YSさん(理学部1年)は、女性らしく、女性の社会生活に関する私の話に、反応した。
私が留学したのは随分前のことだ。留学先の国では、既に今の日本以上に、女性の社会進出が進んでいた。女性が仕事に出ると、家事の負担に家庭外の仕事が加わるので、トータルの負担がとても大きくなる。
その国では、今の日本のように、夫が家事の手助けをすることは、余りなかった。そのことに対する女性の不満が、とても大きかった。女性が経済的に自立していることもあって、離婚率が今の日本を超えていた。
日本でも、今では女性の社会進出が進んでいる。安倍政権が、その後押しをしている。けれども、
「日本では、女性が不満を持っていても離婚率は高まらない」、とYSさんは考えている。
逆に、「日本では、女性の自立は、離婚しないために必要な条件になる。経済的に男性に依存し、家庭や子供に重点を置きすぎると、1人の人間として女性にはストレスが溜まりすぎる」、という。YSさんは、熟年離婚の原因を、今まで女性が家庭に留まりすぎたところにある、と見ている。
また、日本では、「自立しすぎた女性には、男性が愛想をつかす」、とYSさんは別の視点から考察している。
日本人女性の今後の理想像は、「実際には自立していて、いつでも1人で生きて行けるが、表面上は頼りなげに見える」、というものだ。そういえば、最近の統計では、職に就かないで家庭に入ることを望む、若い女性が増えている。大学を出ても家庭へ入ろうとするのだから、YSさんの考察が正しいのかもしれない。
上のような女性の視点からの指摘は、私にはとても勉強になった。ヨーロッパ系の女性よりも引いているように見えても、男にとって、本当は怖いのが日本人女性かもしれない。
女性が自分に閉じこもりすぎることは、社会にとってはマイナスになる。人口の半分は女性だ。社会を全体として適切に機能させるには、人口の半分を占める女性が、社会へ積極的に関与したほうがいい。
また、社会に多様性を持たせるために、男性とは異なる思考をし、価値観も異なる女性の関与が、極めて重要になる。 日本の未来が見えにくくなっている。男性が支配する社会が行き詰まっているときにこそ、男性とは異なる視点を持つ女性が、社会に貢献することを求められる。
世界で仕事をする世界人になるために、理解しておいたほうがいい心理的な問題にも触れた。
プロ意識を持って仕事に当たることが、とても大事だ。異質な環境下で異質な人たちと仕事をし、自分の存在を認めてもらうために、プロに徹する。
自分に投資された分に見合った、あるいはそれ以上の仕事をするプロは、世界のどこでも、どの分野でも必要とされる。私は、「自分に投資された分」と具体的に規定したが、金換算だけを言っているのではない。教育者や基礎研究者は、金とは全く異なる概念で、仕事の結果を判定される。
後述するように、ダメ学生と言われていたフィリップ・ホジキン(フィル)の才能を、私が見抜いた。フィルが、世界的な研究者になるきっかけを作った。この私の体験を聞いて、RSさん(教育学部2年)は、プロの教育者や研究者は、有能な人材の発見と育成に、十分な力を注ぐことが必要、と感じた。
KAさん(教育学部1年)は、「プロは、世界のどこでも必要とされる」という私の言葉に、強い衝撃を受けた。そして、次のように考えた。「自立したプロは、日本の枠にとらわれることなく、世界中で仕事ができる。そして、新しい自分を見つける。それだけではなく、自分が社会に貢献できる場を、いろいろなところで発見できる」。
KAさんは、「こう言うのは簡単だが、実際に行動で成し遂げるのはとても難しい」、と感じた。大きな努力なしには成し遂げられないことを、よく理解している。
RSさん(教育学部2年)は、海外へ出ることを今までに全く考えなかった。私の話から、自分の視野や価値観を広げるために、海外へ出ることの重要性を認識した。
YT君(法経学部2年)やYS君(工学部4年)には、「心の中の国境を捨てて、世界舞台に身を置く」という私の言葉が、特に印象深かった。
世界で、プロとして活躍することによって得られる利益は、長期的にとても大きい。日本が衰退するなどして、やりたい仕事を日本でできなくなったときに、他の国でその仕事を続けられる。人生の保険になるのだ。こういう現実的な利益を、TA君(工学部1年)は今までに考えたことがなかった。
