モンタが永眠してからちょうど半年が経過した(エッセイ15 「最後まで大きく燃えた命の炎」 )。写真1に写っている白いスキンの上でモンタが永眠した。
ペットロス症候群に落ち込んでいた私たち家族は、1ヶ月近く前に新しいワンコ(犬種はバセンジー)を迎え入れた。今や上や下への大騒動。ペットロスどころではなくなった。
私は、子供のときから犬に強い興味を持っていた。しかし、犬種には特に関心がなかった。バセンジーなる犬種がいることは、つい最近まで知らなかった。ところが、この強烈な個性を持った犬種が、我が家の新メンバーになってしまったのだ。ここに至るまでに、モンタとの不思議な因縁が認められる。
短毛の犬の毛は抜けやすい。短毛で大型犬のモンタは、抜け毛を大量にまき散らした。家中が毛だらけになることが、妻にはずっと不満だった。
さらに、モンタの思い出が強すぎることもあって、妻は、「再び犬を飼う気にはなれない」と言っていた。私も、まだ次の犬を飼う気にはなっていなかった。
ところが、何を思ってか、犬種紹介の本を妻が友だちから借りてきたのだ。妻にその気があるならばと、次に飼う候補犬の検討を始めた。ネットで情報を集めた。
最優先にした条件は、妻の希望を入れて毛が抜けにくいこと。長毛の犬の毛は抜けにくい。トイプードル、マルチーズ、ミニチュアシュナイザーなどが、典型的な長毛犬だ。これらの犬の毛は抜けにくいが、毛はどんどん伸びる。毛をきれいに保つために、ブラッシングやシャンプーを日常的に行わなければならない。トリミングのためにショップへ連れて行くことも、必要になる。体毛をきれいに保つためにここまで犬をいじくり回すことは、私の趣味に合わない。
短毛で毛が抜けにくい犬は、いないのだろうか?最後に辿り着いた犬種が、バセンジーだった。そこで、バセンジーなる犬種の特徴を調べた。
毛の手入れは簡単だ。時々ブラッシングをし、塗れタオルで拭くくらいでいいらしい。きれい好きで、猫のように自分でからだをなめ、体臭は余りないという。
次に、マンションの規約を考慮しなければならない。大型犬のモンタは、規約違反を承知の上で飼っていた。次の犬でも規約破りをするのは、いささか気が引ける。
私たちが住んでいる階では、体長50センチ、体重10キロ前後の犬まで飼えることになっている。バセンジー成犬の体長は40センチ強、体重は10キロ強になる。体長は規約が認める範囲に入りそうだが、体重は微妙だ。ただし、規約には「前後」という文字が付け加えられている。それに、体長はともかく、体重は食事でコントロールができる。 ...と、自分に都合のいい理屈を頭の中で考えた。
飼うための必要条件は、クリアーできそうだった。そこで、バセンジーなる犬種の特徴をさらに調べた。
妻が借りてきた本によると、犬種としての人気度は150の犬種中で約50番。やや人気があるという程度と思われる。けれども、ネットで調べているうちに驚いた。バセンジーは、犬の世界遺産になれそうな犬種なのだ。
バセンジーの祖先は、3~4万年前に、今よりも緑が多かったサハラ砂漠で誕生したと、推測されている。人間の居住地周辺をうろついているうちに、人間とゆるい共生関係に入った。そんなバセンジーの姿が、サハラ砂漠で見つかった、6000~7000年前の岸壁の壁画に描かれている(「サバンナで生まれた人・犬運命共同体」)。
この壁画が描かれたのは、古代エジプト王朝が成立するよりも前の時代だった。
やがて、南のスーダンから北上してきて、ナイル川流域に定住した古代エジプト人と出会い、そこで飼育されるようになった。人間が完全に庇護する共生生活だったので、バセンジーは「初めて家畜化された犬」と言われる。その由来から、通称「ナイル犬」あるいは「古代犬」とも呼ばれる。
エジプトのファラオに飼われ、クレオパトラに愛された犬。古代エジプトの壁画にその姿が彫られ、彫像にもなった。しかし、古代エジプト王朝の崩壊とともに絶滅したと思われた。壁画でしか見ることができない、幻の犬になったのだ。
