オーストラリアで、2ヶ月令(人1才)のモンタを貰い受けた。写真1Aは家へ来てから2ヶ月目、4ヶ月令(人2才)のモンタ。
写真1Bは日本。死の5日前に、海岸の防波堤で撮った。このように「キッ」とした表情を見せることは、滅多になかった。この写真は、モンタと私たちの間の強いきずなを示している。そう判断した理由を本文で書く。1Cは、大好きだったクマさん毛布に包まれて永眠するモンタ、13才3ヶ月(人95才)。1年間がん治療を行ったが、直接の死因は心不全だったと思われる。
写真1Aと1Bの間で、驚きと喜びに満ちた13年の年月が流れた。
このエッセイは、私たちと13年間生活を共にし、人間家族の一員として生きた、犬の物語だ。モンタの心の軌跡を追いかけることになる。
なおモンタの年令の後に、大型犬の平均寿命11才と、日本人男性の寿命79才から割り出した、人換算での年令を書いておく。
エッセイ11「ペットが命の重みを教えてくれる」 は、モンタの生前に書き、今回のエッセイの前編になる。
モンタは2010年1月7日に永眠した。
その5日前に、妻と一緒に、少し離れたところにある海浜公園へ出かけた(写真1B、2)。 以前に、何度も歩いて行ったことがあった。その日は、がん治療と高齢化で体力が落ちていたので、モンタが大好きなドライブを兼ねて、公園の駐車場まで車で行った。
駐車場は公園の東の端にある。ビーチを散歩し、駐車場へ戻る途中の公園で、モンタは何度も立ち止まって、後をじっと見つめた。後方は西になる。この奇妙な行動に、私と妻だけではなく、近くを散歩していた人まで不思議がった。
ビーチと数百メートルの長さがある防波堤で、モンタをビデオに撮っていた。モンタの死後に、そのビデオを見て気づいた。そこでも、モンタは西方を気にしていたのだ。歩きながら立ち止まって西を見たり、西を見ながら砂浜に横になったりしていた。
死の前日に、いつも散歩をしている近くの公園で、早歩きをした。帰り道で、モンタは普段とは異なる行動を取った。食欲旺盛で、拾い食いを止めたことのないモンタ。このときだけは、わき目もふらず、一心不乱に家まで歩いた。
帰宅して、昼食時から2~3時間、床に寝転んで苦しそうな呼吸をした。それも夕方までには回復した。
生前は、まだ生き続けることを前提に、モンタを見ていた。それで、「いつもとは違うな」、という感想を持つにとどまった。今、死を起点にモンタの過去の行動を振り返ると、全く違った理解になる。
野生の本能を残している犬。人に飼われていても、死期が近づくと家を離れ、誰にも分からない安全な場所で、息を引き取ることがあるという。その究極の安全な場所は、モンタにとっては我が家だったに違いない。
海浜公園から西の方角に、私たちのマンションがある。
死期が近いことを本能的に悟っていたモンタ。海浜公園で、家から離れていることに不安を感じたのだろう。死の前日の散歩では、家に戻ることだけを考えていたはずだ。
1月7日、モンタは、いつもの就寝時刻に自分のベッドに入った。一番快適なポジションを取った。そして眠るように息を引き取った(第2部を参照)。
カナダ、ブリティッシュ・コロンビア工科大学のコレンによると、犬の知能は、人の2才児ほどになるという。他に、3才児相当という説がある。
犬の舌や喉頭、あるいは頬の筋肉は、解剖学的に人とは異なる。人と言葉で会話をすることはできない。しかし、犬が知っている単語、数えられる数、簡単な計算力、ジェスチャーでの意思表示などから、知能は幼児並みと判定された。2~3才の幼児は、勿論人間として扱われている。犬を単なる動物として扱うことは、基本的に間違っていることになる。
人と同じように、生まれ育った環境によって、犬の知能は大きく変わることが考えられる
(エッセイ6「人は教育によって人間になる」)