TA君は、生活の身近なところでもプロになることが必要、と感じた。大学の維持管理に税金が投入され、親が、授業料や生活費の面倒を見てくれる。そんな学生という身分に甘んじていた、と反省した。「プロの学生」として、これらの出費に見合った成果を、勉学であげる決意を固めた。
RSさん(教育学部2年)にも、他人から投資を受けているという認識が、今までに全くなかった。私の話が、今の自分を省みることにつながったのは、私にとっては望外の喜びだった。
私は、HD君(工学部2年)に、「専門分野で今学んでいることを、社会に出てどう活用しますか?」、とたずねた。突然に質問されたHD君は、答に詰まった。レポートに、そのときの心の動きを思い出しながら、次のように書いてくれた。
「将来の自分の仕事を思いつかなかったことが、問題なのではない。もっと視野を広くして、現在学んでいる専門科目が、社会でどのように応用されるのが理想的なのかを、常に考えていることが大事だ。例えば、福島第1原発の事故との関連で、施設の耐震性や放射性物質の除去など、多様な問題にどのように取り組むのか?解決が必要な新しい課題を、自分自身に突きつけることの大事さを、実感した」。
若者に問いかければ、年長の質問者が想定した回答を超える事柄を、若者は考える。教育者がこのことを常に頭に入れておけば、若者が、前の世代を超える社会を作り上げることに、つながる。
エッセイ28「天才を育てる楽しみ」 で、フィリップ・ホジキン(フィル)について書いた。
私が指導教員になる前は、フィルは、権威主義の他の教員に反発することが、多かった。私もかつて、フィルと同じような経験をした。海外留学をしたが、困難な国際政治との関連で発生した、教授からの圧力を乗り越えなければならなかった。オーストラリアへ行くことになった理由は、別の問題に遭遇したためだった。大学で仕事をしていた私に、理不尽な要求をした他の研究室の教授に、反発をした。そして、オーストラリアの大学に職を得て、日本を去った。
JH君(法経学部4年)は、何事においても安全第一と考え、大勢に順応するために自分を殺してしまう。私の経験を聞き、自分の人生を自分の意思で決めることの重要性に、気づいた。どう生きていくのかを考えるときに、私の経験を参考にすることにした。
他にも共鳴する学生がいた。TA君(工学部1年)は、高校生のときに化学の先生に反発した。これが、医学部への推薦入学を取り消された理由に、つながった。それで、フィルと私に親近感を持った。
こういう理由で親近感を持ってもらうことに対して、若干複雑な思いにとらわれる。 TA君の反発は、推薦入学の取り消しというマイナスの結果をもたらした。長期的には、この取り消しが、TA君の人生にプラスになる可能性を、否定はできない。けれども、権力を持つ者への反発は、往々にしてマイナスの結果をもたらす。そうではあっても、自分の意思で自分の人生を決めることの意味は、とても大きい。自己の確立に大きな貢献をする。
TA君は、面と向かって、初めてプロ意識の重要性を説かれたことで、目が覚めた思いになった。
プロであることは、権威に反抗することも意味する。全ての分野を包括支配する、神のような絶対的権威は存在しない。権威は、ある特定の分野や特定の地域でしか、力を発揮できない。1人の権威と仲たがいをしても、他の権威が仕事のプロを必要としている。そんな他の権威にアプローチをすればいい。
世界のどこにいても、自らの力で自らの人生を切り開いていく覚悟が、必要になる。覚悟を決めたプロには、生きる道がどこにでもある。TA君は、現在は、高校時代の夢とは異なるコースを進んでいる。私の話を聞いて、医療系の研究者になる、という夢を持つことができた。努力によって道が開けることを、確信できた。
AS君(文学部2年)は、私が自分の信念に従って生きてきた状況を、自らの視点でとらえてくれた。
海外では、単に言葉の問題で苦労するだけではない。自分がコントロールできないだけではなく、しばしば理解することもできない、政治的・経済的・社会的な状況がある。困難な状況に置かれても、自分の目標達成のために、乗り越える努力をすることに、AS君は意味を感じた。だが、同時に不安も感じたのだ。
憧れているサッカー選手の海外での活躍を見て、海外で生活したい、とAS君は子供の頃から夢見ていた。現在、文学部で学んでいるので、ジャーナリストになることを希望している。戦場を含む海外で取材することに憧れている。けれども、「憧れを、厳しさ克服の覚悟にまで高められるのだろうか?」、という内省をレポートに書いた。信念のような心理的なものに突き動かされて、生きる場所を変えることに、生活者の立場からの疑問を提出した。
