海外人間模様(第1部)
Essay 37
海外では自由奔放な日本人

2013年11月21日(修正2014年1月3日)
海外生活の最大の楽しみ

海外生活最大の楽しみは、人間観察にある。日本人とは異なる思考様式に沿って行動する、個性的な外国人にしばしば驚かされる。

海外では、日本人も強烈な個性を発揮するようになる。日本にいれば、個性の強い人でも、平均的な人たちに自分の行動を合わせようと努力するが、海外に出ると、自分の個性を存分に発揮することに、ちゅうちょしなくなる。
海外で、とてもおもしろい日本人を数多く見かける。そんな日本人について、 エッセイ24「日本人女性専門のラブ・ハンターたち」に書いた。そのエッセイでは、他人から聞いた話を主に書いた。このエッセイでは、私が直接につきあった人たちの話を書く。

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私のウェブ・サイトでは、若干の例外はあるが、個人が特定できないように気配りをしている。個人名を仮名にするだけではなく、滞在したり仕事をしていた場所と大学などの名前も、明確には書いていない。これらのエッセイを読む皆さんは、話の重要なポイントがぼかされているので、イライラするかもしれない。

私は、インターネットの世界で起こる恐ろしいできごとに関する電子本を、今書いている。ネットでは何が起こるか分からない。個人情報を隠さざるを得ないということを、理解していただきたい。

海外戦場で得た戦友

いろいろと気苦労の多い海外戦場で知りあうと、日本人どうしが互いに戦友という気持ちになる。

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私が、オーストラリアへ行って、最初の大学で働いていたときに、その後大阪大学で教授になった重田助教授と知りあった。重田さんは、細身で見かけは繊細そうだが、かなりな豪傑だ。

ある日、酒に酔っていたにもかかわらず、車を運転していた。走りが不安定な重田さんの車を見たパトカーが、前方へ回り込んで重田さんの車を止めた。最初は「ヤバイ」と思った重田さんだが、車の外に出て、パトカーから降りてきた2人の警官の顔を見たときに、自分の幸運に感謝した。
2人の警官も酒を飲んでいたのだ。赤い顔と酒臭い息から、2人の警官の飲酒量は、重田さんを超えているように思えた。重田さんは、にこやかにほほ笑みながら警官の肩をたたくと、何も言わずに自分の車へ戻った。

ところが、警官たちによって、力任せに車外へ引っ張り出されてしまったのだ。そこから大げんかが始まった。重田さんの理屈は、「あなたたちも酒酔い運転をしているのだから、私を捕まえる権利はない」だった。警官の理屈は、「酒酔い運転を取り締まるのが私たちの義務」だった。すったもんだのあげく、「逮捕状でもなんでも持って来い」と言い捨てて、重田さんは家に帰ってしまった。

重田さんがここまで強気になれた理由は、ただ豪傑というだけではなく、3週間後に日本へ帰国することになっていたからだ。周囲の日本人が、「今逃げると、今後オーストラリアへ入国できなくなるよ」と脅かしたが、馬の耳に念仏。重田さんは、送られてきた罰金のチケットを無視し、罰金を払わずに日本へ帰ってしまった。その後、オーストラリアとの間で国際紛争は特になかったようだ。

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後に千葉大学の教授になった山口助手とも知りあった。山口さんは家でパーティーをすることが多く、私はしばしばそのホーム・パーティに呼ばれた。山口さんは金色の新車を買ったが、その直後に酔って運転をし、柱にぶつけてしまった。ボディにとても大きなへこみを作ったが、自分で直してしまう特技を持っていた。山口さんが日本へ帰るとき、まだ新車に近いこの車を私は譲ってもらった。

それに、東京女子医科大学の准教授になった今井さん。当時はまだ大学院の留学生だった。今井さんは日本人仲間の潤滑油になってくれ、常時細かく皆に連絡を取っては、定期・不定期飲み会の参加者を増やしてくれた。在留日本人の情報を得たければ、個人情報をしっかりと把握している、今井さんに聞けばよかった。

小柳ルミ子の大ファンで、日本から持ち寄ったヒット曲のCDを聞きながら、皆で原始的カラオケ大会をやると、「ルミ子、ルミ子」とうるさかった。私は、「ルミ子と結婚すればいい」と冷やかした。そういう冷やかしがうれしいくらいに、今井さんはルミ子に入れ込んでいた。

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Japanese night
「Japanese Night」のプログラム表紙:オーストラリア人学生がこの墨絵を描いた。

あるとき、私が実行委員長になって、「Japanese Night」という催し物をやった。私が委員長になった理由の1つに、マッチポンプ重田さんの存在があった。自分で責任を取ることもなく、他人を勇気づけていろいろな仕事をさせてしまう特技を、重田さんは持っていたのだ。

日本人が中心になったが、オーストラリア人やアジアからの留学生などの協力も得た。ショーを見せ日本食を出す、大がかりな祭りだった。ゲストの中には、エッセイ28「天才を育てる楽しみ」に書いたノーベル賞受賞者のバーネットや、ABC放送のマネージャー、州総督、議員などがいた。

領事館と日本人会の援助を得たので、なじみのない海外日本人村のしきたりを知らない実行委員長の私は、とても苦労することになった。そして、根回しの仕方を知らないということで、日本人村から大きな批判を受けた。