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人の知能が、遺伝的に規定される部分は3割。あとの7割は、後天的な学習によって形成されるという。アインシュタインの子供は、天才ではなかった。昔インドで見つかった、狼に育てられた少年は、狼と同じように四つん這いで走った。うなり声でコミュニケーションを取った。以上は、何も不思議ではないことになる。
基本的な知能が、人の幼児ほどもある犬。人に育てられると、狼少年とは逆に、人間らしい方向へ成長する。
通説によると、犬の先祖はシベリアの狼だった。この300~400年ほどの間に、近親交配によって、イギリス人やドイツ人が主要な改良を加え、容貌や心理が異なる多様な犬種を作り上げた。この人・犬関係では、人は犬の上位に立つ。神の位置を占めることになる。
犬は、命令を聞く訓練を受けさせられる。狩りや競技で、人の命令通りに動かなければならない。人が望むような行動を取れるかどうかで、能力が判定される。飼い主に命令されて、障害物の間を走り抜ける競技は、その典型だ。
ここでは、生後の学習において受身であることを強いられる。こんな生き方をさせられる犬の知能の発達は、低く抑えられてしまうかもしれない。
知能の発達に環境が大事なことは、大型犬と小型犬の比較によっても裏づけられる。一般に、大型犬は小型犬よりも知能が高いという。脳のサイズの違いによるのではなく、後天的な学習の効果が大きいと、思われる。
日常生活における移動という、最も基本的な行為についても、小型犬は受身になる。飼い主は小型犬の気持ちを無視して、自分の都合で、どこへでも、抱いて自由に移動させることができる。
大型犬は、そういうわけにはいかない。犬を、自ら動くという気持ちにさせなければ、家の中でも飼い主の思い通りにはならない。飼い主は、ほめたりおどしたり、食べ物をやったりと、いろいろな工夫をする。犬も、自分の意思を飼い主に積極的に教えるようになる。
自分よりも知能が高い、人とのコミュニケーションのために自ら考え行動する。この日常的で密なコミュニケーションが、間違いなく犬の知能を高める。
幼犬時代から高齢化するまで、モンタと一緒に生活をして、意外だったことがある。犬の学習能力には高齢化の影響が少ないのだ。90才の人が、全く新しいことを学習するのは困難だ。ところが、13才(人93才)の犬は、日常的に新しいことを学んでいく。食事の仕方、トイレの行き方、自分に好意を示す人の記憶。全てを1回の経験から学んでいく。
ただし、これには個体差があると思われる。モンタには強烈な好奇心があり、散歩のルートも、いつもとは異なる方向へわざわざ行こうとした。新しい刺激を受け入れる能力が、最後まで保たれていた。
このウェッブサイトのトップページに書いたように、飼い主である私にも強烈な好奇心がある。犬と飼い主は似るという。モンタは私に似たのかもしれない(?)。
犬は人の言葉を認識できない、という説がある。飼い主の表情に反応しているだけだ、という。
言葉を認識するということは、言葉を何かの象徴として理解するということだ。高度な知能が必要になる。
語彙は少ないが、犬は明らかに人の言葉を認識している。人も同じだが、自分に興味のない話や周囲のできごとには、注意を向けることが少ない。記憶に残りにくい。犬の世界は人の世界よりも小さい分、興味を向ける範囲が狭くなるという違いはある。
モンタが離れた部屋にいても、「モンタ」と呼べば、私のそばへやって来た。他の家族の名前を呼んでも、モンタは反応しなかった。モンタという言葉が、自分という特定の個体に対して付けられている。それを、明らかに理解していた。
妻とモンタの話を始めると、半分居眠りをしていたモンタが、きっと頭を上げ、目を輝かせることがあった。他の名前しか会話に出ていなければ、こうはならなかった。飼い主の態度ではなく、言葉に反応していたのだ。特にモンタに関心のある、散歩や食事の話をしているときに、そんな反応をすることが多かった。
相手の呼び方にはいろいろある。人間ならば、「あなた」、「たけお」、「たけちゃん」、「たけ」、「たーちゃん」など。武雄は、これら全てが、自分を指していることを理解し、反応する。
