東日本大震災によって、私の家のガラス食器や陶器類がいくつか壊れた。その被害に、マンションの壁の剥離とひび割れが加わる。ラッキーと散歩をする近くの公園では、地割れと液状化が起こった。
私たち家族が受けた現実の被害は、その程度だった。しかし、他の多くの日本人と同じように、この震災によって、心理的にとても大きなインパクトを受けた。
環境への破壊が瞬間的に起こる地震と、放射線被爆の影響が、長期に渡って継続する原発事故。日本を襲った二重の危機は、文字通り国難と言ってもいい。
地震は、日本に住んでいれば、いつでもどこでも経験する。私はそれなりに関心を持って、地震を特集した雑誌などを読み、情報を集めていた。
しかし、原発に対する関心は薄かった。 私が住む地域の近くに、原発は存在しない。テレビでも雑誌でも、原発関連の話題が出たときには、十重二十重の安全性が確保されていることについて、繰り返し説明された。原発の安全性を疑い、問題意識を高める状況にはなかった。
今回の原発事故をきっかけにして、初めて原子力行政を調べ始めた。 少し調べただけで、日本の原子力行政の裏側には、何やらとても深い闇が潜んでいることに、すぐに気づいた。政官学業に国家規模の利権がからむこの闇は、日本壊滅に結びつきかねない。 庶民の一人に過ぎない私だが、看過できるものではない。そこで、急いで集めた情報を私なりに解析し、いくつかの会合で、日本の真の危機を、何人かの人たちに訴えた。同時に、ネットの掲示板に書き込んだ。
まず、メディアが過小評価している、地震の破壊エネルギーの巨大さを、指摘しなければならない。 マグニチュード9.0の地震が放出するエネルギーは、直径400メートルの小惑星が、地球へ衝突したときに放出する総エネルギー量に、近い。 繁栄を誇っていた恐竜は、6500万年前にユカタン半島へ落下した、直径10キロ強の小惑星によって、絶滅させられた。そのおかげで、ネズミのように小さかった哺乳類の祖先の進化が始まり、最後に人類が誕生した( エッセイ2 「絶滅をバネに進化する生物」)。
直径400メートルの小惑星が日本近海に落下すれば、人類絶滅には至らなくても、莫大な自然エネルギーによる破壊を、誰にも止めることができない。どのような技術も、この破壊力の前には無力だ。 私たちは、この単純な真理を、受け入れなければならない。
今回の地震の震央から福島第一原発までの距離は、180キロもあった。 震央のマグニチュード9.0という数字ばかりが強調されるので、原発が、想定外(「想定外」という言葉がどう使われたのかを、エッセイ20「不都合なことは想定外、不思議な国日本」に書いた)の震度9.0の巨大地震に見舞われたという、錯覚に襲われやすい(マグニチュードは震央の地震のスケール、震度は特定の地域における地震の揺れ)。実際に、そういう報道がある。しかし、 福島原発における震度は6強に過ぎなかったのだ。
原発推進論者は、この程度の震度で、原発が決定的な打撃を受けたことを、認めるわけにはいかない。 圧倒的に巨大な津波が電源装置を破壊したことが、原発事故の原因になったと、東電と政府は繰り返し説明した。ところが、震災から2ヶ月も経ってから、雲行きが怪しくなってきた。
3月11日午後2時46分、地震発生。その直後に、福島第一原発の非常用冷却装置が停止したことを、5月15日に東電が公表した。「地震発生直後に、原子炉に制御棒が挿入され、原子炉は緊急停止した。炉内の圧力が急激に低下したために、地震から約15分後に、手動で冷却装置を停止したと、思われる」との状況説明があった。原子炉圧力容器のデータを見ると、津波到達(3時半頃)までの間に、何度か、冷却装置の起動と停止を繰り返していた可能性があるのだ。
この間に、原発事故で最も深刻な炉心融解(メルトダウン)が1号機で起こったが、この発表も事故から2ヶ月も経ってから行われた。間もなく、2号機、3号機もメルトダウンしたと思われる。すなわち、今回の原発事故は、最初からレベル7だったことになる。
津波が決定的な事故をもたらしたことは、事実だ。しかし、地震による振動が大きな事故を発生させた、とする専門家がいる。原発の耐震性に問題があり、津波の前に、既に大きなダメージを受けていた、というのだ。1号機を設計したGEのブライデンボーが、「原子炉の設計に欠陥があり、耐震性が低い」と、指摘している。また、「地震の揺れで、圧力容器や配管に損傷があったかもしれない」と、津波の前に重要設備が被害を受けていた可能性を、東電関係者が認めているという。
どこに落ち度があったのかは、今後詳細に解明されるはずだ。しかし、誰もが受け入れなければならない真理が、二つある。
地震多発国日本に54基もの原発がある。福島以上に深刻な原発事故を起こさせないために、今回の原発事故を、貴重な教訓としなければならない。それにはまず、意図的な原発安全神話を放棄することだ。全ての事態を想定した対策は、そのあとでしか確立できない。