こうやって戦友の強いきづなができた。日本に戻ってからも、親交を温めるための家族づれ宿泊旅行を、何度も実施した。

お化けよりも怖い日本人女性の人生

日本からの留学生の良子さんは、その街に既に1年間住んでいた。TAFE(専門学校)で英語と観光ビジネスを勉強していた。

近くの港町で、日本人観光客向けのお化けツアーを組むことが、彼女の夢だった。そんな彼女が、私たちの家へ遊びに来た。そして、あちらこちらで調べた、お化けの話を書いたノート・ブックを見せてくれた。お化けツアーは必ずヒットする、と自信満々な良子さん。でも、良子さんは、「超」がつくくらいにとってもとっても陽気で明るい。そしておしゃべりなのだ。こんな人がお化けツアーで説明をしてくれても、ちっとも怖くない!明るく楽しいお化けツアーになってしまい、お化けも出るに出られなくなってしまう。

お化けよりも、良子さんの運命のほうがずっと怖かった。1年の間に2回も交通事故にあい、アワヤそのまま....という危機に遭遇したのだ。

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最初の事故は、友だち2人とレンタカーを借りて、野性のイルカが来るので有名なモンキー・マイアへ行ったときのことだった。良子さんが運転をしていた。そして、左のタイヤを、道路の脇の柔らかい地面へふみはずしてしまった。

高速で走っていたので、車はなんと6回も回転した。車が回転している間の時間は、とてもゆっくりと過ぎたそうだ。「足をふんばっていないと、胸がハンドルにぶつかって危ない」と考えて足を上げたり、「もう半回転してくれなければ、車は逆立ちをしたままで止まってしまい、皆、外に出られなくなる」などということを、次々に考えることができた。そして、助手席に座っている友だちの顔から血が出るのを見て、「アッ、これは大変な事故なのだ」などと考える余裕まであった。

6回も回転して、勿論レンタカーはぐしゃぐしゃになった。

通りがかりの車に乗っていた人が、まず最初に聞いたこと。
「何人死んだの?」

そこは広大な原野の真ん中だった。通りがかりのその人は、夕方の6時から夜の9時まで、救急車が来るのを待つ間、ずっとつきそっていてくれた。助手席に坐っていた男性は重傷を負い、救急飛行機で州都へ運ばれた。けれども、良子さんと後の席に座っていた友だちは、軽傷ですんだのだ。

2回目の事故は街中でのことだった。車にはねられて道路にたたきつけられ、ひたいに何針もぬう大怪我をしたのだ。1週間入院した。

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1年に2回も続けてこんな事故にあうなんて、何か物の怪に取りつかれているようだ。お化けに心を奪われている女性なので、暗い雰囲気で話せばとても自然だった。違和感はない。けれども、余りにも明るく陽気すぎるので、逆に不気味なものを感じてしまった。

健の国際結婚

次は国際結婚の話だ。私たち夫婦がその例になるが、ここでは他のカップルに登場してもらおう。

今までに、日本人が夫あるいは妻の国際結婚の夫婦と、親しくつきあってきた。ここでは、妻が南米のコロンビア人で、コロンビアで結婚式をあげた健について書く。

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健はITスペシャリストだ。日本で仕事をしていたが、きつい仕事に耐えきれなくなって辞職し、世界放浪の旅に出た。その旅の途中で、コロンビアの街メデジンにたどり着いた。メデジンは、世界の麻薬(特にコカイン)産業の首都といえる街だ。麻薬犯罪組織メデジン・カルテルの力は、かつてコロンビア政府を圧倒していた。

健はそこでマリアに出会い、猛烈な求愛の末に彼女と結婚した。マリアは日本人女性並みに細身で小柄な上に、とても控え目だ。外国人がイメージする古典的な日本女性にそっくりだ。健がマリアに求愛した理由を、同じ日本人男性としてよく理解できる。

コロンビア人の家族意識は強く、マリアは、家族や親類縁者との間で潤滑油になることを期待されている、長女だった。そんな娘を、アジアの国から来た身元不詳の男に取られる、犯罪首都メデジンの上流階級の両親。私は冗談混じりに健に言った。
「結婚する前によく消されなかったね」

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健はオーストラリアでITの仕事を得た。マリアを連れてオーストラリアへ移住したが、日本人とコロンビア人の夫婦には、オーストラリアに身内はいない。特に、家庭に引きこもりがちな妻が、ストレスの多い生活を送ることになった。外へ発散するタイプの私の妻とは違って、マリアのストレスは内側にこもっているように見えた。

健はマリアに対していろいろと気を使ったが、その中に、ウオーター・ベッドを購入することが入っていた。睡眠不足になりがちなマリアが、熟睡できるように配慮したのだが、結果は逆になってしまった。水が入っているウオーター・ベッドに横になると、からだが水に浮いているように不安定になる。熟睡どころではない。

試眠させてもらった私の妻の感想。「これじゃ、船酔いになってしまうわ」。試眠した私も同じ感想を持った。マリアも笑いながら私たちに同意した。その後、健は普通のベッドを購入した。

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日本へ帰国してから、健とは連絡が取れていない。現在、オーストラリアにいるのか、コロンビアにいるのか、日本にいるのか全く分からないが、人生をかけて何度もいろいろなことに挑戦した健。どこにいてもそれなりに成功し、ちゃんとしたベッドで毎夜熟睡していると信じている。

<和戸川 純>

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