反発や反抗という心理的葛藤だけに目を向けるならば、まだ1人前になっていない、思春期の少年、少女でもやることだ。「大人の反抗は、自己の確立を伴っていなければならない」、と私は説いた。TA君(工学部1年)は、真正面から私の言葉を受け止めてくれた。
自己が確立されているということは、自分の判断と行動に、自分で責任を持つことを意味する。同時に義務も生じる。自己が確立されている人間は、個としての他人の存在を、受け入れることができる。自分を生かしながら他人も生かす。そうやって人間関係を確立する。
自分と他人の人間としての可能性を、互いに広げることができる。TA君は、独りよがりになりがちな自分の生活態度を反省してくれた。
人は、常に何らかのネットワークの中で仕事をする。人間関係の重要性に気づき、そのことをいつも意識していることが大事になる。私は、自らの努力で海外に出ることによって、外国人だけではなく、海外在住の日本人にも出会った。国内では得られない知己を得た。ネットワークを大きくすることができた。
NN君(園芸学部1年)が、私の人間関係に強い興味を示した。マクファーランド・バーネットやフィリップ・ホジキンと、私という人間の奇跡的なめぐり合わせの不思議さに、感動した。NN君は、人間同士のつながりの重要性に確信を持った。
NN君が講義の最後に質問した。「成績が最低と評価されていたホジキンの才能を、どのようにして見抜いたのですか?」。私の答は、「フィルは、とても高い能力を持っているので、大学の講義がばかばかしかったのです。若かったので、教員を馬鹿にしている気持ちを、表に出してしまいました。教員から猛烈な反感を買いました。
私は、先入観を持たずにフィルと対話をし、彼の能力をありのままに受け入れました。私がフィルの能力を認めたので、フィルは、私が与えたプロの研究者にも困難な課題と、全力で取り組むようになったのです
」(
エッセイ28「天才を育てる楽しみ」
を参照)。
NN君は、私がフィルの能力を認めることができた背景を、考察してくれた。「海外で、いろいろな人たちに出会うことの重要性を、知っていたことが背景にある」、と結論づけた。私が意識していなかったことを、NN君が指摘したのだ。
NN君は、自分にもこのような出会いがあることを、夢見ている。またYM君(工学部2年)も、フィルに対する私のように、自分を評価してくれる人が現れることを、期待している。そのような出会いの場で、自分を認めてもらえるように、主張を明確にできるようになりたい、と述べた。
世界という場における人間関係は、人々の多様性を認め、他の人たちを理解するところから始まる。そうすれば、相手に自分を理解してもらうことが可能になる。
社会生活を営む人間同士の関係においては、利害が相反することがしばしばある。問題が発生しても、互いを理解しあっていれば、落としどころを探ることができる。
聴講する学生がとても多様だったので、私の専門の話は極力押さえた。専門との関連では、生物である私たち自身についての一般的な理解が、深まるような話をすることにした。
生物のからだを構築する反応は、多層に積み上がっていて、全体としてとても複雑になっている。極度の柔軟性によって特徴づけられ、激しい環境の変化にも対応できるようになっている。このシステムの動的かつ柔軟な機能を、私たちはまだほとんど知らない。
私たちのからだは、人間である私たちだけに属するのではない。他の生物も一緒に住む、超共同体になっている。協調関係が、数10億年に渡る進化の過程で築き上げられた。
卵子と精子が融合してできた、生体細胞の数が60兆個なのに対して、100兆個もの細菌が主に腸内に住んでいる。これらの細菌が消化を助け、免疫系の機能を高めている。
私たちのからだを生かしている重要な遺伝子の中には、私たち自身のものではなく、ウイルスや細菌由来のものがたくさんある(エッセイ27「危機を乗り切る驚異の生存戦略」を参照)。これらのウイルスや細菌、あるいはその子孫たちをからだから除いてしまうと、私たちは一瞬たりとも生きることができない。
基礎生物学を学んだ人には常識的な、このような話が、工学部のTA君(1年)や法経学部のYS君(2年)には、驚異的だった。子供の頃から、「ばい菌やウイルスは人間に病気を起こす悪者」、と教えられてきたのだから、驚くのは当然だ。自分のからだに、そのような驚異が存在していることを知るのは、とても大事だ。常識にとらわれずに、物事を広く深く考えるきっかけになる。