19世紀にイギリスの探検隊が、コンゴのピグミー族と共生しているバセンジーを見つけ、イギリスへ連れ帰った。それらのバセンジーは、ジステンパーなどのアフリカにはない感染病にかかって、死んでしまった。その後、イギリスやアメリカの探検隊が、コンゴや中央アフリカでバセンジーを捕獲する努力を続けた。ジステンパーなどに対して、遺伝的に強いバセンジーを作るための交配が繰り返された。そのような努力が実を結び、20世紀になってから、やっと文明国で普通に飼育できるようになった。
カリフォルニア大学などの国際研究チームが、電子版Natureに今年(2010年)発表した研究論文がある。バセンジーが古代犬種であることの、決定的な証拠が示されている。
この研究チームは、85の犬種合計912頭と、世界の11カ所に生息するハイイロオオカミ225頭について、DNAの約4万8000カ所を比較検討した。その遺伝子解析の結果、バセンジーが、現存する犬種の中では最も古いと結論された。
シベリアンハスキーの見かけは、狼にそっくりだが、遺伝的にはバセンジーのほうが狼に近い。
それ以前にも、アメリカの研究者が遺伝子解析によって犬と狼を比較し、2004年に同様の結果を報告していた。
バセンジーの見かけ上の特徴は、狼やハスキーとはとても異なる。生活する自然環境へ適応した結果が、このような見かけ上の違いを産み出した。暑い気候に適応しなければならなかったバセンジー。生存のために熱帯に適応した短毛などの体質が作られた。シベリアンハスキーは、狼と同じ寒冷な環境に住んでいたために、狼と同じ体質になった。
遺伝的に近くても、住む環境が異なれば、体質は比較的短期間のうちに異なってしまう。遺伝的には離れていても、住む環境が同じならば、類似の体質を持つようになる。このようなことは、進化ではよく認められる。
体質だけではなく、行動パターンも生活する環境によって作られる。即ち、バセンジーよりもハスキーのほうが、狼に近い行動を取るようになったと考えられる。
現存する犬種の多くが、この300~400年程の間に、イギリスやドイツなどのヨーロッパ諸国で新しく作られた。特定の身体的、あるいは心理的な特徴を固定するために、既存の犬種を近親交配によって改変したのだ。ところが、数千年間、バセンジーには人間の手が加えられていない。
人間の手が加えられていないバセンジーは、性格的には野生に近い状態だ、という評価がある。自立心が強く、飼い主への服従を目的にしたしつけには、他の犬種よりも時間がかかるそうだ。
さらに驚くべきことに、バセンジーは普段は「ワン」と吠えないのだ。余り吠えることはないが、吠えるときには犬らしくない声を出すという。一緒に生活を始めてから、寡黙なラッキーが出した不思議な声を記録できた。エッセイ60「これがバセンジーの奇妙な声」で聞くことができる。このような声は、飼い主でさえも滅多に聞くことはない。
犬の常識に挑戦する犬種。
普通の犬は年2回出産するが、バセンジーは1回しか出産しない。
こんなところも犬らしくない。
毛が抜けにくい犬種の検索から始まって、何やら大変な犬種を見つけてしまったらしい。
人気度ランキングはそれ程高くはなく、出産数も少ないバセンジー。どこで入手すればいいのだろうか?私は、一つでも犬の命を助けることに意味があると、考えている。里親探しのサイトでまず検索した。しかし、数ヶ月令のバセンジーの里親を探している人は、いなかった。
ペットショップでもバセンジーを扱っている店は少ない。近隣のショップで見かけたことはない。ペットショップを検索していて気づいたことがある。ペットショップは単なる仲介業。ペットショップが販売しているバセンジーを追跡調査すると、少数のブリーダーに行き着いてしまう。
そこで、ブリーダーから直接に購入することにした。家族の大事な一員になるワンコだ。情報は多ければ多い程いい。
広島県のブリーダー
「トップスターライト」
のサイトに、販売している犬の情報が特に多かった。
写真のみならず動画もあった。
私が住んでいるのは東京の東側。広島県まで見学に行くことはできず、写真と動画を見て購入する犬を決めることにした。
