いつまでも子供、子供と思っていると、子供は「アッ」という間におとなになってしまう。人間も犬も同じだ。特に、犬の成長速度は人間の数倍以上になる。成長は速い。
ラッキーは今5ヶ月令の終わりだが、体長が40センチ、体重が13キロもある。バセンジーの雄の成犬の平均サイズを、すでに越えてしまった。
私が住んでいる街に、バセンジーがもう1頭いることを、しばらく前に知った。最近、散歩の途中で、そのバセンジーに数回出会った。10才の雌だ。色は黒、白プラス茶が少し。いわゆるブリンドルだ。ラッキーは、既にこの雌よりも大きくなってしまった。
バセンジーにしては、からだが大きいだけではなく太めのラッキー。体長の調整はできないが、体重の増加はこのあたりで止めたい。
努力をしている。しかし、体重減少に成功するかどうか、おぼつかない。
大型バセンジーのラッキーだが、年相応に子犬の名残りを残している。歯が完全には生え変わっていないのだ。 右側の犬歯は、乳歯と永久歯がまだなかよく並んでいる。おしっこをするときには、後の両足を地面につけたままの場合が多い。 気が向けば、左足を上げることがある。
この1ヶ月間で、行動にかなり変化が出てきた。強烈な好奇心の持ち主なので、家中をひっくり返して、探索行動に明け暮れていた。その結果、家の中のどこに何があるのか、大体分かったらしい。探索行動が落ち着いてきた。
強烈な好奇心は、あきっぽさと表裏一体なのだ。もの珍しさがなくなれば、あきてしまう。すなわち、見方を変えれば、あきっぽい性格ということになる。
散歩でもこの性格が出る。同じルートを毎日散歩していれば、景色も、においも、落ちている物も、おなじみになってしまう。目新しい物は何もなくなる。すると横になって動かなくなってしまう。新しいルートに行けば、全てに興味津々。立ち止まることが全くない。
こんなラッキーだが、態度は既におとなびている。いつも首をピンと伸ばしているので、風格があるといってもいい。
「ワンワン、キャンキャン」とやたらにうるさい他のワンコたちを、適当にあしらっている。ラッキーを威嚇をしようと、歯が鼻に触れそうな距離で吠えまくる犬がいても、ラッキーは全く動じない。どこ吹く風。その犬を避けるために、からだを引くこともない。うるさいワンコをクールに見る。
余りの落ち着きぶりに、相手の犬の飼い主は感心してしまう。きっと成犬に違いないと、推測をする。そこでラッキーの年令をいうと、その人はびっくり仰天。たった5ヶ月令!子犬のラッキーは何事にも動じない。ところが、「ワンワン、キャンキャン」と落ち着きのないその人の犬は、年令的にはちゃんとした成犬なのだ。
上に書いた、もう1頭のバセンジーの飼い主の奥さんも、とても驚いた。この飼い主に出会ったときにも、ラッキーはそれなりに悠然としていた。ところが、彼女のバセンジーは、ラッキーを嫌って歯をむき出しにするのだ。おかげで、バセンジーどうしで遊ばせることはできなかった。
この飼い主は、バンセンジーの集まりに出ているので、バセンジーの性格をよく知っている。ラッキーのように落ち着いていて、誰にでも好意的なバセンジーは、少ないらしい。自分から他の犬を威嚇することはなく、犬でも人でも、誰でも大好きなラッキー。周囲の誰にでも強烈な好奇心を示す。この飼い主によると、ラッキーはバセンジーの模範になるらしい。
彼女は、ラッキーの毛並みが美しいことにも驚いた。散歩の途中で会ったときに、バセンジー日記をネットに書いている息子を、わざわざ携帯で自宅から呼び寄せた。カメラを持ってやって来たその息子も、ラッキーを見て感動した。次にその奥さんに出会ったときに、息子が、自分の家のバセンジーの写真ではなく、ラッキーの写真をトップページに載せるようになったといって、笑っていた。
ここまでほめられると、うれしいというよりも、ワンコたちのことを思って不安になる。モンタの性格もラッキーに似ていた。犬は、本来は、モンタやラッキーのような性格を持っているはずだ。人間が手を加えすぎて、神経質な犬が増えすぎたのではないか?
