犬の心、人の心(第4部)
Essay 40

犬にのめり込む人間の心理

和戸川の関連書籍「人間として生きた犬の心
2013年8月11日(修正2017年9月26日)
和戸川 純
バセンジーのオフ会

ラッキーが2年8ヶ月令のときに、初めてバセンジーのオフ会に参加した。11月11日、場所は立川市の昭和記念公園。駐車場で2頭のバセを見、入り口近くで「珍しいですね。バセンジーですね」とシニアの男性に声をかけられ、主催者の白田さん(仮名)に出会い、私と妻の気分が高揚した。
入り口近くにあるイチョウ並木は、完全に黄色。その美しさに感動した。私たちの街のイチョウは大部分が緑色だった。モミジも80%程度が紅葉していた。

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オフ会会場はドッグランの一般エリア。白田さんのおデブなダイは、おとなしいのか動くのが面倒なのか、動かずに立っていた。他のバセもラッキーよりは太め。黒白バセのすましたケリーが紅一点。赤い服を着たカステラは、毛の色も毛の模様もラッキーに似ていた。カステラの飼い主の夫婦が、他に雑種犬を連れて来ていた。黄色い服を着た「ワンワン」という変な名前(犬らしい名前?)の犬だ。

黄色の首輪を付けたケンタは、事故で死ぬほどの目に会い、左足に針金を入れていた。12才になったがけんか早い。ラッキーのあとを追いかけてはマウンティングを試みた。

ミツカは他の犬に激しく「ガウガウ」をやるので、飼い主はリードから離さなかった。それで、額にしわをたくさん寄せながらリードをかんだ。小さいときから他の犬に接触することがなかったために、社会性が欠如しているように思われた。
リードをはずすことを他の参加者に勧められて、飼い主がはずしたのはいいが、ケンタに激しく突っかかっていった。自由の身になったのは一瞬だった。ミツカは、またリードでとらわれの身になってしまった。

動画:
上の動画で、青っぽい首輪をしているのがラッキー。黄色い首輪のケンタが、ラッキーに興味を示した。黒白が紅一点のケリー。
下の動画で、赤いハーネスのミツカがリードから離されたが、自由の身になったのは一瞬。ケンタに突っかかっていったところを、取り押さえられてしまった。ミツカの前にいたラッキーが、難を逃れる術を知っていることを示した。君子かどうかはともかく、「君子危うきに近寄らず」。
(2年8ヶ月令)

昭和記念公園で出会ったバセは、取っ組み合ったり転がり回ったりして、遊ぶことがなかった。一緒に走るくらいのことしかやらなかった。バセには「犬見知り」があるようだ。取っ組み合いが大好きなラッキーには、これでは不満だ。そこで、大型犬エリアへ移動した。

いつも一緒に遊んでいるらしい、6頭のシベリアンハスキーが集まっていたので、ラッキーはうれしくなった。その中の1頭と特に気が合った。一緒に走ったり、取っ組み合いをしたり、じゃれあったりして思う存分に遊んだ。ラッキーには、たとえ同じ犬種のバセンジーでも、自分よりも小さい犬では物足りないのだ。

動画:
シベリアンハスキーの軍団と大立ち回り。犬種は関係がない。全力で遊ぶことができる相手ならば、誰とでもすぐに仲良くなってしまう。気持ちは大型犬のラッキー。 ちなみに、ここに集まった犬たちの中では、ラッキーは新入り。それでも、全く物怖じしないラッキー。
(2年8ヶ月令)
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今までに出会ったバセは全部で7頭。それらの出会いから分かった、ラッキーの身体的な特徴を書いておきたい。

他のバセの尾の巻き方は中途半端だ。1巻きや1巻き半のバセがいる。ラッキーの尾は完全に2重に巻いていて、ロールケーキのようにすき間がない。悠然と垂直に立っているのも特徴的だ。代々木公園で出会ったメスの尾はよく巻いていたが、背にぴったりと付いていた。
ラッキーの額のしわは少ないほうだ。ミツカの額にしわがたくさんあることから、気持ちが穏やかなバセの額のしわは少ない、といってもいいのかもしれない。深刻ぶっている人間のひたいのしわは、多い傾向にあるから、バセと人は恐らくこの点で一致する。