犬が子だくさんになることをいやがった妻は、雄を望んだ。雌でも避妊手術をすればいいが、取りあえず雄にした。
バセンジーの体毛はツートンカラーだ。黒白あるいは茶白(やや赤みがかった茶色なので、公式にはレッドという)。
トップスターライトには茶白の子犬しかいなかった。このカラーは私たちの気に入った。また兄弟姉妹に、白い線が鼻梁に入っている犬と、白線の入っていない犬がいた。私たちは白く鼻筋の通った子犬を選んだ。
この子犬に、ラッキーという平凡な名前を付けることにした。日本名のモンタのあとは、英語名だ。
ペットショップでバセンジーを買えば、価格は20~30万円くらいだ。もっとも、ネット情報によると、以前は今の価格の5倍程したらしい。普通に売られている犬種の多くが、10~20万円の価格になる。価格の面からは大きな犬種差別はないようだ。
ブリーダーの売値はこれよりも安い。家へ来るバセンジーは4ヶ月令に入るということで、さらに値引きをしてくれた。3月8日産まれで7月4日に我が家へ来た。実際には3ヶ月令の終わりに引き取ったことになる。
1ヶ月近く前に、飛行機で着いたラッキーを受け取りに、羽田へ行った。貨物係の男性が、アタフタという感じで、ビニールテープでぐるぐる巻きにした、輸送用ケージを持って来た。
「犬が、ケージの中でウンチをするのをいやがって、外へ出ようとあばれました。それで、ケージが壊れてしまいました。外へ出て、部屋の中をウンチだらけにしてしまいました」
それを聞いた私の感想。「我が家へ来る犬は、きれい好きなようだ。それにしても、犬があばれて壊れるケージなんて、ちゃちにできているな」という、少しうれしさの混じった、かなりのんびりとしたものだった。
私は、そのときはまだバセンジーの怖さを知らなかった。係員は、親から引き離されて興奮し、ウンチをしながら走り回るバセンジーを捕まえるために、大変な苦労をしたはずだ。子犬とはいえ、強靭なバネのようなからだを持っている。興奮して走り回っているのを捕まえるのは、並大抵のことではない。
小さなケージに入ったラッキーは、車で運ばれる間は静かにしていた。間違いなく非常に疲れていた。
家に着いたのは午後3時。それから11時の就寝時刻まで、ラッキーは休みなしに部屋中を走り回った。私と妻は、心臓麻痺で死ぬのではないだろうかと、心配する有様だった。この間、鳴き声は一つも出さなかった。さすがに噂どおりのバセンジーだ。
ラッキーのために準備したケージ付きハウスは、居間に置いてあった。そこへ入れて灯りを消し、私たちはベッドルームへ行った。そのとき、ラッキーは初めて声を出した。「ワオオーン」という狼の吠え声のように聞こえた。子犬にしては低く力強い声だった。夜の夜中に狼の遠吠えが周囲へ聞こえては、近所迷惑になる。そこでハウスを私たちのベッドルームへ移した。ラッキーは安心したのか、静かになって眠り始めた。
全く異なる環境へ移されても、最初の日から新しい家族の認識はできたことになる。そばに家族(親)がいれば、安心して睡眠できる。
2日目からラッキーを落ち着いて観察できるようになった。ラッキーも、新しい住まいと家族をよく観察できるようになったはずだ。
バセンジーの外見上の特徴でまず目に付くのは、からだに比べて大きな三角形の耳。そして、豚によく似た上に丸まった尾がご愛嬌。他の犬のように尾を振ることはない。
丸まった尾を引っ張ると長くなり、離せばまた丸まる。ラッキーはこれが面白くて自分の尾をかんで遊ぶ。この尾は寝ているときはダラッとゆるみ、直線状になる。
子犬のうちからひたいにしわを寄せるのも、ご愛嬌の内に入る。毛は短くとても柔らかい。絹糸のように光沢があるので美しい。 毛が短かいおかげでバセンジーは寒さに弱い。
抱くと、子犬にも関わらず、筋肉質の強靭なからだの持ち主であることが、分かる。写真を見ると、成犬の細身のからだには無駄がなく、精かんに見える。
「ワオオーン」という狼の遠吠え以外に、「クーン」、「フーン」という甘え声を出す。朝、ケージの中で朝食を要求するときには「キューン」と鳴く。「遊ぼうよ」という意味で「ウオーン」とも鳴く。気が向けば他の犬と同じような声も出すようだ。