激烈な危機が、今までに地球を繰り返し襲った。地球全体が凍結する全球凍結、巨大噴火、小惑星落下、超新星からのγ線照射などが原因になって、38億年の間に、地球上の生物の大多数が何度も死滅した。自然の大変動に対して、極端に脆弱な生物。生き延びることができたのは、多様性があったからだ。環境の激変に耐えられた少数の生物が生き残り、新しい環境に適応して数を増した。
「人間の寿命は120年程度と、DNAの中で遺伝的に決められている。1世代の寿命がこれくらいでなければ、激変する環境に、世代交代で対応できなくなるからだ」、という私の指摘にHI君(法経学部4年)が驚いた。「環境激変に対応する、自然の力の偉大さに感動した」、と感想を述べた。
MOさん(文学部1年)も、絶滅の危機を乗り越えるために、個体が短命になったことに、驚いた。文学部の学生らしく、「人間は、このような生物学的限界を乗り越えるために、精神面での「生」を重視する必要がある。精神面の「生」によって、生物学的な限界を越えることができる」、と考えた。こういう方向へ思考を広げる学生がいたことは、私にとっては大きな喜びだった。
私たちのからだは、多様な生物が協調して住む、宇宙のようなものだ。この基本的な概念を人間社会に適用すれば、多様な人間同士の協調によって、人間社会が成り立っていることに、思いが行くはずだ。
社会環境が激変している時代には、日本人の中に多様性を確立し、それを維持・発展させなければならない。精神や文化が単一ならば、日本人の社会的な進化、即ち日本の将来の繁栄が困難になる。
KAさん(教育学部1年)が、この私の意図を明確にとらえてくれた。「農耕民族の精神を、歴史を通して確立した日本人と、狩猟民族であるヨーロッパ人。互いの長短所を補完しあうことによって、世界を平和的かつ効率的に動かすことができる」、という私の指摘にうなずいてくれた。
KAさん(教育学部1年)は、進化においては「危機こそチャンス」になる、という私の指摘に感動した。また、絶滅は、進化の絶頂期にこそしばしば到来する、という指摘に興味を示した。
私は、社会にも同じ原理が適用されることを説明するために、危機とチャンスが繰り返し訪れた、日本の戦後史を振り返った。危機を乗り越えるための第1の条件が、多様性の確保だ。「社会に多様性と柔軟性が確保されるように、貢献したい」、とKAさんが述べた。
YTさん(法経学部1年)は、「危機こそチャンス」というメッセージを、私の個人的な体験に結びつけてくれた。困難な状況下で全てが危機的になっても、それをチャンスに変えた私の生き方に、強い感銘をおぼえたという。
いろいろなことを考えすぎて、行動を起こせないことを自覚しているYTさん。これからの人生において、「危機こそチャンス」というメッセージを肝に銘じていたい、とレポートに書いた。何事にも悲観せず、前向きに生きていく決意を固めた。
RN君(工学部4年)は、危機をチャンスに変えるという文言自体は、新聞記事などで目にしていた。これからどうするのかという、時系列を考慮した内容になっていた、という。けれども、危機をチャンスに変える経過を追跡したり、結果として何が成し遂げられたのかを、調べることはなかった。記事が、自分との関連でとらえられる内容ではなかったのだ。遠くから響いてくる言葉の羅列にすぎなかった。
講義では、目の前の和戸川という個人が、過酷な状況を自分の人生の展開点にした、と自からの体験談を話した。「危機こそチャンス」が、とても身近な言葉になったのだ。
AOさん(法経学部1年)は、危機を乗り越えると、それまで見えなかった、新しい地平線が見えるようになることを、知った。自分が危機的状況にいると感じたときには、次へ飛躍できるステップにいる、と考えるようにすることにした。
視野を広げて国全体を見渡すと、現在の日本は、出口のない危機的状況下にある。それは、新しい道が開ける可能性を秘めている、とAOさんは結論づけた。
私は、「危機をチャンスに変えるには、信念だけではなく運も必要」、と述べた。AOさんは、「その運を生かすには、物事をポジティブにとらえる必要がある」、という正論に達した。
同時に、人間は、どのような環境にも柔軟に適応できる能力を兼ね備えている、という前提に立って、今後の自分の行動を決めることにした。未知の海外生活に飛び込むことによって、自分を危機的状況に追い込み、自分自身が、どのように変化し順応するのかを、試したくなった。