犬も、異なる言葉が、自分を指していることを理解できる。「モンタ」、「モンちゃん」、「モン」、「モンタくん」、「モンこ」、「モンちっち」など、異なる言葉でモンタを呼んだ。これら全てが、自分の呼び名であることをちゃんと理解していた。
自分の名前以外で最初に憶えた日本語は、「お出かけランラン」だった。この言葉は、離日時に、テレビのコマーシャルでよく流れていた。
自分に都合の悪いことは憶えない、あるいは知らない振りをした。しかし、都合のいいことは1回で憶えた。大好きな散歩を意味する「お出かけランラン」は、すぐに理解するようになった。散歩の前に「お出かけランラン、ランララン」と言うと、モンタは大喜びで私にジャンプした。
犬にも変声期がある。モンタが声変わりをしたのは、1才3ヶ月(人9才)の頃だ。乳歯から永久歯へ歯が抜け変わる時期もある。雌犬にはメンスもある。人も犬も同じ哺乳動物なのだから、生理的には基本的に違いがない。
犬はいびきもかかないし、夢も見ないと思っている人が多い。言葉の認識だけではなく、こんな生理も基本的には人と同じだ。犬は、いびきをかくし夢も見る。
私たちのベッドへ入り込んで、足元でいびきをかいているモンタは、おかしかった。
ソファーで睡眠中に足をばたつかせ、歯を少しむき出しにすることがあった。うなり声も発した。悪い夢を見ていたのかもしれない。そんなときは、自分の声に驚いて目を覚ました。横になったまま顔を上げると、私を見つめた。ばつの悪そうな顔をしたことを思い出す。
遺伝的には狼の能力を引きついだ犬。その能力を使って、種が異なる人間のようになるために、モンタは相当な努力をしたはずだ。挑戦の大きさを考えれば、ストレスが大きくなったことがあるかもしれない。
一生、学習能力が高い犬。小さいときから人間と一緒に住み、人間と同じように扱われると、犬はどのように「成長」するのだろうか?
モンタは、2ヶ月令(人1才)で我が家の一員になった。室内犬として、文字通り肌と肌を接して生活を共にした。
私たちはモンタを、完全に人間家族の一員として扱った。人間としての私たちが、命令をする相手ではなかった。
特に子供たちにとっては絶好の遊び相手。子供にとって、遊ぶときには犬も人も関係がない。友だちに対するようにふざけ、おしゃべりをした。
子供の遊び仲間が大勢来ると、大変だった。モンタは自分も仲間の大事な一員と、心得ていた。2階建ての家の中を、モンタを中心にした子供軍団が、嵐のように走り回った。笑い声と悲鳴で家が揺れた。
こんな調子だったので、普通なら飼い主がまず教える、「お手」、「お坐り」、「おあずけ」さえも教えなかった。人間どうしの会話と同じように話しかければ、モンタは犬語で、ちゃんと応えるようになった。何事につけても、とてもおしゃべりな犬になった。
こういう人・犬関係はモンタを成長させたが、間違いなく私の人間息子たちも成長させた。自分以外の個に対する接触の仕方を学んだ。とても大事な生きる者としての感情が育った。
カンガルーが出没するJゴルフ場。その周囲を1周する、6キロの道をよく歩いた。散歩の途中ですれちがう犬は、モンタに比べればとてもクールに見えた。前方をまっすぐに見、飼い主と同じ速さで、わき目もふらずに歩いていた。他に犬仲間がいようが、道に何が落ちていようが、全く気がつかないように見えた。
モンタだけが、すれちがう仲間に挨拶をしたがって、ジタバタした。道に誰かがかんだチューインガムが落ちていれば、食べようとした。
犬を、イギリス流の流儀で扱うオーストラリア人。犬は、人間がコントロールしなければならないものだ。犬の本能を抑えて、人の言うなりに行動するようにしつけることが、飼い主の義務になる。散歩の途中で、モンタに振り回されている私たちを見て、忠告する人までいた。
「犬が人に対して責任を持つんじゃなくて、人が犬に対して責任を持つんじゃなくちゃ、だめだ」