「ワン」は、1ヶ月近くの間に3~4回しか聞いていない。家族と遊んでいてとてもうれしいときや、気に入った犬の気を引こうとするときに「ワン」と言う。また、誰かがラッキーを驚かせたときにも、そのひとに向かって「ワン」と吠える。普通の犬のような甲高い「ワン」ではなく、低い含み声の「ワン」だ。しかも、最高でも3回しか繰り返さない。バセンジーの「ワン」には迫力がない。とても番犬にはなれない。
進化的にはあり得ない話だが、バセンジーを犬と猫の中間の種と考える人がいる。犬のように吠えることはなく、我が道を行くという態度が、犬よりも猫のように見えるからだ。猫がやるように遊んでいるときに前足をよく使う。片足または両足を伸ばして相手を突き放したり、引き寄せたりする動作は、確かに猫によく似ている。これも、上のように考える理由の一つとして挙げられている。
飼い主に絶対服従させることは猫のように難しい、という評価もある。
バセンジーは警戒心が強く、飼い主以外の人には媚を売らないという。しかし、この犬の心理はそんなに単純ではなさそうだ。
耳が大きく、レーダーのようにいつも回転しているので、音には敏感だ。物がぶつかる音だけではなく、子供が突然出す叫び声にもおびえる。鋭敏な耳が、人間にとっては何でもない音を、雷鳴のような騒音にしてしまうのだろう。
人間に対してはとても強い興味を示す。目に見える範囲内にいれば、ラッキーは誰にでも興味を示す。公園でも通りでも、距離が離れているにも関わらず、頭をキッと垂直に上げて歩く人を観察する。
ジョガーのように自分に向かって走って来る人からは、怖がって逃げようとする。2~3人で連れ立って歩いて来る人からも、逃げ腰になる。急に動いたり大きな声を出す子供も、苦手だ。ローラーボードは、動きが速い上に奇妙な音がするので怖がる。
警戒心が強いというよりも、敵味方を峻別する本能を持っているように思われる。自分に敵意を持っているのか、好意を持っているのかの判断に全力をあげる。敵ならば逃げる。味方ならば近づく。
ラッキーのように、人をじっと見つめる犬は他にいないので、通り過ぎる人は、自分を見つめているラッキーに笑いかける。すると、ラッキーはその人のあとを追う。好意を示す人には、からだを摺り寄せる程の近さでいそいそとついて行く。
公園を散歩中の男性が、2日続けてラッキーに会った。前日に続いて立ち止まったラッキー。男性は、ラッキーが自分をじっと見つめているので、「覚えていてくれたの」と言って喜んだ。男性は誤解した。ラッキーは、立ち止まって誰の顔でもじっと見つめる。男性の好意的な誤解を意図的に解く必要はない。「確かに覚えていたようですね」と私は言った。
犬を連れている人には怖がらずに近づいて行く。警戒心を全く見せない。犬に気を取られて飼い主が見えなくなっているのかと思うと、そうではないらしい。他の犬の飼い主にからだを摺り寄せて、顔を見上げるのだ。まるで、犬を連れている人は犬好きと、最初から決め込んでいるように見える。
他の犬に対しては警戒心を持っていない。神経質な雌犬にでも、マスティフ、シェパード、レトリバーのような大型犬にでも、遠慮なく跳びついていく。バセンジー共通の性格なのだろうか?ラッキーの個性なのだろうか?ブリーダーが、「犬や人を怖がらないように飼育中に慣れさせました」と、言っていた。
3ヶ月令までの生活環境が、犬の性格形成には特に大事だ。飼育環境が良かったおかげかもしれない。子供っぽくていい、何をやってもいいという、4ヶ月令の特権もあるかもしれない。
公園デビューから1週間程は、産まれて初めて見聞きする事象にラッキーは大興奮。周囲で生じる事象への反応に全精力を注ぐので、飼い主の私は完全に忘れられてしまった。
何しろ、リードなどはないという主観的な前提で、全力で走ろうとするのだ。ワンコの全力疾走に、オリンピックの選手でもない私が、付き合えるはずがない。ラッキーはラッキーのスピードで走ろうとする。私は私のスピードで歩く。全力疾走しているつもりの犬との格闘になる。1~2時間も散歩をすれば、私がへとへとになってしまう。