まず原発ありきの原子力行政のもとに、当事者たちも信じてはいなかったと思われる、原発安全神話を関係者が流布した。原発による発電は、利益とリスクの両方を考えて、本当に妥当なのか?妥当性についての、冷静かつ合理的な検討が今までに行われたとは、思えない。
原発推進のために、意図的に、都合の悪いことを全て想定外にしたのならば、今回の深刻な事故に対して、関係する組織や個人が、責任を負わなければならない。
実際に起こった事態を、事前に本当に想定できなかったのならば、防災や原子力安全にかかわった行政担当者、事業者、科学者、技術者の能力が、とても低いことになる。原発事故が国全体にもたらす深刻な打撃を考えれば、今までの関係者の総入れ替えが必要になる。
「専門家」の想像力がどれほど欠如していたかを、次に指摘する。
この半世紀の間に、チリ地震マグニチュード9.5、スマトラ島沖地震9.3、アラスカ地震9.2、アリューシャン諸島地震9.1などの巨大地震が、太平洋の周辺で発生した。
日本だけが、地球環境から隔離されているわけではない。日本では、9クラスの地震は発生しないという主張に、「科学的根拠」などがあるはずはなかった。
逆に、50年余の間に、太平洋周辺で4回の巨大地震が発生したのだから、日本でも、いつ9クラスの巨大地震が発生してもおかしくはない、と考えなければならなかった。それが論理的思考というものだ。ところが、厳密な記録を入手できる比較的近い過去において、9クラスの地震が、日本で発生したという確証はないことから、9クラスの地震が起こる可能性を、専門家は予測しなかった。この専門家の想像力の欠如には、驚いてしまう。
未来は、科学者を含めた何者にも見通せない。極めて限定された「科学的根拠」をもとに、全てを見通しているかのようにふるまえば、それは最も非科学的な態度になる。
問題は、想像力の欠如だけではない。原発に関係する科学者の堕落は、権力を持つ者が、自分の利益のために、科学者を意図的に使うところから始まる。まず原発ありきの原子力行政が、科学の衣をかぶって、議論無用の原発拡大路線に走ることを、科学者は認めてはならない。
日本の原子力行政と産業は、膨大な予算を動かしている。ここから、国家規模の利権構造が生まれる。
利権の闇を隠すために、「知らしむべからず、寄らしむべし」という、明治以来の官僚主権国家の亡霊が現れる。政府と官僚は、愚民政策を次のように正当化する。
「政府が情報を管理している間に、パニックは回避され、危険な事態が収束する」。
ネット社会で情報を隠蔽するのは、むだな努力だ。アメリカのように、地震発生直後に米軍を動かして、日本よりも早く、原発周辺の放射能汚染データを収集してしまう国がある。情報の隠蔽は難しい。
政府はあり得る未来を全て見通し、事態がどのように展開しても、具体的に対応できるように準備をしなければならない。 最悪の事態にも対応できることを、国民に示すことが、最良の危機管理になる。都合の悪いことを全て隠蔽すれば、流言飛語がちまたにあふれ、社会の機能が低下する。その原因を作るのは、隠蔽体質の政府だ。デマに踊らされる国民は、被害者になる。
もっとも、東電は、計測機の故障で、原子炉の温度や圧力などの基本データでさえも、最初は正確に把握できかったようだ。下に書くように、企業と国が膨大な予算を投入して開発・建設した原発が、そんな体たらくでは、国民としては言うべき言葉を失なってしまう。
5月に来日し、福島原発、東海原発を視察した国際原子力機関(IAEA)が、6月1日に調査報告書の案を日本政府へ提出した。
報告書は、福島第一で、4機が相次いで爆発した事態を、極めて深刻に受け止めている。さらに、爆発にともなって放射性物質が広がったことから、健康被害を追跡調査するようにと、要求している。
IAEAは、日本政府の事故当初の対応を不十分とし、事故発生直後に、素早く対応できる体制を整えるようにと、注文をつけた。また、原発の規制当局は、透明性や独立性の確保が不可欠と、強調している。日本では、原子力安全・保安院が、原発を推進する経産省の傘下にあることを、問題視している。このほか、世界が福島原発の事故を教訓として学べるように、情報公開を要請した。
全てを国内で処理しようとする、危機管理のガラパゴス化は、このように深刻な事態においては通用しない。世界基準の光が当たることを、日本人は不幸中の幸いと受け取らなければならない。
ドイツ政府は、日本の震災の3~4日後に以下の決定をくだした。
「使用年数が最も長い原子炉7基を、非稼働とする」。
この停止分は、ドイツの原子力発電量の25%になる。日本がもたもたしている間に、ドイツは迅速な決定をしてしまった。一体、どちらが被災国なのか?