ラッキーは、公園で目につく全ての犬と人を、じっと見つめる。笑いかける人にはからだをすり寄せる。他の犬と遊ぶときには、そこにいる全ての犬に交互にじゃれつく。良くいえばとても社交的、悪くいえばとても移り気だ。こんなところも、上記の好奇心の裏返しといえるかもしれない。
自分よりも小さい犬と遊ぶときには、適当にあしらっているような感じを受ける。本気になって遊ぶのは、自分と同じくらいのサイズか、自分よりももっと大きい犬だ。
何しろ、一番の友だちは特大のバーニーズ・マウンテン。ローマ帝国やスイスで荷車を引いていた、熊のような犬だ。雌の成犬は体長60センチ余、体重は40キロ近くになる。バーニーズの1才3ヶ月の雌と、ラッキーは猛烈にからまりあって遊ぶ。ちなみに、このバーニーズは既に避妊手術を受けている。
モンタを13年間飼っていたので、犬のじゃれあいをたくさん見てきた。しかし、ラッキーとこのバーニーズのじゃれあいほど猛烈な遊び方は、今までに見たことがない。文字通りくんずほぐれつ、上へ下へと、転がりからまりあってじゃれまくる。
ただし、からだのサイズの差が大きい。バーニーズが前足を一振りすれば、ラッキーは地面に転がってしまう。
ラッキーの戦術はこうだ。こんな大型犬にじゃれるときに、離れてぶつかりあったのでは、勝ち目がない。そこで毛が多い首にかみついて、自分のからだがバーニーズから離れないようにする。
犬がかむ意味をよく知らない人には、こんな光景を見せられない。じゃれあいのかみつきなので、相手を傷つけることはないが、そのことを理解できないからだ。かむことは、最も親しい相手にだけする、コミュニケーションの方法なのだ。
バーニーズも負けずにかむような振りをする。バーニーズが大きな口を開けば、その口の中にラッキーの頭が入ってしまうので、本気でかむことを遠慮する。
人間が相手の場合には、ラッキーは私と妻しかかまない。甘がみなので、勿論大して痛くはない。ラッキーの舌が温かく柔らかいので、くすぐったく感じる。特に、 妻に抱かれると、口を大きく開けて、目の前の腕を全部口の中へ入れてしまう。そして、目が眠そうに細くなる。まるで、おしゃぶりを口に入れた幼児のようだ。 家中で一番甘い妻に甘えて、特別なかみ方をするのだから、確かにおしゃぶりを口に入れた幼児だ。
敏捷さでは、ラッキーがバーニーズに勝る。ラッキーは、リードの長さを半径にした円周に沿って、猛烈な助走をつけてから、バーニーズにジャンプする。
正面衝突をすれば跳ね返されて、小さいラッキーのほうが大怪我をしそうだ。けれども、正面衝突はしない。バーニーズの手前で、見事な急ブレーキをかけるのだ。それにからだを少しずらせて、正面衝突を避けている。ただし、リードから離せば、どこへ飛んでいってしまうのか、分からないような動きをするラッキー。私がリードを離さないので、そのリードに引かれて、バランスが崩れれば危険なことになる。私は細心の注意を払っている。それでも、犬の瞬間的な動きについていけるかどうかについては、自信がない。
見たところ、バーニーズの母性本能が、ラッキーとの遊びに出ているように思われる。体格の差を承知して、それなりにラッキーをあしらっている。もう1頭、ボストン・テリアが、このバーニーズに猛烈にじゃれまくる。ラッキーよりも小さいボストンは、バーニーズにじゃれるときには、ラッキー以上の全力投球になる。バーニーズは、より小さいボストンと遊ぶときには、ラッキーとは違うやり方であしらっている。