モンタが余りにも自由奔放なのを見かねた、隣のイギリス系オーストラリア人のキャシー。妻にモンタの訓練をすすめた。近くの公園で、プロのトレーナーが、週1回、犬の扱い方を教えてくれる。
その公園へ行くと、モンタは予想通りに喜んだ。何しろ犬でも人でも、誰でも大好きなのだ。はしゃぎ回った。他の犬と遊びたくてジタバタした
モンタは、トレーニングは初めての、6頭の犬のグループに入った。まず最初に、飼い主の左側にピタッと付いて、歩く練習だ。ところが、前にいた同じ年の、モンタより少し大きい白い犬と気が合ってしまい、大変だった。遊びたくてお互いにじゃれあった。飼い主の横に付いて、歩くどころの話ではなかった。
そこで、明らかにモンタを嫌っている、いじわる犬の後を歩くことにした。さすがのモンタも、近づくとかみつこうとする、相手の犬のいじわるさはよく分かった。じゃれようとはしなかった。遠くにいる気のいい犬のほうがとても気になった。そちらへ行こうと、一所懸命に引っ張るのだ。最後には私もモンタもダウンしてしまった。
トレーナーが見かねてやって来た。モンタを立ち上がらせ、歩かせるやり方を私に教えようとした。ところが...モンタはトレーナーにだって手に負えないのだ。トレーナーになでられて喜こんでしまった。トレーナーの命令で立ち上がるはずが、逆にコロンとひっくり返り、「おなかをもっとなでてよ」という催促。さすがのトレーナーも、モンタの人なつこさには降参してしまった。
モンタの大騒動ぶりに、他の飼い主たちは大迷惑。それで、1回だけで訓練をあきらめた。
犬に期待される行動はせず、芸もやらない犬になった。その代わりに、より人に近い知能、心理、感情、行動を示す犬になった。
オーストラリア滞在中に、日本人をホームステイで大勢受け入れた。これが若いモンタの心理に影響を与えて、「世界観」を広げた可能性がある。
自分が所属する群れの意識が、全ての人に広がった。初めて会っても、群れのメンバーとして受け入れるようになった。これが、誰にでもなつく態度につながったのではないだろうか?
ただし、なついて甘えながらも、強い自我を持っているところは、犬らしくなかった。モンタの心理の90パーセントは、誰でも受け入れる、人・犬なつこさに支配されていた。残り10パーセントの部分に、自己を主張する自我を持っていたのだ。この部分を犯されることを強く拒否した。それが具体的な行動として現れると、自分の意志を押し通すことになる。
自分のからだを傷つけることになる爪切りは、断固として拒否した。
散歩では自分の行きたいほうへ行く。オーストラリアで、長男が珍しく散歩に連れて行ったことがある。勝手に歩くモンタに引かれるまま散歩をしているうちに、道に迷ってしまった。
食事中に、ふざけた誰かが、モンタの食物を取るふりをした。かむことはないが、歯をむき出してうなり、モンタは厳しい警告を発した。
オーストラリアで、1本2ドルの牛の大たい骨を、スーパーで買って来ることがあった。加熱・乾燥させた同じ骨を、日本のホームセンターで売っている。オーストラリアでは、牛のからだからはずしたばかりの、肉も血も付いている、生の骨を売っているのだ。
買い物袋にこの骨が入っていることを知ると、モンタは興奮した。自分の物であることをよく分かっていた。モンタに辛抱させることはできなかった。貰うまでとてもうるさくまとわりつくので、根負けしてすぐに与えることになった。
モンタに与える前に軽く煮た。この骨を貰うと、モンタは本能丸出しになった。誰かが近づくと、野獣の目でにらみながら、「ウー」とうなった。ところが、どういうわけか、家族の前で食べることを好んだ。40センチもある骨を、皆がいる居間で食べようとした。庭へ追い出すのに苦労した。
このように大きい骨をかじるのには、体力を使う。満腹にもなる。モンタは半分ほど食べると、残った半分を庭のどこかへ埋めた。骨髄が腐った頃にそれを掘り出して、部屋の中へ持ってきてかじるのだ。部屋は臭く汚くなった。
