人間のつきあいには「相性」という便利な言葉がある。AさんとBさんは互いに嫌っているが、AさんとCさんは互いに好意を持っている。AさんとBさんの相性は合わないが、AさんとCさんの相性は合う。
相性が決まる要因は単純ではない。直接的、間接的な人生経験が、他の誰かに対する好悪の感情の形成に、反映されるからだ。1人ひとりが複雑な人生経験を持っている。心理的に複雑な人間同士の関わり合いから、相性が決まる。相性を解析しようとすれば、複雑さx複雑さ(掛け算)を問題にしなければならない。
犬にも相性がある。子供のときに、ラッキーは相手かまわずにアプローチしていた。現在は、1頭1頭に対して異なる態度を取る。他の犬に対する態度が、ここまで変化する犬は珍しい。他の犬に対する感情が複雑なために、人生(犬生)経験の影響が大きく出る。
相手の大きさ、性格、性だけで、自分が取るべき態度を決めているわけではない。しかし、態度が変容する理由は分からない。取り合えず、便利な言葉「相性」を持ち出すことにする。今回は、この相性に影響された、ラッキーの社会生活を書くことにする。他の飼い主の皆さんが、愛犬の社会生活を考えるときの参考になれば、幸いだ。
今までに、「マザー牧場」、「アンデルセン公園」、「松戸」、「代々木公園」、「すいらん」などの大きなドッグランへ行ったが、まだバセンジーに出会ったことがない。珍しい犬種であることを、ドッグランへ行くたびに実感する。そういえば、私の街に住んでいた、もう1頭のバセンジー・ソラが引っ越したので、街にいるバセンジーはラッキーだけになってしまった。
ドッグランでは大型犬と一緒に走るのが大好きだ。1時間でも2時間でも、追いかけたり追いかけられたりする。ときには1犬(1人に相当する造語のつもり)で意味もなく走り続ける。バセンジーの走りへの性向は本能的だ。
古代犬らしく(?)、ラッキーはドライブが嫌いだ。動きを束縛するリードから開放され、自由に走ることができるドッグランへ行くことが分かっていても、車に乗せようとすると抵抗する。車に乗せるためにいつも一悶着がある。
やっと後部座席に乗せ、車を発進させても、車の外へ出たいラッキーの抵抗が続く。窓を開ければ窓から出ようとする。後部座席の全ての空間を縦横無尽に動き回る。一緒に坐っている私、あるいは妻の足やからだを遠慮なく踏みつけるので、ひっかかれてとても痛い。運転席や助手席へ行こうとするが、免許証を持っていない犬に運転はさせられない。
ドライブが大好きだった、先輩のモンタおじさんとは大違いだ。
小さいときには、どの犬にでも遠慮なく近づいていたラッキー。10ヶ月令頃から犬見知りをするようになった。1才を過ぎてからは、ラッキーの交友関係にはっきりとした変化が出てきた。
公園に他の犬がいなければ、公園の真ん中に坐ってあたりを睥睨し、ワンコが来るのを待つ。以前は、犬が来れば、どれにでも遠慮なくじゃれようとした。その行動が、より注意深くかつ選択的になってきた。公園に入った犬を無視する場合がある。挨拶しかしないことがある。そんな相手が、ラッキーの気を引こうと、周囲を動き回ったりラッキーをなめたりしても、ラッキーは知らん顔をする。
遊んでもいいと思う相手でも、明らかに遊び方に差をつける。相手の様子を見ながら、「そんなに遊びたいなら少しだけ相手にしてやるよ」と、いささかおざなりに相手をすることがある。これがはっきりと態度に見える。気に入っている相手には、理屈抜きで全力投球をする。
ラッキーの態度に、「ガウ」の威嚇行動が加わるようになった。今までは、相手がどれほど本気で威嚇をしてきても、さっと身をひるがえすだけだった。ところが、相手によっては威嚇のお返しをするようになった。特に去勢をしていない強気のオスの「ガウ」に対して、反撃することがある。ラッキーを怖がっている小さな犬にまで、まれに威嚇をする。これは特に家の周辺でやるので、テリトリー意識と何か関係があるかもしれない。
少し擬人化をすれば、「このチビ、何をびびってんだよ。きたえてやるからかかってこいよ」と言っているとなるが、これは間違いなく擬人化のしすぎだ。
飼い主の私は、他の犬と出会うときのラッキーの反応に、注意深くならざるを得ない。そこで「ガウ」対策を考えた。近づいてくる犬と、ラッキーとの間に怪しい気配を感じたときには、私のほうが先に行動を起こすことにした。