さらに、ドイツ政府は、18基の原発の全てを、2022年までに停止すると、5月に決定した。原発は、ドイツの総発電量の20%強を占める。メルケル首相は、太陽光、風力、バイオマスなどの自然エネルギーの大幅な活用によって、十分に代替ができると明言した。同時に、エネルギー効率の改善を、企業や家庭に求めている。
ドイツには地震がないのに、ここまでの政策転換をする。ここには、危機をチャンスに変える、ドイツ人のしたたかな戦略が見え隠れする。同様に、スイスも、原発全面停止を予定に入れた脱原発を進めている。
イギリス、オランダ、フィンランドのように、地震のない国では、既存の原発推進政策を変更しない予定だ。世界一の原発大国フランスにも、今のところ政策的な変更はない。ところが、フランスの世界最大の原子力産業複合企業アレバは、太陽光、風力などの自然エネルギー発電にも注力しはじめ、既にアジアなどの新興国へ、猛烈なセールスを始めている。したたかだ。
日本と同じように地震が多発するイタリアは、既に、全ての原発の稼動を停止させてしまっている。
先進国が集まったヨーロッパの状況を客観的に考慮すれば、地震大国日本が54基もの原発を保有することは、異常と言わざるを得ない。
アラブ諸国との問題を抱えたヨーロッパは、テロの標的になりやすい。原発は軍事施設などとは違って、テロに対して脆弱だ。しかも、テロの結果は、長期に渡って甚大なものになる。このリスクを想定に入れて、原子力政策を変える国が出てくることが、将来的には考えられる。
2007年の新潟県中越沖地震で、「想定外」の事故を起こした柏崎刈羽原発は、1985年(1号機)から1997年(7号機)に運転を開始。今回の地震で、「想定外」の事故を起こした福島第一原発は、1971年(1号機)から1979年(6号機)に運転を開始。
原発を増やすために、「甘い想定」を持ち出す原子力行政は、間違いなく日本に深刻な打撃を与える。
柏崎から福島へと「想定外」の事態が続いたからには、静岡県御前崎市にある中部電力の浜岡原発でも、「想定外」の事態が起こる可能性を、「想定内」にしなければならない。 浜岡原発で稼働していた3号機の運転開始は、1987年。4、5号機は、それぞれ1993、2005年。
2009年の静岡沖地震の震度は6.5で、震央は浜岡原発から30キロのところにあった。
総理大臣を会長とする中央防災会議は、いつ起きてもおかしくはないと言われる、東海地震の想定震源域を、浜岡原発を中心にした、最長数十キロの楕円形内に想定している。最悪の場合には、マグニチュード8クラスの直下型地震が、浜岡原発を襲う。東南海地震が連動すれば、想定外の9クラスになる可能性も否定はできない。この浜岡原発から10数キロのところを、東名高速道と東海道新幹線が通っている。
これが意味することは単純明快だ。東海地震の震央が浜岡原発に近ければ、浜岡原発に壊滅的な大事故が起こる。その結果、周辺は放射性物質で汚染され、東名高速道も新幹線も使用不可能になるばかりではない。交通の要所へ、工事の人や車両の出入りができなくなる。
日本全体への打撃は福島をはるかに超える。放射性物質が東へ飛べば、静岡、横浜、東京を、西へ飛べば、名古屋、京都、大阪を汚染する。
某会合で、浜岡原発の事故は日本を壊滅させると、私は述べた。その10日後の5月6日に、管首相が緊急記者会見を開いた。管は、浜岡原発の全面停止を中部電力に要請すると、表明した。私が述べたように、浜岡原発の危機を管が語り、そこでの事故がもたらす災難の深刻さを、管は強調した。タイミングがとても良かった。私が話をした会合の出席者が、「やったね。おめでとう」というメールを送ってきた。このメールへの私の返事、「管は真の危機を矮小化している」。
浜岡原発の4機の原子炉の発電能力は、合計360万キロワットだ。 4機あわせて、5万京ベクレルを越える放射性物質が、内蔵されている。この数字が意味するところは、素人には想像もできない。チェルノブイリで放出された放射性物質総量の、9.6倍になると言えば分かりやすい。