それにしても余りにも力が強すぎる。ブリーダーは、ラッキーを送ったときに体長32センチ、体重6キロと言った。それ以上の体力がありそうに思えた。そこで、我が家へ到着後1週間目に体重をはかった。体重は10キロもあった。引っ張り合いが大変なわけだ。
成犬になれば15キロに達するかもしれない。マンションの規約に書いてある、「10キロ前後」を超えそうだ。
散歩のときにコントロールしやすい、という常識に乗っ取って、首輪はチョーク、リードは短い物を使った。ところが、チョークで首が絞まっても、ラッキーは全力で引っ張ることを止めなかった。暑さで息が苦しい上に、チョークで呼吸困難になる。二重苦だ。短いリードのおかげで他の犬と遊ぶこともままならない。これではいくら何でもかわいそうだ。
そこでハーネスと4メートルまで伸びるリードを買った。意外にも、ハーネスのほうが猛烈に引っ張ることが少なくなった。伸びるリードがあれば、他の犬と思いきり走り回って遊ぶことができる。
モンタにもチョークは全く効かなかった。自己主張の強い犬には、チョークは苦痛を与えるだけの結果に終わるようだ。
ラッキーは家に戻ると、へとへとになった私にはお構いなく、今度は他の家族と遊ぶ。部屋と廊下を弾丸のように全力疾走する。
ここで驚いたことがある。マンションの部屋は、全力疾走する犬にはとても小さい。弾丸ラッキーは向きを変えるのが困難なはずだ。ところが、これをいとも簡単にやってしまう。瞬間的に停止し、逆方向へ走り始めるときに、からだがぶれることがない。生まれつき持っている運動能力は、極めて高い。
我が家到着後3日目のことだった。自分の名前をまだ完全には覚えていなかった。大きな公園の道路から一番遠い端で、お気に入りの犬に出会った。リードをはずして自由に遊ばせてやろうという仏心を、私は出してしまった。これは間違いだった。
2頭の犬は少しじゃれあった。ところが、何を思ったか、公園の反対側をめがけて、ラッキーが突然に脱兎のように走り出した。私はとてもあわてた。そこには大きな交差点があるのだ。しかも、車の通りが激しい。
「ラッキー、ラッキー」と大声で叫びながら、私はあとを追った。四足走行と二足走行では競争にならない。ラッキーとの距離はたちまち離れた。交差点の信号は赤だった。ラッキーにとっては赤も青もない。遠慮なく交差点を渡るとマンションの方向へ走った。
すぐに、大それたことをやったと気づいたらしい。マンションへ戻る道の途中で、私を待っていた。私は、冷や汗をかきながらラッキーを捕まえた。やれやれ...。
4ヶ月令のラッキーは、猛烈に活動的だ。公園で、2頭の大型犬と1頭の中型犬を相手に、ふざけて転がり回ったことがある。チビ1頭で3頭を相手にしたにも関わらず、疲れてしまったのは、3頭の大型犬と中型犬だった。
石垣へのジャンプは、そうすることがまるで本能であるかのようにやる。高いところへ登るのが大好きなのだ。高いところで首をキッと伸ばし、周囲を睥睨する。仲間との連絡に声を出さない代わりに、高所から周囲を見て、仲間を見つける習性が付いたのかもしれない。獲物の発見にも高所は有利だ。
デビューから1~2週間後には、公園の散歩にも慣れてきた。それまでの一時も休まない行動に、余裕が出てきた。腰を降ろして辺りを見たり、芝生に横になったりもする。
バセンジーは自己主張が強く、訓練は困難という。しかし、間違いなく頭はいい。「親ばか」としては、ここで箱入り息子の頭の良さを自慢しておこう。
上の「事件」の前から、バセンジーの方向感覚が優れていることは、分かっていた。散歩に飽きると、私をそれ以上先へ行かせないために、坐ったり横になったりする。そこで、「家へ帰ろうか?」と言えば、何の迷いもなく家の方向へ歩き始める。公園デビュー後2~3日で帰路に迷いがなくなった。
その後、
昭和の森公園へ出かけた。自然の森が残されている大きな公園だ。帰路、かなりややこしい山道を、ラッキーは駐車場まで私たちをリードした。車の前でピタッと止まったのには驚いた。広大なアフリカの大自然できたえられた、方向感覚なのだろうか?