逃走したバセンジー

昭和記念公園から余り遠くないところに、所沢市の航空公園がある。オフ会の直前にこの周辺で事件があったことを、バセの掲示板で知った。

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ペットクリニックから里子でもらわれてきたバセのシュウ。小さい頃に困難な生活を送ったらしい。新しい飼い主に触られることを拒否した。トイレがうまくいかなかった。他の犬とのつきあいができなかった。あらゆる音や動きにおびえた。
飼い主は1年後には触れることができるようになった。トイレもできるようになった。散歩にも出かけるようになった。しかし、他の犬とのつきあいはだめだった。

そんなシュウが逃走してしまった。テラスにつながれていたシュウが、首輪のチョークがゆるんだときに首輪をはずしてしまったのだ。自己主張が強いラッキーを見ていると、シュウだけではなく、バセの自由への欲求はとても強い、と結論したくなる。

手をかければかけるほど子供はかわいくなる。子供のために苦労をすればするほど、子供はよりいとおしくなる。それまでシュウの飼育に手こずっていた飼い主の家族は、気づかないうちにそんな心理状態になっていた。
シュウの脱走後に、シュウの存在が家族にとって非常に大きいことを、初めて知った。ネットの掲示板に、「脱走したシュウを、こんなに愛しく思ったことは今までにありませんでした」、と悲痛な思いを書いた。

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この書き込みに反応した、見ず知らずのバセの飼い主たち。シュウの捜索に直接に動いたり、掲示板に書き込んで捜索への協力をお願いした。
飼い主の家族は、刻々と入る多種多様な目撃情報をもとに、所沢市周辺を走り回った。しかし、目撃情報があっても、不安に駆られて逃げ回る、警戒心の強い敏捷なバセを捕まえるのはとても難しい。第三者にとってだけではなく、飼い主にとっても難しい。

航空公園の周辺でシュウを見つけた飼い主が声をかけたが、シュウは振り向きもせずに歩き去った。これは飼い主にとっては衝撃的なできごとだった。
誰もが恐れたのは、シュウが交通事故に会うことだった。所沢市周辺の車の通りは激しい。
逃走期間が10~11月だったので、夜はかなり冷え込むようになり、寒さに弱いバセの健康も飼い主には心配だった。

やっと保護できたのは逃走から2週間後のことだった。他の家で、そこの飼い犬の食べ物を食べさせてもらっているうちに、少し安心したらしい。軒下で日向ぼっこをしているときに、連絡を受けて駆けつけた飼い主の女性に保護された。
シュウはやせおとろえてしまい、車の中でふるえていた。家に帰ると、「キューン、キューン」と悲しそうに泣いた。それが、シュウに対する飼い主のいとおしい気持ちを、倍増させた。

shu
写真:
自由への逃走をしてしまったシュウ。自由の代償は大きいことを実感したはずだ。ラッキーよりも苦労を知っているような表情。今はかわいがられているが、人生(犬生)のどこかでトラウマを得たかもしれない。

それでも、結果として悪いことばかりではなかった。「かわいい子には旅させろ」。飼い主には身も心も細る2週間だったが、苦労をしたシュウは、他の犬とつきあえるようになっていた。

私は所沢市在住ではないが、書き込みに反応して何回か掲示板に書き込んだ。シュウがラッキーの姿にダブッたのは勿論だが、永眠したモンタの表情も眼前にちらついた。犬を亡くす(無くす)ことの悲しみを共有できたのだ。シュウは首輪をはずして逃走したので、首が細くて長い上に力が強い、バセ向きの首輪を飼い主に紹介した。