もしも直下型地震で浜岡原発が破壊された場合、飛散する放射性物質の量を、20%と少な目に見積もっても、チェルノブイリの2倍になる。チェルノブイリでは、350キロの圏内にあるホット・スポットで、農業の永久停止と住民の避難が勧告された。浜岡原発から東京や大阪までの距離は、200キロ。そして、飛散する放射性物質量はチェルノブイリの2倍。
想像するのさえも恐ろしいことが、起こる。人類が初めて経験する悲惨な災害になるのだ。 人口過密な日本の中枢部から、何千万人もの日本人が避難をしなければならなくなる。どうやって、どこへ避難するのか?
浜岡原発は単に停止させるだけではなく、即廃炉にし、残存放射性物質を、どこかより安全な場所へ移さなければならない。
管首相の問題把握の甘さは、次のような言葉に示されている。
「マグニチュード8強クラスと想定される、東海地震の震源の真上に、浜岡原発は位置している。その規模の地震に対する津波対策は、不十分だ。対策が十分になるまで、運転を停止させたい。他の原発には、運転停止を求めない方針だ」。
上に書いたように、今回の地震で、福島原発地区における揺れは、震度6強に過ぎなかった。マグニチュード8強、または「想定外」の9クラスの直下型地震が浜岡原発を襲った場合、被害は巨大津波によるものだけではなくなる。福島からは想像もできないような「想定外」の被害が、生じる可能性が大きい。津波対策などは、全く無意味になるのだ。
深海調査艇が、今回の地震の震央の宮城県沖海底を、3月に調査した。海底写真から、 日本列島が乗った北米プレートが、7メートル隆起すると同時に、東側へ50メートル移動したことが判明した。同時に、海底が、1500メートルの幅で、50メートルも盛り上がっているのが、確認された。このような地殻の大変動が浜岡原発を襲えば、人間のどのような技術的対策も全く効果はない。
津波だけが脅威で、津波対策が十分になれば、原発を再稼動させることができると、管を含めた政府や電力会社の関係者が言う。これが、意図的かどうかはともかく、問題を矮小化させる意見になるのだ。
大津波の映像は余りにも衝撃的だった。普通の庶民が、津波の破壊力こそが地震の最大の脅威であり、その破壊力を止められれば、地震の脅威は大幅に軽減すると考えるのは、それなりに理解ができる。しかし、地震や原発の専門家、あるいは国の政策を決定する政治家が、そのように考えるとすれば、その想像力の欠如に、再び唖然とする。
地震国日本に立地する原発が抱える問題は、勿論浜岡原発だけのものではない。管は、震度8強の地震が、今後30年以内に浜岡原発を襲う確率を、87%と言った。他の原発の確率は低く、問題にはならないと言う。しかし、ここでまたもや、近視眼的なデータを使って、管に助言した専門家がいるに違いない。 2010年版の政府地震動予測地図によると、30年以内に、震度6強の地震が福島第一原発を襲う確率は、わずかに0.0~0.8%となっていたのだ。
私たちは、実際に起きたことから学習をしなければならない。54基のどの原発にも、福島原発のような「想定外」の事態が起こることを「想定内」とし、日本の原子力行政の抜本的な修正を考えなければならない。
もしも発電が原発にしかできないならば、そうとうな犠牲を払ってでも、原発で発電をしなければならない。電気を使う利益が、原発事故による犠牲を上回るかどうかが、その判断の分かれ目になる。しかし、 発電は、水力、火力、地熱、風力、波力、太陽光、人力、駅構内の歩行者の床振動など、ありとあらゆる方法で可能なのだ。作られた電気に質的な差はない。危険で複雑な原発で、わざわざ発電する必要はないのだ。 原発の存在はmustではないのだから、他の発電方法に比べて、安全、安価、安定的、かつ容易に発電ができない限り、原発を認めることはできない。
小規模、かつ分散化された発電所を、全国各地に建設することが、日本のような地震国には特に大事だ。集中化された、複雑で脆弱なシステムに頼ることは、とても危険だ。今回、私たち日本人はこのことを学んだ。