4ヶ月令ということもあって、いたずらは大好きだ。前歯は永久歯になったが、それ以外はまだ乳歯。かみたい盛りでもある。
玄関の靴やスリッパをあちらこちらへ散らかす。床、椅子、ソファーに敷いてある、大小様々なシープスキンを引っ張ったりかんだりする。
散歩には、アジャスター付きのキャップを私はかぶる。散歩から帰ると、汗に塗れたキャップをドアノブに掛ける。
縦長のノブの上10センチは上方へ突き出ていて、帽子を掛けるには都合がいい。キャップはラッキーの背丈に比べてかなり高い位置にある。このキャップをラッキーはノブからはずしてしまう。
足が長いので立ち上がると口の位置が高くなる。キャップは、無理に引っ張ることなく、口を使ってノブの上方へずらして取ることができるのだ。これをやっているラッキーを見たとき、私は叱るのを忘れてしまった。
クローゼットの中身にとても強い関心を示す。クローゼットはラッキーにとっては宝物が詰まった秘密の場所だ。頭を突っ込んで衣類の調査をする。特に、毛皮のマフラー、帽子、手袋が好みだ。こういう衣類は妻が多く持っているので、ラッキーと大喧嘩になる。
洗面所も大好きな場所だ。洗面台の下の狭い空間にバケツが置いてある。それに、布巾、タワシ、ブラシ、スポンジなどが入れてある。バケツに頭を突っ込むと、好きなアイテムを選んで持ち出す。ただし、出したあとは少しかんだだけで飽きてしまう。それらをバケツに戻してやると、再びバケツの中へ頭を突っ込む。
私のデスクの下のゴミ入れも大好きだ。ひっくり返せば宝物が出てくる。いろいろな紙をかんで遊ぶ。
目新しい物は何でも口に入れてかんでみる。この調査行動は、生存と深い関係があるに違いない。周囲に、食べられる物があるかどうかを確認する。事実、最初は目につくあらゆる物をかんでいたのが、次第に興味を示さない例が増えてきた。 家の中ならば、金属製品や電気製品、外ではタバコの吸い殻や紙、それに枯れ葉などに興味を示さなくなった。
バセンジーには、探索本能が特に強いように思われる。何か食べられる物を探し出す。それに全力をあげる。文明国で長い間飼われていた犬種とは違い、アフリカでは、自分で食べ物を獲得しなければ生きられなかった。探索と狩猟の能力が発達したのだろう。
遊びにはいろいろなおもちゃを使っている。ただし、いかにもおもちゃらしい、市販のおもちゃには余り興味を示さない。
手製のおもちゃに強い関心を示す。
ペットボトルに2~3個穴を開ける。そこにドライフッドを入れる。
穴のサイズは、ドライフッドのペレットよりも少し大きい。ペットボトルを転がせば、ボトルの中のドライフッドが穴から出て、口に入れることができる。
ラッキーは最初からこのトリックを見破っていた。ボトルをかむことはなく、鼻の先で転がしたのだ。状況判断がそこまでしっかりしていることに、私は驚いた。
ベッドの上へ飛び乗ってベッドカバーをはがしたり、スポンジ製の枕を引っ張り出してかんだりする。これらを妻がとてもいやがる。
そこで、犬が嫌う臭いを出すペレットをカバーの上に置いた。ベッドへ飛び乗ったときには、ペレットをラッキーの鼻先へ押しつけた。ところが、これを遊びと心得てしまうのだ。前足を伸ばして前身を低くし、尻を持ち上げる。「さあ遊ぼう」の姿勢で私を誘う。
私や妻がいやがる物を、わざわざ私たちの前へ持って来ることがある。怒られると、「参った」というよりもうれしそうにはしゃぐ。私たちの反応が楽しいのだ。
留守番のときのいたずらは、一層ひどくなる。一人ぼっちになると分離不安の状態になり、いたずらと勘違いされる行動を取る、という説がある。それによると、家族のにおいを求めて、家の中の物をかんだり動かしたりする。
ラッキーの場合は、紙、ペットボトル、置物、スキン、タワシ、布巾、座布団、服、靴、サンダルなど、手と口の届く範囲にある、あらゆる物を床に放り出してしまう。本気でかむのは紙とスキンの場合が多い。まるで、「オレを置いてきぼりにしたら、また暴れてやるからな」と言っているようだ。
勿論、これは擬人化しすぎだ。遊びが大好きなラッキー。家族がいれば、一番面白い人間が相手なので、物はそれ程相手にはしない。家族がいなければ、物を相手にして遊ぶ以外に選択の余地はない、というところだろうか?
