活環境に適応できる体質を作り上げる遺伝子は、優性遺伝子になる。片方の親から受け継ぐだけで子の生存が有利になるので、環境適応優勢遺伝子を持つ者の子孫は、急速に増える。これが、短期間のうちに異なる人種を誕生させるバネになった。

特定の自然環境下にある地域では有利になっても、環境が異なる他の地域では、不利になることがある。陽光の少ない北方では、光を遮断する皮膚のメラニン色素を多く持つ者は、生存に不利になる。逆に、コーカソイドが陽光の降り注ぐ地域で生活をすれば、皮膚がんになりやすい。腸の短いコーカソイドが、繊維の多い穀物食を主食とする地域に移動すれば、繊維の消化が不十分になるので、生存において不利になる。
このことは、人種的に遠い関係にある両親から生まれた子は、異なる環境への適応力を有すると同時に、両親が住んでいたどちらの環境にも完全に適応するのが困難になる、という宿命を背負うことを意味する。

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近親交配では、生存に不利な体質を持った子が、生まれる可能性が大きくなる。逆に、異人種間に生まれた子は、環境への適応力で不利になる場合がある。この生物学的な真理を本能的に知っている人間は、パートナーを探すときに揺れ動く。異質への憧れと同質への回帰。生物学的な必要性が、人間の日常的な心理を変える。

社会にも同じ原則が当てはまる

ここまでは生物学的なトピックだった。次に社会学的なトピックへ移る。 社会的な生物である人間は、社会においても異質への憧れと同質への回帰の間で揺れ動く。

個人、地域社会、国家、人類の存続のために、いろいろなレベルで離合集散が行われている。 社会的に同質な人間だけで固まろうとする本能。逆に、よそ者を排除すれば社会の活力が失われ、社会は衰退してしまうことを本能的に知っているので、あえてよそ者を受け入れようとする。 これら相反する本能が、社会に複雑な動きを与える。

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2008年に、自民党の中川幹事長が、移民1000万人計画を打ち出した。彼の論拠は、日本の人口高齢化と人口減少を補うために、若い移民を入れることが必要、というものだった。
若い移民は、不足する労働力を補うだけではなく、縮小する市場に歯止めをかける役割を果す。しかし、中川は、大量の移民流入が意味する、複雑な問題を考慮していなかったのではないか?上に書いた同質への回帰本能が、極端な異質導入政策とぶつかってしまう。

建国時から相克に揺れたオーストラリア

移民の国オーストラリアで、今までに書いた問題が単純明快に現れている。

オーストラリアは、イギリス人を中心にしたヨーロッパ系の移民が住む国として、建国した。そこにはアボリジニ(先住民)が住んでいたが、採集生活をしていた弱小の先住民は、文明で武装したヨーロッパ人に抗する術を持たなかった。しかし、北方にはモンゴロイドが住んでいる。それも大変な数のエネルギッシュなモンゴロイドが。その地政学を考慮すると、 アジアの国々と関係を良好に保たなければ、オーストラリアの繁栄はない。ところが、ちょっと油断をすれば、人種的にも文化的にも異質なアジア人に圧倒されてしまう。

建国の初期、ゴールド・ラッシュの時代に、不足する労働力を補うために中国人労働者を大量に流入させた。この異質な民族の大量流入の結果、オーストラリア人と中国人の間で殺し合いにまで到る紛争が勃発した。この紛争を受けて1901年に制定された憲法で、有色人種を対象とする「連邦移民制限法」が成立。 世界で初めて人種差別を国是とした国家になった。これが白豪主義だ。

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1970年代に 高度成長した日本が、オーストラリアの最大の輸出相手国になった。地下資源や農産物など、総輸出の40%以上が日本向けになった。 人種的にも文化的にも異なる人々が住む日本が、オーストラリアを繁栄させるために最も重要な国になった。
この頃、観光ビザを申請した日本人が、永住ビザを支給されたという逸話が残っている。お得意様の日本人の移住が、大歓迎された時代だった。そして、 日本以外の国で日本語学習者が最も多い国がオーストラリアになった。

極右政党の台頭

どの国でも豊かな人と貧しい人の間のギャップは広がりやすい。オーストラリアでも世界景気が低迷すると生活が苦しくなり、 将来に希望を持てない底辺の人々が増えた。そのような人たちの不満を、反アジア・反先住民のキャンペーンで政治的に利用する極右政党が、1990年代半ばに躍進した。

Hanson

1996年に、女性の連邦議員ポーリン・ハンソンが、議会で激しい反アジア人・反先住民のアジ演説をおこなった。
「このままでは、21世紀にオーストラリアはアジア人に呑みこまれてしまう。アジア人を入れるな。アボリジニの福祉を手厚くするのは、白人に対する人種差別だ。アボリジニの選挙権を取り上げよ」