実際には、ラッキーの背中を見ていれば、気配以上の情報を得られる。
喜怒哀楽の感情が高まったときに、首の付け根から尾の付け根までの背中の毛が立ち、背中に幅の広い線を引いたようになる。感情の動きがとても分かりやすい。
この茶褐色の明瞭な線をラッキーの背中に認めると、私はラッキーよりも早く、相手の飼い主と犬に声をかけてしまう。ラッキーをリードで引き戻しながら、相手の犬をなでてしまう。機先を制されたラッキーは、いささか手持ち無沙汰になる。
もう1つの対策はほめることだ。「ガウ」とやられても反撃をしなかったり、自分から「ガウ」とやりたそうだったが、「ガウ」を我慢した場合にほめる。
「グッドボーイ、よく我慢したね」
ほめることにはかなりな効果がある。「ガウ」に手こずっている皆さんは、ぜひ試してもらいたい。
散歩中の私たちを見て、以前にバセンジーを飼っていたという、2人のシニアが声をかけてきた。ラッキーと同じ毛色のメスを飼っていたが、19才で死んだそうだ。即ち、今から20年ほど前に飼い始めたことになる。欧米でバセンジーの繁殖が可能になってから、わずか60余年後に日本でバセンジーを入手することは、かなり大変だったはずだ。バセンジーに余程こだわりがあるのだろう。
そのシニアに、バセンジーは喧嘩っ早いと書いている人が、ネットにいると話した。そのカップルはそんな話を否定した。彼らが飼っていたバセンジーは、穏やかな性格の持ち主だったという。その点ではラッキーに似ている。ただし、インターフォンに反応して吠えたというので、ラッキーよりは若干騒がしかったようだ。
ラッキーはとても注意深く観察をして、他の犬に対する態度を決めている。他のワンコが距離を置いて散歩をしていても、ラッキーは立ち止まってしまう。道路に伏せるか、坐るかして観察を続ける。犬の訓練法では、はしゃぎすぎるワンコは、伏せをさせるか坐らせるかして、他の犬が近づくまで動きを止めさせること、となっている。ラッキーは、何も教えなくても、自分から進んで待ちの姿勢を取るようになった。
先日、夕方の公園で4頭のワンコとじゃれあった。ラッキーの態度は各々の犬に対して異なっていた。
ラッキーよりも大きく、太っている年上のオスの黒柴・フクが、最も攻撃的だった。ラッキーにとって、全力で遊ぶ相手としてはこんな犬がいいのだ。フクは余り走らなかったが、ラッキーに徹底的にまとわりついた。上になり下になり絡まりあった。口も使った。お互いにかんだのだ。ただし、甘がみなので相手を傷つけることはない。遊びの甘がみか、本気の攻撃かはすぐに分かる。
ラッキーよりもかなり小さい茶柴・カオは、小さいが負けん気が強い。カオが相手にしたのはラッキーとフク。からまりあって負けそうになると、吠えた。ラッキーがカオに対して手加減をしていることは、すぐに分かった。カオに対しては口を使わなかった。カオが一緒に走り出すと、走ればはるかに速いラッキーが先導した。
小柄なパグのエースは、ラッキーがとても好きだ。ラッキーしか眼中にない。ラッキーだけを追いかけた。ラッキーは、カオに対するよりもさらに手加減をした。遅いながらも、自分を一生懸命に追いかけるエースを、振り返って確認しながら走った。
フクとじゃれているときに、エースがラッキーに乗ろうとしたり、後から抱きついたりしても、ラッキーは全く気にしなかった。エースはラッキーをかもうとしたが、背が低く口が小さいのでなかなかかめなかった。気管が弱いパグのエースは、全力を出して遊んだおかげで、「ゼイ、ゼイ」と息を吐いた。苦しそうだったが、ラッキーから決して離れようとしなかった。
シェルティのマリーは、平均的なシェルティよりも小さいメスだ。他の3頭が遊んでいる間は吠え続けたが、ラッキーは全く気にしなかった。ラッキーが誘うとマリーは逃げてしまうので、ラッキーは相手にしなくなった。
1年4ヶ月令の頃から、遊び方に変化が出てきた。あお向けに寝転んで、遊びの相手をすることがある。敵からの攻撃に弱い腹部を見せることは、恭順の意思表示とも考えられるし、家族のように最も近い関係にある相手に対する、安心感の発露とも考えられる。
ラッキーは、これを、小さいときから公園で一緒に遊んでいる、2ヶ月年下のオスのコーギー・チャチャにやるようになった。足の長いラッキーが、足の短いチャチャを相手にするときには、寝転んだほうがやりやすい。