原子力行政は、田中元首相が、日本列島改造を国家目標にする前から、政策決定に強力な影響をおよぼしていた。日本は高度な技術を持つ国であるという技術信仰と、原発が社会・経済問題の多くを解決するという原発信仰が、今回の危機の根幹に存在する。
東電や政府は宣伝活動に膨大な資金を投入し、原発安全神話を国民の心に刷り込もうとした。子供を対象にした展示館ばかりか、教科書で原発の安全性をうたうようなことまで、やった。有無を言わせない安全神話刷り込みの努力は、逆に、関係者たちが、原発の危険性を正確に認識していたことを示している。
日本最初の商業用原発は東海発電所で、1966年に営業運転を開始した。それから50年も経たないうちに、多くの事故があった。東海原発のレベル4の事故で、作業員2名が死亡。レベル3の事故は、各地で今までに7回を数える。2007年の新潟県中越沖地震では、柏崎刈羽原発が停止し、今も完全には動いていない。そして、いつ終焉するともしれない、福島第一原発のレベル7の事故だ。
資源のない日本には、原発が最適な発電方法だという意見がある。これが間違っていることは、誰にでも分かる。 ウランは国内で生産されていない。全てを輸入に頼っているのだ。
原発推進論者の言うように、原発がすばらしいものならば、これから新興国はどんどん原発を建設する。ウランの需要は飛躍的に伸びる。ところが、生産国は限られている。 カナダ、オーストラリア、カザフスタン、ロシア、ニジェール、ナミビア、ウズベキスタン、アメリカの8か国だけで、世界の生産量の92%を占める。ウランの価格は間違いなく上昇するし、政治資源として使われるようになる。原発に頼れば、他国が日本の生殺与奪の権を握ることになる。
問題は燃料のウランだけではない。 大量に生み出される放射性廃棄物の最終処分所が、今でも確定していない。 現在、高レベル放射性廃棄物の最終処分場を持つ国は、世界でフィンランドだけだ(2012年に稼動予定)。フィンランドが、世界中の廃棄物を受け入れるとは思えない。もしも他国の廃棄物をいくらかでも受け入れる場合、処分費をフィンランドは自由に決めることができる。間違いなく極めて高価になる。何しろ需要は世界中にあるのだ。
原発推進論者は、原発のコストは安いと言う。 1Kワット時当りで、原子力5.3円、水力11.9円、火力6.2円となるそうだ。ただし、これは、原発コストを、意図的に安く見せかけるためにやった計算の結果だ。発電施設におけるランニング・コストしか計算に入れていない。原発の実際のコストは、そのようなものではない。
まず 日本の原発開発予算は、他国よりもずば抜けて多い。 原子力教育を考える会の資料によると、2003年に日本は世界第一位の2404億円で、2位フランス359億円のなんと6.7倍にもなる。この金額の異常さは、原発発電能力の比較では、日本はフランスの75%しかないことで、明確だ(日本原子力産業協会、2008年)。
建設工事費は膨大になる。福島第一原発は、1~6号機合計で5020億円。これは火力発電所の1.5倍だ。同じ発電能力で比較すれば、風力発電所の実に16.7倍に達する。福島第二原発に至っては、1~4号機合計でなんと1兆2390億円になったのだ。 これでは、自然に強力な利権集団が生まれてしまう。
最も古い福島第一原発1号機の運転期間は40年、最も新しい6号機は32年だ。建設費だけでも5020億円を投入した原発が、この程度の運転期間後に石棺になる。
上記の建設費には、土地代や地元対策費が含まれていない。原発周辺の山間に、立派な建物が散在するのは普通の光景だ。 福島では、地元対策のために、スポーツ施設のJブリッジが130億円をかけて建設された。さらに、政府の原発交付金は、原発1基あたり、10年間で400~500億円になるという。
これらのコストに、上記の放射性廃棄物の処理コストが加わる。放射性廃棄物は、何百年も、何千年も管理し続けなければならない。そのコストはいくらになるのか?計算できるのか?