飼い主とじゃれあっているときにかむのは、狩猟の練習のうちに入る。親や兄弟姉妹がいれば、相手に不自由はしない。けれども、我が家では人間を相手にするしかない。おかげで、私の手は傷だらけだ。
公園で他の人をかむことはない。ただし、犬が相手ならばふざけてかむことがある。当然、他の犬にかまれることもある。かむのを認めてもいいのか、止めさせたほうがいいのか、飼い主は微妙な判断を迫られる。
「吠えない」、「尾を振らない」のバセンジーが、感情を表現する方法は何だろうか?まず目だ。英語で言えばアイ・コンタクト。私とコミュニケーションを図ろうとするときには、必ず私の目を見る。
例えば、公園で排尿や排便をするときに、私の目を見る。あるいは、一つのアクションから次のアクションへ移る場合だ。歩いている状態から立ち止まって坐ろうとすると、私の目を見る。坐っていて次に立ち上がろうとするときにも、私の目を見る。歩いていて方向転換する場合も同じだ。ついでに、何もなくてもしばしば私の顔を見つめる。
額に深い縦じわを何本か見せることがある。これも感情表現の手段にしていると思われる。 ただし、その意味を私はまだ理解していない(追記:後になって、人間と同じように、何か深く考えているときに、額のしわが深くなることに気づいた)。
鼻は、普通の犬以上にコミュニケーションの手段としてよく使う。私がコンピューターに集中しているときに、自分に注意を向けさせようと、私の腕をしばしば冷たい鼻先でつつく。公園でも、他に人も犬もいなければ、自分が傍にいることを知らせるために、鼻でつつく。
私の注意を自分に向けさせるために、鳴き声ではなく鼻を使っているのだ。
前足もよく使う。私と散歩に行くときに、妻が寝ていれば妻も散歩に誘おうとする。猫のように右前足で妻のからだを軽くたたく。
ラッキーは右利きらしい。
公園で他の犬と遊んでいるときには、右も左も使う。相手を誘うときにも、相手を拒否するときにも、前足を有効に使って自分の気持ちを表現する。
からだ全体を使った感情表現も豊かだ。 相手の気を引きたければ猫のように上半身を低くし、前足を伸ばして尻を突き上げる。 そして、遊びたい相手には思い切りよく跳びかかる。
モンタは、最初から、庭の犬小屋にも室内のハウスやケージにも、入れることがなかった。それで、寒い冬にはベッドをシェアすることになった。温かいベッドへモンタは遠慮なくもぐりこんできた。何しろ大型犬だ。気ままに寝返りを打つモンタとからだがぶつかった。私たちは睡眠不足になってしまった。
夏の夜は暑いので、モンタはベッドではなく、涼しい床にごろ寝をした。夜の間にトイレに起きれば、暗い床に寝ているモンタを踏むことがあった。怒ったモンタが「ガウ」。モンタは勿論驚いたが、踏んだ私たちも驚いた。
モンタで学習したので、ラッキーには最初からケージ付きハウスを用意した。写真11で、ラッキーが寝ているところがケージ部分。その後方にハウスが口を開けている。夜はここで眠らせる。
写真11の後方のバルコニーを、ラッキーのダイニング兼トイレと、飼い主である私たちは考えている。
写真12がそれだ。
トイレ部分の床に丈の低い植物を植え、その上を丈の高い植物で被っている。犬用トイレらしい雰囲気にしてあるのだ。
けれども、ラッキーはここでは朝の排尿しかしない。昼ごろには居間の前にあるメインバルコニーで、勝手に用を足してしまう。排便は朝夕の散歩時に外でする。トイレバルコニーで排便もさせたいのだが、まだそこまではいっていない。