男の子どうしのいささか乱暴な遊びを、ずっと一緒にやってきたラッキーとチャチャ。2頭がお互いに相手をとても身近に感じていることは、間違いない。
仲のいいトイプードルのマイケルとも、寝転んで遊ぶことがある。横向きや仰向けの姿勢のままで、マイケルとじゃれる。寝転がって首を伸ばせば、首の長いラッキーの頭の高さが、マイケルの頭の高さとちょうど同じになる。
1頭、1頭に異なる態度を取るラッキー。これは一時の気まぐれではない。この行動には継続性があり、いつ出会っても、同じ犬に対しては同じような態度を取ることが多い。他の犬をよく憶えていて、行動に大きなブレが生じない。
2人の女性が、コーギーのミミとゴンを連れて公園に現れ、女性の特技である意味のない長話を始めた。いつ果てるともない飼い主の会話につきあわされ、2頭の犬はあきらめると、黙って坐り込んでしまった。ちなみに、ラッキーは、これら2頭とはごくたまにしか顔を合わせない。
ラッキーが近づいたとき、気づいた2頭が、退屈まぎれに「ガウ、ガウ」と猛烈に吠え始めた。そんなことは全く気にしないラッキーが、2頭に近づいた。その途端、ミミがラッキーに鼻を接触させた。ミミとラッキーの間に、何か魔法のようなコミュニケーションが取れた。一瞬後に、ミミの頭が方向転換をした。そして、今までそばにいたゴンに対して、猛烈に「ガウ、ガウ」と吠え始めた。まるで、突然ラッキーの味方になったミミが、ラッキーに対して「ガウ、ガウ」と威嚇しているゴンを、叱っているように見えた。
その状況の急変に、おしゃべりの真っ最中だった2人の女性も、さすがに気づいた。当然のことながらとても驚いた。
ラッキーは相変わらず平然としていた。ゴンは、自分を威嚇しているミミを押しのけた。むき出した歯がラッキーの鼻に届きそうになった。それでもラッキーは平然としていた。そして、突然にゴンは静かになった。
ラッキーには超能力があるのだろうか?
こんなこともあった。ミニチュアシュナイザーのチップとバフが、腹の虫の居所が悪かったらしく、広い公園で「ガウ、ガウ」と派手にやりあい始めた。その2頭の犬の間へスッと割り込んだラッキー。そのまま動かなかった。チップとバフは、今までのけんか相手の代わりに、ラッキーを目前に見ることになった。そして互いに静かになった。
同じようなことが他にもあった。感覚が鈍い人間が見ても、明らかにきつい目つきのメスのナナ。今までに他の犬と仲良くなったことは、ほとんどない。ジャックラッセルのビーに「ガウ」を始めた。そこへラッキーが割って入った。騒ぎは突然に鎮まった。 威嚇しあうシーズのポコとゴンの間にも、割って入ったことがある。そして争いを鎮めた。
以上のようなことが何回もあった。
ラッキーは、群れに入れば、リーダー犬として能力を発揮するのではないだろうか?
集団性動物のオスにとって、メスに好かれるのはリーダーの大事な素質のうちに入る。ラッキーは、1才になってすぐに去勢手術を受けた。たとえメスに好かれたとしても、愛の結晶を作ることができなくなった。去勢後には、男性ホルモンの産出量が少なくなるので、男性的な魅力が減少しているかもしれない。
少し脱線をしてこの手術のことを書いておこう。
去勢手術は、歩いていけるところにある、ペットクリニックでやってもらった。このクリニックの新任担当獣医師は若く、ラッキーをとても気に入ったようだ。
ペットクリニックは、通常は飼い主に去勢手術や避妊手術を勧める。手術は大事なビジネスなのだ。ところが、この獣医師は、「本当に子供を作らなくていいんですか?」と、私に何度も念を押した。受付の女性スタッフが、帰り際に、「先生は、ラッキーくんをとても気に入ったようですよ」と、言った。
犬の去勢や避妊の手術は、オーストラリアでは飼い主の義務になっている。
人間社会の一員の犬が増えて、野良犬があちらこちらを徘徊するようになると、社会にマイナスの影響を与える。また発情期には、たくさんのオスが発情したメスのまわりに集まって、とてもうるさい。人口過密な都市住環境において、こういうことは受け入れられない。人間の住環境を平穏に保つために、犬の繁殖を厳しくコントロールしなければならないという考え方が、オーストラリアにはある。人間の都合で手術を行うという論理が、明確になっている。