柏崎刈羽原発は、地震で1~7号機が、火災などの被害を受けて全機停止。08年と09年には、合計2500億円の特別損失を計上した。純損益も、08年に1501億円、09年に845億円の赤字になった。比較的小さい事故でもこれだけの損失が出る。
福島第一原発は、廃炉にするために膨大なコストと時間がかかる。日米合同専門家チームが提出した長期計画によると、次の5段階を経ることになる。
1.冷温停止後に核燃料の取り出し
2.原子炉の除染
3.核廃棄物処理
4.中期的な原子炉の保管
5.最終的な廃炉措置
日立によると、それぞれの段階に要する期間は、10年単位になる。イギリスで1957年に火災事故を起こした、セラフィールド原子力工場の責任者だった科学者は、福島で求められる作業の複雑さから、「施設を封鎖して100年待つしかないだろう」と、予測している。
商業用原子炉が稼動し始めてから50年も経たないうちに、レベル7の今回の大事故が起こった。この事故の補償額は、10兆円を越えるという予想がある。 この負担は、電気料金や税金になって、最終的には一人ひとりの国民が負担することになる。
同時に、 原発事故が、製造業、農業、漁業、観光、その他の国の経済全体に与える深刻な影響も、考慮に入れなければならない。人命や人々の健康、それに心理への影響には、計算不能の深刻さがある。
これら全てを考慮に入れれば、原発のコストは膨大すぎて、計算が不可能になる。
原発神話の一つに、高い稼働率というものがある。夜でも昼でも、風が吹いても吹かなくても、電気を安定的に供給できるという。これも他の神話と同様に、詭弁に近い。
複雑で危険なシステムが、高熱を発しながら稼動するのだから、保守点検の頻度が高くなる。かつ、1回の保守点検には長時間を要する。
1~4号機だけが稼動していた、福島第一原発の稼働率は発電能力の60%で、4、5号機のみが稼動していた浜岡原発の稼働率は、50%に過ぎなかった。日本全体で見ても、54基の原発のうち、東日本大震災の前に、定期検査で21基が停止していた。 震災で11基が停止。さらに管首相の要望で、中部電力が稼動していた浜岡原発を停止させた。現在は20基しか稼動していない。
稼働率が低いはずの風力発電でも、これくらいの稼働率になる。東伊豆風力発電所の昨年の稼働率は、63%だった。 庄内風力発電社の発電装置には、大容量鉛電池が組み込まれている。無風時には、この電池から電気が供給される。この場合、発電能力から計算した稼働率は、さらに上がる。今回の事故後に、風力発電の可能性を大きく見た東京ガスが、庄内発電社を買収した。
太陽光発電には、昼間だけしか稼動しないという制約がある。電力消費の大きい昼間に、風力発電を組み合わせれば、安定した電力供給が見込まれるようになる。夜間には需要が減るので、無風時の電力供給には難のある風力でも、システムによって各地の風力発電所を結べば、需要はまかなえるのではないか?しかも、上に述べたように、これからの風力発電所は、大容量蓄電装置を兼ね備えることになり、無風時にも電気の供給が可能になる。
風力、波力、地熱などの発電には、燃料資源を使わない。 資源小国の日本には、ウランの輸入に頼る原発ではなく、これら自然エネルギーを使う発電方法のほうが、勿論いい。
上にも書いたように、そもそも発電は極めて簡単な技術で行える。国内企業の持つ発電能力は6000万キロワットで、東電の供給能力に等しい。太陽光発電が主体になるが、家庭の発電能力も増している。自動車会社は、走行中の車で発電をすることを考えている。システム技術は休みなく進化している。日本中の発電装置をスマート・グリッドで結べば、危険で複雑なシステムである原発に頼る必要は、将来的にはなくなるはずだ。
各種発電法の中でも、風力発電は特に有効と思われる。ここで、アンチ原発の発電法ということで、風力発電を特に取り上げたい。その理由は、他国に比べて、日本の風力発電はとても冷遇されているからだ。ここまで冷遇されているということは、逆に、原発の最も強力なライバルだという認識が、政官学業の原発推進論者の間にあるからではないだろうか?