最初に書いたように、次に購入する犬の検索を始めてから、バセンジーの存在を初めて知った。犬種には無知だった私たち夫婦。
バセンジーを知っている人は、私が予想していたよりも多い。特に、犬を散歩させている女性には知っている人が多い。ラッキーを一目でバセンジーと言い当ててしまう。最初はバセンジーと分からなくても、私が「これはバセンジーです」と言えば、「えっ、これがあのバセンジーですか?」と応える女性が多い。
自慢そうに、「私の犬はバセンジーに似ていると言われています」とか、「外国から輸入したのですか?」、あるいは「お高いのでしょうね」と言う女性もいる。
超ブランドとは言いかねるけれども、ブランドの一番下にぶら下がっている犬種、という評価を受けているように思われる。ブランドには余り関心がなさそうな男性が、バセンジーと言い当てたことはほとんどない。
私は、できれば雑種を飼いたかった。雑種は丈夫だ。そして、モンタのように複雑な性格を持っている。ラッキーは雑種ではないが、人の手が加わりすぎた純系でもない。その点からはバセンジーを選んだことに満足している。
本当は狼を飼いたいのだ。しかし、それは夢の範疇に入る。偶然にも、遺伝的には狼に最も近いと言われる犬種を、飼うことになった。これは幸運だった。
モンタの毛はたくさん抜けた。最初に書いたように、妻はそれに閉口していた。毛が抜けない犬という、彼女の要望に沿って選んだ犬種がバセンジー。そうやって我が家へやって来たラッキーは、まるでモンタ二世のように見える。モンタとのつながりは切れない。不思議な運命だ。
まず体毛の色。モンタよりも白い部分が多いが、同じ茶系統。短い茶色の毛に光沢があることも同じだ。モンタの耳もラッキーの耳も大きい。モンタも額に縦じわを寄せることがあった。
公園で、モンタを知っている人は、ラッキーに対して「モンタ君に似ていますね」と言う。
目の色は少し違うが、その表情はそっくりだ。少し斜めを見ると白目の出方が同じになるので、この印象はさらに強まる。ラッキーの目を見ていると、モンタを見ているような錯覚を覚える。
からだのサイズは違うが、筋肉質のがっちりとした体躯がよく似ている。特に、両犬とも胸部に分厚い筋肉が走っている。
ラッキーは今はモンタよりも怖がりだ。けれども、他の人や犬に強烈な好奇心を示す点においては、モンタと全く同じだ。気を許せば、人でも犬でも相手構わずにじゃれ甘える。こんな性格も似ている。ただし、遊びの対象としては、両犬ともボールや木の枝には全く興味を示さない。こんなところまで似ている。
猛烈に甘えん坊で人なつこく、犬なつこいが、最後の一線では頑として自己主張する。妥協はしない。このあたりもよく似ている。
自己主張する10キロのラッキーは、抱いて動かすことができる。しかし、自己主張する30数キロのモンタは、抱いて動かすことができなかった。何とか言うことを聞かせようと、脅したりすかしたりしたものだ。この点ではラッキーの扱いは随分楽だ。
そういえば、食いしん坊なこともそっくりだ。公園で拾い食いを止めなかったモンタ。ドングリ、松ぼっくり、サクランボなど、何でも食べた。この習癖だけはモンタ二世に付けさせたくない。散歩のときに一番注意していることだ。
バセンジーは、現存する世界最古の犬種と言われる。同じように古い犬種(犬とは異なる亜種、あるいは完全に異なる種という説もある)と言われる、ディンゴの血が入っていたと思われるモンタ。ここも似ている。
モンタのそっくりさん、ラッキー。妻は、「モンタ」とつい間違えて呼んでしまう。