ところが、こういう人間中心の理屈は、仏教の影響を受けた、農耕民族の日本人には余り向かないようだ。日本で獣医師が手術を勧めるときには、犬のための手術という理屈を述べる。愛犬のための手術ということならば、人間のために愛犬を傷つけるという罪悪感から、飼い主は開放される。獣医師は、オスは前立腺がんの予防のため、メスは子宮蓄膿症の予防のために手術をする、と説明する。
予防手術という考えは、人間では禁止されている。だから、医師は、前立腺がんや子宮蓄膿症の予防ということで、健康人に手術をすることは決してない。犬ならば許されると考えると、犬を自分と同じレベルの動物と考えている飼い主には、矛盾が生じることになる。
メス犬の子宮蓄膿症の発症率は、0.3~0.4パーセント。オス犬の前立腺がんの発症率は、これよりも低い。即ち、1000頭のオス犬がいると、前立腺がんを発症するのは3~4頭以下しかいない。肝臓がんの発症率はこれよりも高く、かつ肝臓がんは悪性になりやすい。けれども、予防的に肝臓を取るという話は聞いたことがない。
去勢手術や避妊手術は、「人間の都合で男らしさ、女らしさを奪ってごめんね」と、飼い主が愛犬にあやまりながらやる手術になる。狭い空間に、人間と犬が高密度で住んでいる街のマンションに住む者として、謝りながら、私はラッキーに去勢手術を受け入れてもらった。
手術の日は、1才になった直後の2011年3月11日だった。午後1番の手術だったので、午後2時過ぎには終了していた。その直後の2時46分に、東北地方太平洋沖地震が発生した。なんと、ラッキーは、まだ麻酔から完全には醒めていないときに、大地震を経験したのだ。文字通りにラッキーだった。
手術の日は、クリニックに1泊することになっていた。手術が、地震発生の時間に重なったことが心配だったので、地震直後にペットクリニックへ出かけた。クリニックの玄関周辺には液状化で泥水があふれ、スタッフが汚れた床の掃除をしていた。
ラッキーは、3段重ねのケージの最下段に入れられていた。揺れの少ない下段だったのは、ラッキーだった。受付のところから、ケージの中で、ラッキーが落ち着きなく動いているのが見えた。声をかけて家恋しさを増大させるよりも、何も言わないで家へ戻ることにした。
この偶然の一致から、今後ラッキーの手術日を忘れることはない。
ラッキーは、インターフォン、花火、雷の音に対するように、地震にも動じない。吠えることはない。しかし、震度4を超えれば、寝ていても「何だろう」という感じで頭を上げる。
現在のラッキーは、マンションの廊下や階段でワンコとすれ違うと、とても興奮する。特に、上の階に住んでいるパグが気になっている。人間には感じられないにおいや音が、上から伝わってくると、バルコニーに飛び出し、猛烈に走り回る。去勢手術をしていなかったならば、もっと興奮するかもしれない。走り回るラッキーを見ると、去勢手術は正解だったと確信する。
去勢後、後ずさりで相手を誘うようになった。頭を下げ尻を高く突き出している。そんな格好で、高く上げた尻を振りながら後ずさりをするので、見ていてとてもおかしい。
ラッキーよりも少し年上だが、からだがやや小さい茶柴・カオは、ラッキーを大好きだ。からだ全体を使ってラッキーにまとわりつく。横向きになって擦り寄り、足に寄り添いながら仰向けになる。前になり後になって、ラッキーと走るのが好きだ。一緒に走ってくれるならば、誰でも大好きなラッキー。勿論、カオと大喜びで走り回る。ただし、体力が増すにつれて、カオでは物足りなくなってきたようだ。
じゃれあう相手としてもっと好む犬がいる。メスで2才の甲斐犬系の雑種・フィッツ。白とこげ茶、それに黒の毛色が混じったブリンドルだ。尾が立っていることを除けば、体重11キロのフィッツは、体形や毛の模様がバセンジーに似ている。
「女」でも気性が激しく、すれ違う他の犬に、突然に歯をむき出して威嚇することがある。飼い主の女性は、散歩の間は、他の犬と距離を保つように注意を払っている。そうやって、犬が望む行動を厳しく制限することが、犬にストレスをかけて逆効果になる場合がある。飼い主の緊張感が犬に伝わることが、他の犬への態度を悪化させ、状況を悪くする原因になりそうだ。それでも、飼い主にとっては「背に腹は変えられない」ということになる。
このフィッツとラッキーは相思相愛の間柄だ。体力があり気が強いフィッツは、ラッキーの格好の遊び相手。ラッキーは、尻を高く上げながら後ずさりをして、フィッツを遊びに誘う。