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翌年の3月に再びシュウが逃走した。2回目は1週間後に保護されたが、自由の味を知ってしまった頭のいいバセには、毎日の生活で注意がより必要になる。

3才児が引き出す無償の愛

2008年に全国で飼われていた犬は1310万頭、猫は1374万頭。合わせて2684万頭だ。2013年度の厚労省の統計によると、15才以下の子供の数は1649万人だった。BBC放送が、日本は世界で唯一、子供よりもペットの数のほうが多い驚くべき国、と紹介していた。実際は、犬と猫だけで子供の数よりもはるかに多い。

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多くの研究者による研究の結果を総合すると、犬の知能は人間の2~4才児に相当する。ここでは、話を簡単にするために3才児相当とする。犬に対する人間の心理を考えるときに、この事実が重要な意味を持つ。

Lucky
写真:
この写真で、3才児に一番近い表情をしている。 ラッキーはアイコンタクトが得意だが、ラッキーの目を見た多くの人が、「ラッキーはいろいろなことを深く考えている」、と言う。寡黙だからこそ、ラッキーの目の力が、対面している人に強い印象を与えるのだろう。
(2年7ヶ月令)

人間の3才児とは、どのような「動物」なのだろうか?
2才までに母乳を必要としなくなり、1人で歩き回ることが可能になる。けれども、知識や判断力それに体力は、周囲からの危険を避けられるほどには発達していない。住んでいる環境のどこにでも存在する危険に遭遇し、からだに傷害を受ける可能性が飛躍的に増大する。親は子の行動に常に注意を払い、危険におちいらないようにする。

母親から独立して行動できるようになった3才児は、第1次反抗期といってもいい時期にある。自立するための準備段階に入ったのだ。自我が目覚め、学習のために大人のまねをするかと思えば、自分が自由にできるものを何でもほしがる。多くの挑戦をする時期。いろいろなことに興味を持つが、すぐに飽きる。気に入らないとかんしゃくを起こす。
挑戦を成功させたい意欲の裏返しだ。自分の意志を通すための悪知恵がつくが、大人のようにあくどくはならない。親をはじめとする大人たちには、大きな関心と興味を持って接し、理解し、教え、保護することが必要になる。親は、睡眠、食事、トイレなどについて、規則正しい習慣を身につけさせようと努力する。

自分を、親から独立した1人の人間として意識し始めるので、保護者以外のいろいろな人が見えてくる。周囲の大人への働きかけを積極的に行うようになる。家族を中心にした周囲の大人から、善悪の判断をすることを求められる。

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幼児に対する大人の反応は、理屈を超えた本能的なものだ。それは、38億年の進化が深層心理に埋め込んだ、生物としての種を維持するために必要な本能。
保護が必要になればなるほど、幼児に向かう大人の本能がより強化される。活発に動き回る幼児の身が、危険にさらされるような状況下では、本能の発現はいやがおうにも高まる。

自我が芽生えた子供は自己主張し、大人の思う通りにはならない。そのような自己主張を、大人はかわいいと思うようになる。個として独立するための最初の重要なステップであることを、大人は本能的に理解する。

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人間は集団性動物だ。集団を作り助け合うことによって、安全・快適に生存する道を選んだ。犬や狼も集団性動物だが異なる点がある。人間の子供の幼児期はとても長く、大人の保護を受けながら長期間に渡って学習する。学習すべきことは多々ある。最も身近に存在する親は、無償の愛という本能に駆られて、子供の面倒を見続ける。
本能から発した犠牲的な行為の代償として、手をかければかけるほど、子供に対するいとおしさの感情が増す。我が子が、安全な環境下で幸せそうに笑っているのを見ただけで、親は他では得られない最高の喜びを感じる。全ての苦労を忘れてしまう。