彼女はその後も機会があるたびに過激な発言をした。
「異なる文化が入るのを認める多文化主義を止めよ。オーストラリア国内で英語以外の言葉を使うことを禁止せよ。外国人学校は廃止だ。海外援助を停止せよ」「銃は誰にでも自由に持たせよ。アジア人との市民戦争をいとわない。難民で来た人たちをもとの国へ送り返せ」「ティーン・エージャーに対して戒厳令を敷き、夜中の0時以降に街で見かけたら逮捕せよ。子供をふたり以上持っているシングル・マザーの手当を全廃せよ」

ついには、「国民がこのビデオを見るとき、私は暗殺されて墓の中にいる」などという、「遺言ビデオ」まで作ってテレビで流させた。

異質化と同質化の間で揺れる人々の心理

ハンソンの人種差別主義に対しては、議会での演説直後から反発する人が多かった。彼女の集会があるたびに激しい人種差別反対のデモが起きた。以前、首相をやったことがある保守党のフレーザーが、ハンソンの人種差別主義を繰り返し激しく批判した。
「反アジア人・反先住民・反ユダヤ人の主張は、オーストラリアの国益を著しく損なう」

ところが、ハンソンの地元のクーインズ・ランド州で、ハンソンのワン・ネーション党(単一国家党)の支持率が、一時20%を超えた。全国的な与論調査でも、ワン・ネーション党の支持率は、20%弱になることが示された。

州議会選挙でワン・ネーション党が勝利すると、マスコミのハンソンに対する評価が変わった。人種差別主義者という言葉は後へ退き、国民の腹の底に溜まっている不満の代弁者、ということになった。
「人々は、見えない未来、失業、スモール・ビジネスの倒産、農場経営の行きづまり、田舎での社会サービスの低下、教育費や医療費の削減などで、不満を鬱積させている。しかし、これらの不満を既成政党は無視している。何か言いたくても言えない人たちを、ハンソンは代弁している」

驚くべきことに、ハンソンは、2010~20年代のアメリカで旋風を巻き起こした、トランプの先駆けになった。当時のオーストラリア社会を見ると、変節したマスコミの言うことには一理があった。だが、専制的な為政者がよくやる、 人々の不安と怒りのはけ口を社会の中の弱者へ向けさせる戦術は、とても危険だ。人口の5%しかいないアジア人。それよりもさらに数が少なく、貧しいアボリジニ。そして、シングル・マザーなどの社会的弱者。これらの人たちを不満のはけ口にすれば、何が起こるだろうか。

社会に存在する異質な人たちこそ、同質ゆえに発現してしまう、劣性遺伝子を抑えることに貢献する。異質を除去して完全に同質な人間だけにすれば、社会的な劣性遺伝子の発現頻度が高まり、社会は次第に弱体化していく。その実例が、ピレネー山中のアンドラやバルカンのアルバニアに見られる。

人種差別に反対する高校生のデモが発生した。全国で何万人もの高校生が街へ出た。 自分の教室に多様な人種の友だちがいる高校生にとって、ハンソンが主張するような人種差別は、とても不自然なのだ。このような若者は、異質が混じることによって生活が活性化されることを、日常生活で身をもって体験している。

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ハンソンの台頭は突然だったが、凋落もまた突然だった。1998年にオーストラリア連邦議会の選挙があった。ハンソンは、定員150人のところ、15~16議席を取ると豪語していた。しかし、ワン・ネーション党の得票率は予想よりもずっと低く、8%だった。党首のハンソンが議席を失っただけではなく、下院(衆議院)で議席を全く取れなかった。ワン・ネーション党は無議席になった。

票を食われることを恐れていた他党ばかりではなく、良心的なオーストラリア人もこの結果に喜んだ。早速、「オーストラリアはどの人種に対しても寛容な国であることを、世界中に示すことができた」、という声明を政府が発出した。

ワン・ネーション党が負けた原因は、支持者がハンソンを不満の代弁者として見ていただけで、政治家としてのハンソンに対する期待は、それほど大きくはなかったことをあげられる。 さらに、ハンソンのだらしのない個人生活が、彼女のネガティブなイメージを強化した。

それでも、ハンソンは選挙後にアジ演説をおこなった。
「日本、インド、ビルマ、セイロン、そして全てのアフリカ人たちは、白人を猛烈に嫌い、また互いを嫌いあっている。私たちは、これらの人々をこの国にほしいと思うか?私はひとりの純血なオーストラリア人として90%のオーストラリア人を代表し、『No!』と言う」

ハンソンは、優性遺伝子と劣性遺伝子のバランスを欠いた、一方に偏りすぎた女性だ。社会にはこういう人間がいるが、全く逆の方向へ動く人間もいる。全体としてはバランスが取れ、社会は健全に機能する。

ワン・ネーション党は消滅した。けれどもしばらく前の意識調査によると、15才から20才までのオーストラリアの若者の65%が、「オーストラリア人は人種的偏見を持っている」と答えている。 異質への憧憬と同質への回帰の間でオーストラリア人の苦悩は続く。もっとも、これはオーストラリア人だけの問題ではない。日本人も、生物が持っているいくつかの本能の間で、同じように揺れ動いている。


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