ちょっと荒っぽい遊びが好きなラッキー。フィツと猛烈にからまりあう。フィッツはラッキーの首をやたらにかむ。遊びに手を使えない犬が、じゃれあいで相手をかむのは仕方がない。遊びの甘がみなのでラッキーは全くいやがらない。
ラッキーに追いかけてもらって走るのが、大好きなフィッツ。自分がラッキーを追いかけることは、余り好まない。やはり「女の子」だ。
体力のあるフィッツとラッキーは、思う存分に遊ぶことができる。ただし、女心は変わりやすい。何かの拍子に、フィッツは上唇をまくり上げて、本気の威嚇をする。すると、ラッキーよりもフィッツの飼い主のほうがあわててしまう。ラッキーの敏捷さを知っている私は、そんな威嚇を気にしない。
家でも外でも滅多に声を出すことのないラッキー。1年5ヶ月令のときに、フィッツに向かって初めて声を出した。それも1回ではなく7~8回も。「グルルルルル」という唸り声と、低い「ワン」という吠え声を交互に繰り返した。
気性の激しいメス犬がもう1頭いる。やはりラッキーよりも少し年上で2才だ。からだが大きい雑種のナナ。
ナナは捨て犬で保健所で保護されていた。心のどこかに何かトラウマが残っているらしく、他の犬を相手かまわずに攻撃する。しかも尾を振りながら近づくので、相手の犬の飼い主は安心してしまう。そこを突然にガブリ。ナナの飼い主の女性は、散歩の間ずっと神経を使っている。
初めて私たちに出会ったときも、飼い主は、「近寄らないでください。かみます」と、遠くから叫んだ。私の返答は、「この犬は大丈夫です。他のどの犬とも仲良くできるし、いざとなれば、とても敏捷なのでサッと逃げることができます」。
ナナと飼い主が近づいてきた。ナナが飛びかかることができる距離になると、飼い主はとても緊張しているのが、見て取れた。注意を払いながら、距離を少しずつ縮めてきた。ついに口と口が接触する近さ。それでも、ナナは尾を振ってラッキーのにおいをかぐだけだった。さらに身を摺り寄せてきた。飼い主はとても驚いた。
「ナナちゃんが初めて他の犬を受け入れました。今までこんなことはありませんでした。初めて犬になったのです」
ナナが受け入れる犬はもう1頭いる。これから書く1年5ヶ月令のオスのコーギー・チャチャだ。チャチャは、小さいときのラッキーのように、遊び相手にえり好みをしない。どのような犬にも飛びついていく。ナナはそんな男の子が好きなのだ。
ナナは人間も好きだ。人間には気を許している。ナナの頭の中では序列の1番上に人間がいて、その下にナナがいるのかもしれない。他の犬はさらにその下になる。
犬嫌いの犬であるナナは、自分の気持ちを最優先にして動くことが、間もなく分かった。自分がやりたいことだけをやる。それで、飼い主が行動に制限をかけることが、ストレスを高めることにつながる。しかしここでも「背に腹は変えられない」。
そんなナナ。他の犬に興味を持って近づこうとしているときに、ラッキーがじゃれようとしたので怒って激しく威嚇した。自分の行動をじゃまするワンコは、ラッキーといえども許さないのだ。
ナナは「ガウ」の前にも尾を振るので、尾の動きで感情を推し量ることができない。けれども、目をよく見ていると、感情の動きが目に出ていることが分かる。相手の犬に気を許しているとき、警戒をしているとき、「ガウ」っと一気に飛びかかろうとしているときには、目の表情が全く違う。ここまで自分の感情を目に表す犬は珍しい。
ラッキーは、同じ種である犬のメスばかりか、異なる種である人間の女性にも好かれる。
ラッキーの見かけはスマートだ。バランスよく伸びたからだ。立っているときに長い後足をピンと伸ばしているのを見て、女の子が言った。
「きれい。かっこいい。モデルみたい」
光るような毛。愛嬌のある2重に丸まった尾。その先が白い。ロールケーキやドーナツのように見えることが、本能的に甘いもの好きな女性を、魅了するのかも。魅了された女性が、丸まった尾を引っ張ってまっすぐにしても、ラッキーは気にしない。
「かっわいい。何をされても平気なのね」
本気か、冗談か、ラッキーの肛門までほめられてしまった。
「とってもきれい」
きれいかどうかはともかく、確かにラッキーの肛門には特徴がある。からだに比べて大きく、濃い褐色なのでよく目につく。本来ならば、からだの中でも弱みになる肛門は、敵からもっと見えにくくしたほうがいい。バセンジーが、弱点を誰にでも見えやすくしている理由は、何だろうか?