このバーニーズは、とてもよくできた犬だ。バーニーズばかりか、かみあってくんずほぐれつの猛烈なじゃれあいを、喜んで見ている飼い主もよくできている。犬の何たるかを知っているのだ。さすがに、この飼い主あればこの犬あり、ということになる。この飼い主にとっては、これが2頭目のバーニーズ。この大型犬を大好きなのだ。
ラッキーが大好きな大型犬が、もう1頭いる。バーニーズと同じくらいの体長がある、ダルメシアンの雄5才だ。去勢をしていない。
尾を余り振らないはずのバセンジーだが、このダルメシアンに対しては、ラッキーはいつもはっきりと尾を振る。
丸まった尾全体が、根本から揺れるような振り方なので、普通の犬の尾の振り方とは異なる。振っているのかどうかが、分かりにくい。
他の犬の前では決して見せない特別な態度を、この犬に対しては取る。ラッキーは大きな耳をいつもピンと立てている。ダルメシアンに挑戦するときにだけ、このシンボルになっている耳を、ピタッと後方へ寝せてしまう。そして、やや遠慮がちに、ダルメシアンの頭の上へジャンプをする。
ラッキーは、このダルメシアンとも大いにじゃれあって遊びたいのだが、明らかに少し怖がっている。ラッキーが余りにもうるさくまとわりつくと、この犬は、「うるさい、あっちへ行け」というように、低く吠える。ラッキーはすぐに後ずさりをする。
けれども、再びじゃれようとする。こんなことを何度も繰り返す。
バーニーズは母親、このダルメシアンは父親という構図になりそうだ。ラッキーは公園で、やさしい母と厳格な父を得たことになる。
私は、バセンジーを初めて飼った。ラッキー以外に知っているバセンジーは、たった1頭しかいない。ラッキーの性格が、普通のバセンジーと異なるのかどうかについては、断定をできない。他のバセンジーも、ラッキーのように皆に友好的なのかもしれないし、そうではないのかもしれない。
ただ、ブリーダーのサイトの写真や動画を見ると、ラッキーの性格は親ゆずりのように思われる。すなわち、このブリーダーは、性格的に特に社交的な雄と雌を選んで、繁殖をしているのではないだろうか?
妻の知人が、トイ・プードルを1頭飼っていた。その知人の友だちが、2ヶ月令のトイ・プードルをペット・ショップで買ったけれども、飼育を持て余すようになった。2ヵ月後には飼育放棄だ。妻の知人は、その寂しそうなプードルがかわいそうになって、もらい受けた。そのプードルは、今は4ヶ月令の子犬らしく、先輩プードルと一緒にいつもはしゃぎ回っている。
テレビの番組を見ていると、よく人間の言うことを聞く、かわいい犬がたくさん出てくる。犬を飼ったことのない人は、犬と一緒に住むことの意味について、誤解をする可能性がある。犬を飼うことは、動くぬいぐるみを家に置くということではない。
動物を育てるのは、どの動物でも、人間の子供を育てるのと同じくらいに、大変なことだ。バセンジーが飼いやすいのか、プードルのほうが飼いやすいのか、それとも他の犬種のほうがいいのかという議論は、人間中心の身勝手な結論を生みやすい。
犬種に関わらず、犬は全生活を飼い主にゆだねることになる。飼い主の人間が主導権を握っているのだから、まず犬の全てを受け入れ、犬と共生する生活を、自ら作り上げていくことが必要になる。
それしか選択の余地はない。
人間の子供の性格形成に、生まれてからの生活環境が大きな影響を与えるように、犬の性格も飼い主の扱い方によって変わってくる。「犬は飼い主に似る」という言葉がある。
自分の人生の一部を多少なりとも犠牲にし、面倒をみることによって、飼い主と犬の間には強い心のきずなが生まれる。犬以外からは得られないものが、自分の人生の中に埋め込まれたことを、飼い主は知るようになる。