1日中手を焼かせた幼児が、安心しきった表情で手足を伸ばし、快適な眠りについている。それを見ると、親は無上の喜びと幸せを感じる。疲れがどこかへ飛んでいってしまう。
唯一の庇護者である自分に頼り切っている幼児が、庇護が完璧であることを身をもって示している。親は、最も重要な仕事を成し遂げている充実感を、献身的な愛の代償として受け取る。その充実感は、長い進化に裏打ちされた、種の保存の奥深い本能から発している。

犬に向かう無償の愛

3才児を犬と置き換えてみよう。犬の知能が3才児並みなので、この置き換えには十分な妥当性がある。3才児並みに判断し行動する犬。3才児並みに飼い主からの庇護を必要とするが、同時に3才児並みに自己主張する。
すると、上に書いた幼児に対する本能的な愛が、犬に向かうようになる。そう考えれば、犬をかわいがる人間の深層心理が理解できるようになる。

飼い犬が、安心しきって静かな眠りに落ちているのを見ただけで、手間がかかる飼育で疲れていたことを忘れてしまう。庇護が完全であることを、犬がからだ全体で示してくれることが、無償の愛に対する最も大きな代償になる。

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ラッキーは、快適な場所を選んで昼寝をする。ソファーのシープスキンや、ラッキーのためにベッドに敷いた柔らかな毛布の上が、ラッキーが昼寝をする場所だ。
夏には、海からの涼しい風が部屋を通り抜けるので、エアコンをかけないことがしばしばある。足が長くからだがゴムのように柔軟なラッキーが、思いきりよく足とからだを伸ばすと、3人がけのソファーを独り占めしてしまう。深い眠りに落ちる。呼吸で胸がかすかに上下する。

他のソファーに窮屈そうに座った人間家族。ソファーを独り占めしているラッキーを見ても、決して怒らない。逆にとても幸せになってしまう。信頼・安心・安全・快適をからだ中で表現しているラッキーが、天使に見えてしまう。

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写真:
上の写真で、3人がけのソファーにからだを伸ばしきって、熟睡している。下の写真では、首を90度に曲げて熟睡。人間ならば拷問だが、こんな格好でもとても楽なのだ。信じられないほど、からだが柔らかい。からだが大きく見えたり、小さく見えたりする。まるでゴムでできているようなからだ。どのような形にでもなってしまう。どのようなサイズにもなる。
(2年2ヶ月令)

私たちに、なんやかやと手をかけることを要求するラッキー。そのような要求に応えることがうれしい。

新聞を読んでいるときに、横に犬坐りになったラッキーが、なでることを要求する。面倒なので頭の上だけをおざなりになでる。そこから手を移動させないと、ラッキーが自分の頭を移動させ、指先がいろいろな快感スポットに当たるようにする。鼻先、頭頂、頭の後、耳の後、首筋、肩、背と、ラッキーがからだを動かすにつれて、至る所をなでることになる。
最後に私の指と腕が疲れてしまう。それでも、気持ち良さそうに目を細めているラッキーを見ると、疲れが飛んでしまう。同じことを妻にも要求する。妻も、文句を言いながらも、ラッキーの要求通りに幸せそうになで続ける。

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上に書いたシュウの逃走事件において、飼い主は、自分が庇護しなければならないシュウを、庇護できなくなったことに衝撃を受けた。庇護の本能が逃走前よりも高まった。それを飼い主は「愛しさ」という言葉で表現した。

捜索で疲労困憊した飼い主が、やせ細って悲しそうに鳴くシュウを保護したときに、全ての苦労を忘れたばかりか、いとおしい気持ちが倍増した。人間の3才児に対する親の気持ちと、犬の飼い主の気持ちが完全に一致していることを、このような実例から理解できる。

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ここで、かわいがられる犬を代表して、ジャックラッセルのハナを登場させたい。ハナは6才のメス。飼い主は夫が仕事で忙しい中年の女性。子育ては既に終わり、1日中ハナの相手をしている。