鹿を後から見ると、ピンと立てた白い尾が目につく。勿論肛門も。バセンジーが、かつて潅木が密集した土地に住み、群れで行動していたとき、後にいる仲間がよく見えるようにこうなった可能性がある。
女性を魅了するポイントは見かけだけではない。周囲にいる犬ばかりか、人にもとても興味を示すラッキー。アイコンタクトが得意だ。通り過ぎる女性の顔をじっと見つめる。見つめられた女性はしびれてしまう。 うれしくなった女性はにっこりとほほ笑む。するとラッキーは、その女性が角を曲がって見えなくなるまで、見つめ続ける。
立ち話中の女性がラッキーに気づいて、相手の女性に言った。
「このワンちゃんは、いつも私の顔を見つめるのよ」
浮気っぽいラッキーは、どの女性の顔でも見つめる。私は、言ってはいけないことを言ってしまった。
「ラッキーは誰にでも興味を持ちます。誰でも見つめます」
自分だけを見つめてもらいたい女性にとって、私のこの言葉は間違いなく不愉快だった。
ラッキーは、よく遊ぶ相手の犬ばかりではなく、その飼い主もしっかりと憶えている。
これから書く子犬の茶柴・チャコは、5才の黒柴・クッピーと一緒に飼われている。2頭の散歩のときに、飼い主の女性に中学生の娘が同伴することが多い。
2人が犬を連れずに、道路の反対側を歩いていたことがあった。ラッキーはすぐに気づいて立ち止まった。また、ラッキーが幅の広いグリーンベルトにいたときに、2人が自転車で横を通り過ぎた。ラッキーは自転車が見えなくなるまで、2人を見つめ続けた。ラッキーの視線を感じた2人は、後を振り返りながらペダルをこいだ。
2~3日後に会った女性が言った。
「あのとき、ラッキーくんはとってもかわいかったです」
ラッキーはどういうわけか、パピーにも好かれる。
最初に出会ったときに4ヶ月令だったチャコと、6ヶ月令だったジャックラッセルのペックが、そんなパピーだ。両犬とも、当時1年5ヶ月令だったラッキーを、父親と思っているように見えた。
2頭のパピーは、ラッキーに出会うと猛烈にからみついた。ジャンプした。ラッキーが寝そべると同じ姿勢で寝そべった。ラッキーから決して離れようとしなかった。
ラッキーは適当にあしらっているように見えた。そして突然に走り出した。チビの2頭は、長さ4メートルのリードに引っ張られながら、私のまわりを猛烈に走り回るラッキーを、追いかけた。いくら懸命に走っても、ラッキーに追いつくはずがない。そこで、半径4メートルの円の中心を通って、先回りをした。ラッキーは後を見ながら走り、チビたちがどうしても追いつけないことを知ると、走るのを止めた。
パピーの相手をするが、体力差のある子犬では、やはりそんなに面白くはないようだ。他に犬がいても、ペックやチャチャの面倒を完璧にみたのは、最初の頃だけだった。今では、他に犬がいれば、関心はそちらへ向かうことが多い。2頭だけになったときには、まだじゃれあったり走ったりする。
ラッキーよりも2ヶ月若いコーギーのチャチャとは、とてもよく遊ぶ。コーギーは足が短い。数ヶ月前までは本当に小さく見えた。毛が分厚く生えているので、毛の塊が歩いているように見えた。
チャチャとからまり合いながら、ラッキーはよく甘がみをする。チャチャはすぐに寝転がって腹を見せ、「参った」の意思表示をする。
犬が遊びながら甘がみをするときには、普通は首を標的にする。首の皮膚は厚くたるんでいるだけではない。首の周囲には毛が密集している。かまれても安全だ。母犬が子犬を運ぶときには、この首のたるんだ皮膚をくわえる。ラッキーは、チャチャとバーニージマウンテンのピースに対して、首の甘がみをやる。