中国は、地球の環境破壊に、最も貢献している国ということになっている。ところが、そのようなマスコミの報道に反して、 中国は、自然エネルギーを使った風力発電大国なのだ。 各国の風力発電能力を比較すると、中国4228万キロワット、アメリカ4018万キロワット、ドイツ2721万キロワット、スペイン2067万キロワット、インド1306万キロワット、日本230万キロワットと、なる(世界風力会議、2010年)。中国は、ただ単に現在トップというだけではない。2010年の世界新設発電容量の半分弱も占めるのだ。 中国の風力発電能力は急激に増している。日本の風力発電能力は、現在でも中国のわずか5%と異常に少ない。
日本の原発の総発電能力は、1800万キロワット。もしも原発発電量の全てを風力でまかなうとすれば、風力の稼働率は原発並みの50%前後なのだから、1800万キロワットの風力発電施設があればいいことになる。これは、スペインとインドの中間の規模の風力発電施設になる。不可能ではない。
今回の地震で、風力発電所の被害はなかった。しかし、台風による被害は大きいという指摘がある。日本は面積が小さく、人口過密な上に、予知がほぼ不可能な地震が多発する。原発事故と、風力発電所の事故の結果を比較すれば、日本にはどちらがふさわしいかは、誰にとっても明らかだ。
3ヶ月近く経った今でも、福島原発に関する情報は混乱している。最悪の原発事故である炉心溶融(メルトダウン)が、地震直後に起こったことが公表されたのは、事故発生から2ヵ月半も経過してからだった。東電や政府の関係者は、意図的に最も深刻な情報を隠しているのか?全てを把握していながら、情報を小出しにしているのか?それとも、関係者の誰もが、原発事故の成り行きを、正確には把握していないのか?関係者はそれほど無能なのか?国民ばかりか、海外からも疑いの目で見られるのは、当然だ。
風評被害を抑えるために、政府は関係省庁へ通達を出した。だが、風評のおおもとになっているのは、東電や政府の関係者であることには、気づいていない。 原発事故に関しては、最悪の事態までも想定し、危機レベル別の具体的な対応策を、国民に示さなければならない。当然のことながら、時々刻々と変わる状況は、遅滞なく公開する必要がある。国民が、全ての情報を把握し、政府が状況に見合った対応をしていると信じれば、大きな混乱は生じない。
東電と政府の戦術を疑ったついでに、計画停電の問題も指摘しておく。 「計画停電」、「計画停電」と、東電と政府が喧伝していたが、電力供給は本当に逼迫していたのだろうか? この喧伝の真の意図は、別のところにあるのではないか?原発への逆風を跳ね返したいという、政治的な意図があるのではないか?
少し前まで、 東電や政府は、今夏の電力消費量を6000万キロワット、供給能力を4500万キロワットと言っていた。 差引き1500万キロワットの不足だ。これらの数字は疑わしい。
東電の2004年の発電能力は、火力3637万キロワット、原子力1731万キロワット、水力852万キロワット、地熱0.4万キロワット、風力0.05万キロワット。合計6221万キロワットだった。 福島第一原発で稼動していた、1~4号機の合計発電量は、281万キロワットに過ぎなかった。ついでに書けば、中部電力浜岡原発の、管首相による停止要請を受ける前の発電量は、224万キロワットだった。
火力発電や水力発電にも被害があることを考慮しても、6221万キロワットの発電能力に対して、停止している原発の負の影響が決定的に大きいとは、とても思えない。
東電の資料によると、 2009年の東電管内日時別最大電力使用量は、7月30日14~15時の5450万キロワットだった。7~8月の他の日の使用量は、最大でも5000万キロワットを若干超える程度だった。のちに、東電は、6000万キロワットという異なる数字を、メディアに出してきた。 計算の前提を東電にとって都合のいいように変更し、最大使用量の数字を変えてしまったのだろうか?
今夏が猛暑になる可能性はある。しかし、 電力消費量は、2007年をピークに、年々減る傾向にあることを指摘したい。発電は、日本では、長期的には斜陽産業なのだ。
このエッセイの全体的な雰囲気は、悲観的になってしまった。しかし、危機こそチャンスなのだ。オイル・ショックで、日本の省エネ技術が格段に進歩した。 人類に安全な未来を約束する技術の開発に、全力を投球すれば、日本人にはかなりなことができる。 科学は今まで、そうやって進歩してきた。