甘やかし放題に育てられたハナ。ドッグフードを食べない。主食は赤身のビーフやチキンなどの肉。よく煮込んで柔らかくしたものだ。ニンジン、キャベツなどの野菜も、細かく切り刻んでから柔らかくなるまで煮込んでいる。イチゴの実は、小さな種が浮き出ている皮が付いていると食べないので、実の皮をむくという、労力を必要とすることをやっている。
そして毎日欠かさずにマッサージだ。

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ここまで甘やかされるとどうなるだろうか?飼い主に食事制限の気持ちがなかったので、まるでミニブタのように肥ってしまった。歩くときに腹が地面に触れる。以前は自転車と一緒に長時間走ったが、ここまで肥っては走れなくなる。

さらに最悪の結果になった。まだ6才なのに、後足に障害が出て足を引きずるようになった。痛みが加わり、歩くことを拒否するようになった。運動を止めてさらに肥った。悪循環だ。
足の痛みの原因が関節にあるのか、筋肉にあるのか、腱にあるのか、神経にあるのか、はっきりしない。獣医によって診断結果が異なるのだ。足だけではなく、内臓にも問題がありそうだ。おかげで、この飼い主の日常生活に、ペットクリニック回りが入ってきてしまった。次回は有名な大学病院へ行くそうだ。

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こういうように手間をかければかけるほど、飼い主の気持ちはさらに愛犬ハナへのめり込んでいく。日常生活のほとんどが、ハナを中心にして回っている。寝ても覚めてもハナのことを考えてしまう。犬が彼女の人生の全てになっている。
問題のある3才児に無償の愛を降り注ぎ、苦労をすればするほど悲しみも喜びも大きくなる、母親と同じ心理状態になっている。

落ち込んでいるこういう飼い主に、どう声をかければいいのか、判断が難しい。肥らせてしまったことに対する非難は禁物だ。助言は効き目がない。飼い方をほめるわけにはいかない。私は、「そこまで飼い主に手をかけてもらって、ハナは幸せな犬ですね」、と言っている。

stretch
写真:
ラッキーの右にハナ。ただしこれは1年10ヶ月前の写真。現在のハナは、これよりももっと肥っている。
(1年8ヶ月令)

ここで、アニマルセラピーについても考えてみたい。認知症の患者などに犬や猫を触れさせると、改善が見られる。このセラピーの本質にも、3才児を本能的にかわいいと思い、積極的に関与することによって喜びが生じる、人間心理が関係しているのではないだろうか?

犬嫌いの心理

犬嫌いがこのエッセイをここまで読むことは、ほとんど考えられない。話題の出し方としてはいくらか奇妙だが、最後に犬好きの皆さんの参考のために、犬嫌いな人の心理を推測してみたい。

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ここまで、3才児は、大人の無償の愛情を理屈抜きに引き出す、という前提で書いてきた。ところが、人間の中には、人間嫌い、男嫌い、女嫌いだけではなく、子供嫌いもいる。子供が嫌いな人の心理は、子供が好きな人の心理の裏返しになっているに違いない。
犬嫌いの心理は、犬好きの心理の裏返しかもしれない。では、なぜそうなるのだろうか?

犬に接したことがなければ、人間の言葉を話さない犬が、何を考えているのかを理解できない。自分の気持ちの通わせ方が分からない。犬がどのような行動を取るのかも、犬が取った行動に対してどう反応すればいいのかも、分からない。これでは犬が恐怖の対象になってしまい、好きになることはない。

酔っ払いやしつけができていない子供は、他人から嫌われる。それがたとえ3才児であっても、嫌われることは同じだ。ただし、酔っ払いの身内や問題を起こす子供の親が、酔っ払いや子供を絶対的に嫌うことはない。しつけができていない傍若無人な犬は、犬と関係を持ったことがない犬嫌いを、特に不愉快にする。

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最後に結論らしいものを書いておきたい。日本においては、犬と猫の数が子供の数をはるかに超えている。これらの犬や猫は、人間社会の構成員として、人々に喜びや苦労や悲しみをもたらす。
人間社会に同化して、生活を多様にしてくれる4つ足の家族に幸あれ!


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