モンタが掘り出す前に見つけて、捨てるか洗ってモンタにやるのが、私の仕事になった。私に見つけられないように、モンタは次第に巧妙に骨を隠すようになった。
家具の配置や家の中での家族の行動が、変化することを好まなかった。家具の配置を変えようとすると、マウンティングして邪魔をした。ヨガのようないつもとは違う動きを見せれば、またまたマウンティング。
若いときのモンタは肥っていた。4才(人28才)のときの体重が37キロ。鼻の先から尾の付け根までの体長は120センチ。オーストラリアでも日本でも、「もっとやせさせたほうがいい」と、獣医師から何度も言われた。それで、10年近くもかけて6キロの減量をした。最後に、体重はやっと30キロ余になった。
ところが、太めのモンタのほうが触ると気持ちがいい。テレビを見るときに、私は37キロのモンタを呼んだ。ソファーの前に腹ばいにさせると、フットレストとして使ってしまったのだ。
「ふわふわ柔らかくてあったかい。とっても気持ちがいいよ」と、モンタに礼を言った。
私だけではなかった。家族全員がモンタに抱きついて、「柔らかくって気持ちいー」と、言っていたのだ。家に来たお客も誰もがモンタに触りたがった。触られると、お返しにモンタはじゃれまくった。
こんなスキンシップが、間違いなく、触り触られるのが大好きな猫のような犬にした。そしてこれが、モンタの人間化に大きな影響を与えたことになる。
モンタの得意技は、後からのお尻攻撃だった。モンタの鼻の位置は、ちょうど人の一番敏感なところへ触る高さにあった。
モンタの鼻はぬれていて、冷たいような温かいような...。そして硬いような柔らかいような...。とても微妙な感触だった。頬は温かくて柔らかい。このとがった口のところで、誰の尻でも遠慮なく後から突くのだ。お客に来た淑女は、当然うれしい悲鳴を上げた。
「キャー、エッチ、いやらしー」
この攻撃を受けると、私もうれしそうに(?)跳び上がった。 皆のこんな反応から、後からのお尻攻撃は誰からも歓迎されると、モンタが誤解していた節があった。この攻撃は日本でも続いたのだ。
モンタが後足で立ち上がれば、口の高さは、大人の口の高さと同じになった(写真11)。若く元気なときには、外出していた家族が帰ったり、仲のいいお客が来たときに、立ち上がってキスをした。もっとも、37キロの体重を受け止めるのは難しかった。不意打ちをくらえばよろけてしまった。
オーストラリアの海岸には、人が泳ぐ場所とは離れたところに、イヌ専用のドッグビーチがある。
このビーチがモンタの一番の社交場だった。犬がいつもたくさんいた。大きい犬、小さい犬、白い犬、黒い犬、赤い犬、黄色い犬、4本足の犬、3本足の犬、雄、雌、ニューハーフ、なんでもいた。モンタはうれしくて、全部の犬に挨拶した。でも、怒ってかみつこうとする犬がいた。気の合う犬がいたならば、背中を丸めて全力で走り、追いかけっこをした。
このビーチで、私たちには残念なことがあった。モンタが何も芸をしないことだ。文字通りの無芸大食。他の犬は、飼い主が投げたボールや木の枝を、一所懸命に追いかけた。そして、ちゃんと口にくわえて、飼い主のところへ持って来た。しかし、モンタには、自分で動きもしないボールや木の枝など、おもしろくもおかしくもなかったのだ。ただの無機物。生き物のほうがずっとおもしろい。
少し大人になると、ビーチで、家族を守る犬として、それなりの振る舞いをするようになった。ビーチでは、ビニールシートを敷いて荷物を置いてあるところが、私たちの家だ。モンタはそこを中心に動き回った。家族の誰かがシートからどんどん離れて行くと、歩みを止めさせるような行動に出た。歩いている家族の前へ回って、両足の前でからだを横にした。それ以上、遠くへ歩けないようにしたのだ。
大人になってからは、家の外では間違いなくリーダーのつもりでいた。家から一歩出れば、家に戻るまで、モンタは一緒に外に出た家族を見失わないようにした。何人か一緒に外に出たときには、誰かが、用事で別のところへ行くことができなくなった。モンタがどこまでも後を追おうとしたからだ。