チャチャ、フィッツ、トイプードルのマイケルは、ラッキーの口をかむ。お返しに、ラッキーもマイケルとフィッツの口をかむ。相手の口をかむことは、本当に仲がよくなければできない。口をかんで相手を怒らせれば、即座に本気でかみ返されるからだ。
チャチャは、1才の頃からとても気が強くなった。コーギーは、通常は、小さいときに長い尾を根元から切るが、チャチャの尾は生まれたときのままだ。その長い尾を立てて、足は短いが、胴体が長くなったチャチャが歩く姿は、「チャチャここにあり」と自己主張しているように見える。大きなよく動く目が、そんな自己主張を強めている。とてもおかしい。
チャチャの遊び方が激しくなった。今でも、寝転がって腹を見せる「参った」の態度を取るが、油断がならない。見上げている足の長いラッキーに、下から猛烈に反撃する。 精一杯にかみ返そうとする。遊びに夢中になると、大きな目がぎらつくので、その本気度がよく分かる。
全力でラッキーに手向かう。さすがのラッキーも時々は持て余すようになった。本気のチャチャから逃げることがある。ラッキーを相手にして本気になるのはいいが、相手が小さな犬でも手加減をすることなく、チャチャは全力投球になってしまう。犬生を一生懸命に生きている犬、という感じがする。
チャチャを散歩に連れてくる女性は、7才の娘をよく同伴する。突然に奇声を発したり、動いたりする子供が嫌いなラッキーが、この女の子はとても好いている。女の子に飛びついたり、からだを摺り寄せるだけではなく、女の子が少し離れると後を追おうとする。チャチャよりも、女の子のほうに気を取られることがある。
ラッキーと同年令のマイケルとも、ラッキーは小さい頃からよく遊んでいた。マイケルの体重はラッキーの半分くらい。体力差はあるが、マイケルは全く気にしない。ラッキーに全力でいどむ。
マイケルは遊び好きなので、どの犬ともよく遊ぶ。どの犬もマイケルを受け入れる。かわいいので人間にもかわいがられる。遊びに夢中になると、こげ茶色のやわらかい縮れ毛が、汚れたりぬれたりする。帰ってから洗わなければならない飼い主。それでも、遊びまくるマイケルを見るのがうれしいのだ。
隣のマンションに住むマイケル。2つのマンションの間の通りでよく出会う。マイケルは、からだを地面にピッタリとつけて、ラッキーが近づくのを待つ。ヘアーカットの仕方が、体毛は短く、頭髪は長いままというユニークなものなので、 地面に腹ばいになると頭だけがよく目立つ。前方からは、地面に盛り上がっている丸く黒い頭しか見えないので、つい笑ってしまう。
マイケルも、ラッキーとじゃれるばかりではなく、よく一緒に走る。ただし、負けず嫌いなので、ラッキーよりも遅れると大声で吠える。
マイケルにはラッキーへの得意技がある。バトルに入るとラッキーをかみたくなる。けれども、ラッキーの毛は短く、からだの皮膚がピンと張っているので、からだをかむことができない。そこで、丸く立った尾と大きな耳に目をつけた。ラッキーの尾と耳をおしゃぶりのようにかみ続ける。じゃれあいなので、かまれてもラッキーがいやがることはない。面倒くさくなると、ラッキーは立ったまま動かず、マイケルにかませ続ける。
そうはいっても、何かの拍子にマイケルの口に力が入る。耳ばかりか、からだの他の部分にも名誉の負傷ができることがある。単毛犬のこの傷つきやすさが、バセンジーの警戒心を高める原因の1つになっているかもしれない。
尾と耳をかむマイケルに、ラッキーが1才の頃に初めて吠えた。低い声だった。
「ワオオーン」
走るのが大好きなラッキー。「口うるさいだけなんです」と飼い主が言う、よく吠える茶柴のコウは、ラッキーの走りのスイッチを入れる。コウは走らないが派手に「ワン」と叫ぶ。すると、ラッキーはこれ見よがしに走り始めるのだ。これはどういう関係なのだろうか?