AOさんは、このように多くのことについて思いをめぐらせてくれた。
TN君(法経学部1年)も同じような捉え方をした。ただし、ケース・スタディとしてあげた例は、AOさんよりもより具体的だった。「会社で上司から難しい課題を与えられた。締め切りまでに成就させなければ、首になる。会社にとってとても重要な課題だ。上司が自分の能力に賭けたことを、チャンスと考えることができる。課題達成のための方策を考え、全力で集中すれば成果をあげることができる。結果として、社内での評価が上がる」。前向きのケース・スタディになった。
もう1つのケース・スタディのスケールは、大きかった。「国が食糧不足におちいると、国民の生活が困難になる。政府に対する国民の信頼が低下する。政府が重要な政策を立案し、国民を一丸にまとめて取り組めば、危機を乗り越えることができる。政府への信頼が高まり、国民との絆が強まる」。食糧を輸入に頼っている日本に、将来的に発生しそうな問題だ。
また、「東日本大震災は、大きなチャンスに変わる危機になったはずだ。そうしなければならない」、とTN君は結論づけた。その心構えで、これから社会に出てほしい。
私は、進化を推し進めることになった地球環境における危機、日本に繁栄をもたらすことになった経済の危機、個人の可能性を広げた私自身の危機などを、大きくからめて話した。全く異なるスケールの事実を、一つの概念でまとめたことが、ただ単に話を分かりやすくしただけではなかった。強いインパクトを、学生たちに与えることができた。
「危機こそチャンス」という言葉を、多様な物事の展開を規定する真理として受け止め、今後の生き方に役立ててほしいものだ。
ある時代に覇者として存在している生物(例えば中生代の恐竜)は、その時代の環境に、最大限に適応・特化したからだを持っている。従って、環境が激変すると絶滅しやすい。その時代の弱者は、環境に特化したからだを持っていないことが、多い。即ち、多様な進化を遂げるための遺伝的な余裕を持っている。
例えば、小惑星が6500万年前にユカタン半島に落下したとき、地球環境の激変が恐竜を絶滅させた。植物が大量に死滅したために、巨大草食動物だけではなく、それらを捕食していた巨大肉食動物も死滅した。更に、地球大気中の酸素の減少が、生存のために酸素を大量に必要とした、恐竜などの巨大動物の絶滅に拍車をかけた。
そんな環境下で、ネズミのような弱小生物だった哺乳類が、生き残ることができた。恐竜がいなくなった地球で、多様な進化を爆発的に始めた。
上の私の指摘を聞いて、TM君(園芸学部1年)にインスピレーションが湧いた。「次の環境の激変で、人類は強者として絶滅するのか、それとも弱者として更に進化をするのか?」、という命題を立てた。
TM君によると、「人類は、肉体的には条件つきの強者だ」、となる。「肉体だけを比較すれば、人類は犬よりも弱者になる。道具を使うことで犬を超えられる」。
TM君は続けた。「人類には大きな弱点がある。人類同士で組織的な大量殺戮を行うことだ」。TM君は、これを生物としての根源的な弱点、と捉えた。そして、「人類は強者なのか弱者なのか分からない」、と結論づけた。
TM君は、とてもユニークな発想をしてくれた。人類の未来がかかっている壮大な発想だ。なお統計によると、人間を殺す動物のトップは、マラリアを媒介するカだが(年間72万5000人を殺す)、2番目はなんと人間自身なのだ(47万5000人)。3番目はヘビで、数はずっと少なく5万人。
NN君(園芸学部1年)は、「弱者が次の時代の覇者」という視点を、人間社会に敷衍してくれた。「思考における多様性と柔軟性をを身につけることによって、現在は落ち目の日本人が、世界で力を発揮するようになる」、と考えた。思考を自由に展開した結果、こういう結論に達したのだ。こういう若者がいる限り、未来を悲観的に見る必要はない。
私は、歴史を振りかえりたい。バブルが花を開いた20世紀末に、「21世紀は日本の世紀」などと、海外の知識人から日本人はおだてられた。その気になった日本人が、現実から離反した思い込みにのめり込んで、大きな失敗をした。
その愚行を危機としてとらえ、チャンスに変える作業を、日本人はしてきただろうか?今までにやってこなかったとしても、NN君のような若者がいる限り、私は日本の未来に賭けたい。