リーダーとしてのこの責任感を、死ぬまで持ち続けた。死の5日前に海岸の防波堤へ行ったときに、私は遠くからモンタを連れた妻のビデオを撮っていた。モンタは私を見失ったのに気づいた。最初に掲げた写真1Bが、私を探してモンタがキッとなっているときの写真だ。
ただ人なつこいだけではなかった。何が遊びかもよく心得ていた。家族とじゃれあう術を知っていたのだ。
オーストラリアの家のキッチンは、タイル張りだった。床に立ててあった電子レンジの鉄の網が、倒れたことがあった。そのときの金属的な衝撃音は、耳が鋭敏な犬にはとてもいやな音だった。モンタは文字通りに跳び上がった。
その後、誰かが立てかけてある網に近づくと、「倒すなよ」という警告のために吠えるようになった。いたずらが大好きな次男には、吠えるモンタがおもしろかった。モンタが見ているところで、わざと網に触るようなふりをした。そこで次男の尻にがぶり。本気でかめば、牛の大たい骨でもかみ砕くあご。次男は「痛いっ!」と跳び上がったけれども、とても柔らかいかみ方なので、かんだ痕は何も残らなかった。
次男はおもしろがって、網に触るふりを繰り返した。そんな気配を感じると、次男が網からまだ2メートル以上離れていても、警告のおふざけ攻撃をした。それは、お尻攻撃だったりマウンティングだった。
家にはまた、モンタが好きなかくれんぼうに、絶好の場所があった。2つの居間の間の壁の両側にミニバーとストーブ。そこを回りながらかくれんぼうができた。写真16の左側に、その箇所が3分の1ほど写っている。
逃げる家族を目を輝かして追うモンタ。モンタに捕まると、マウンティング攻撃を受けることになった。
日本に来てシニアになってからも、モンタの遊び心は保たれた。部屋の中でも、いつも家族の誰かの後を追うモンタ。家族が突然に止まれば、モンタの顔は尻にぶつかった。それが遊びであることをすぐに理解し、マウンティング攻撃になった。
モンタの前で家族が抱きついたりキスをすると、モンタの遊び心に再び火が付いた。甲高いうなり声を上げて、間に入り込んだ。ふざけがみをした。マウンティングをした。けれども、「うわー、モンタが焼きもち焼いてる」などと言って、人間家族の悪ふざけはエスカレート。皆でからまりあって大騒ぎになった。
ふざけていても、かむことは家族にしかやらなかった。犬がかむということは、たとえ愛情表現でも誤解を受けやすい。一番近い家族以外にやれば、危険なことになる。相手が、いつ攻撃と誤解するか分からないからだ。
犬にとって、この誤解は大変な結果をもたらす。それで、かむという愛情表現を家族以外にすることには、ブレーキがかかっていると、理解できる。
写真16の部屋の右側は、ダイニングキッチンになっている。食欲旺盛なモンタ。この部屋がお気に入りだった。誰かが食べていると、分け前を要求した。それが口にさらをくわえた写真17のスタイルだ。
このさらが裏返しになって、タイル貼りの床に落ちた。そうなると口でくわえることは難しくなる。足でひっくり返そうとしても、タイル貼りの床を滑ってさらは逃げてしまった。パニックになったモンタは、部屋の隅から隅まで、さらを必死に追いかけた。
それが犬のサッカーに見えた。モンタを除いて皆が笑った。
オーストラリアの家には、モンタがトイレとして使っていた庭に、2メートル四方の砂地があった。この砂地にスイカの種をまいたところ、とてもよく育った。オーストラリア特有の細長いスイカだ。
実がだんだん大きくなって、濃い緑色の筋が入った頃、モンタはこの実は食べられることに気づいた。まだ熟していない、口にくわえやすい小さいスイカを、つるから食いちぎった。それを家の中へ持って来た。モンタがじゃれたりかんだりしたおかげで、家中に新鮮なスイカの香りが漂よった。家族は皆おかしがった。モンタは図に乗った。
モンタは、大きくなったスイカを次から次に取ってしまった。その数、およそ15個。私はあわててネットをかぶせたが、満足に最後まで育ったのは、たった1個だった。