ここで「旧友」について触れたい。以前のエッセイで、ラッキーの最良の友だちは、メスの超大型犬バーニ-マウンテンのピースと書いた。
1才の頃にほぼ成熟したラッキーは、大犬(大人)のオスになった。その頃2才を超えたばかりのピース。以前のように理屈抜きでは遊ばなかった。ピースは低くうなりながら、「男」のラッキーを警戒した。そして遠慮がちに遊んだ。ラッキーも理屈抜きでの全力投球とはならなかった。微妙な関係の変化から、人間の男女の、思春期から大人になる時期を見ているような、錯覚を覚えた。
去勢手術をした現在のラッキーとは、ピースは以前のようにからまりあって遊ぶ。ただし、体重が増えてしまったので、走るラッキーを追いかけることは、最初からあきらめている。
大型犬の旧友には、ダルメシアンのベンがいるが、ベンに出会うことは余りなくなった。
その代わりに、ドーベルマンのヘンリーと時々出会う。名前は男性名だがやさしいメスだ。
他の犬の飼い主は、噂と見た目からドーベルマンを怖がり、自分のワンコを近づけない。ヘンリーの飼い主は、私とラッキーがヘンリーを怖がらないので、喜んでいる。
大型犬が大好きなラッキーは、ヘンリーとくんずほぐれつで遊ぶ。
平均的なボーダーコリーよりもサイズの大きい、オスのボーダーコリー・ルイは、同じ年頃ということもあって、会えばラッキーと猛烈にからまりあう。一緒に走ると小さなラッキーのほうが速く、イライラしたルイは、吠えながらラッキーを追いかける。
この犬の飼い主も、小型犬を連れた飼い主から散歩中に敬遠されるので、物怖じしないラッキーと飼い主の私に出会えたことを、喜んでいる。ラッキーが全力で遊べる相手は少ないので、私もルイに会えたことをとても喜んでいる。
ラッキーには敬遠する犬種がある。シェパードが苦手なのだ。ドッグランでシェパードに追いかけられることはあっても、自分から追いかけることはない。
近くに住んでいるシェパードのアランは、飼い主によると、警察犬の落ちこぼれで、民間に払い下げられたという。アランはおとなしすぎて、他の大型犬に対するようにラッキーがじゃれることはない。
同じくシェパードのちょっととろくてやさしいグラフ。公園で出会うが、少し怖がっているラッキーは、遊びたい素振りを見せても飛びついたりはしない。グラフがボールを追いかけると、ラッキーはグラフの周囲を猛烈に走る。それだけだ。
ゴールデンレトリバーは、ラッキーが余り興味を示さない大型犬だ。ラッキーにはおとなし過ぎるのだ。ラッキーが近づいても、何の反応も見せないゴールデンが多い。こういうおとなし過ぎる犬は、大型であろうと小型であろうと、ラッキーの興味の対象にはならない。
大型犬は見ただけでも怖い、という人がいる。犬を飼ったことがなければ理解できるが、犬を飼っている人の中にも、大型犬を怖がる人が多い。そんな飼い主の態度を見ると、横にいる犬も、自分よりも大きい相手を怖がるようになる。こういう飼い主と犬は、大型犬が前方から来ると避けるような動きをする。それで、大型犬を連れて散歩をしている人は、散歩の途中でストレスを感じる。大型犬が大好きなラッキーと私は、近所の大型犬とその飼い主にとって、貴重な存在ということになる。
街の中央にある公園が、ワンコたちの一番大きな社交場だ。そこには、おとなしい小型犬が多く集まる。ラッキーにとっては退屈な遊び相手が多い。
そこで、いつもラッキーが注目するのが、イタリアングレイハウンドのギンだ。細身で走るのが大得意なギン。公園にいる間中、最初から最後まで、飼い主の女性が投げるボールを拾う遊びに、熱中する。
ラッキーは、ギンが追うボールではなく、ボールを追うギンに強い興味を示す。ボールを追うギンを追って走りたいのだ。ところが、ボール遊びに集中しているギンは、ラッキーが近寄ると、大事なボールを取られると思ってとても怒る。歯をむき出して本気で威嚇する。それでもラッキーは平気だ。
飼い主がボールを投げる動作から、ギンが走り出すタイミングを割り出して、ギンと同時の猛ダッシュ。リードを握っている私のからだにショックが走る。けれども、私はリードを離さない。真剣すぎるギンと、からかい半分のラッキーがからまりあっては、いい結果にならない。ギンとある程度の距離を保ちながら、ラッキーに追いかけさせる。このページの背景の画像は、ギンを追いかけているラッキーだ。
ボールを拾ったギンは、ギンの飼い主の近くにいるラッキーを避けるために、わざわざ遠回りをして飼い主のところへ戻る。こんなことをずっと繰り返す。
ラッキーがギンに吠えたことがある。ギンが、口に「キュッ」と鳴るボールをくわえていたときに、「ワオーン、ワオーン、ワオーン」と、低い吠え声を繰り返した。他の犬に吠えるのはこのときが最初だった。上に書いたフィッツやマイケルに吠えたのは、その後のことだ。
ギンに対するラッキーの声は、きちんとした犬の吠え声だった。吠えながら、尻を持ち上げた前屈の姿勢で、ギンに遊ぼうと誘いをかけた。けれども、吠えないバセンジー・ラッキーのこの最高の努力も、無駄になった。ボールを追いかけるのに犬生(人生)をかけているギンが、ラッキーの誘いに乗ることはなかった。
ギンは私たちと同じマンションに住んでいる。マンションの周辺で時々遭遇する。そのときのギンとラッキーの態度は正反対だ。ギンは飼い主の隙を見ては、ラッキーに「ガウ」と飛びかかろうとする。そんなギンをラッキーは完全に無視する。鼻先の「ガウ」も気にしない。ボールを追いかけていないギンは、まるで存在していないかのようだ。これはどういう関係なのだろうか?
この公園に、ミニチュアシュナイザーのバフがやって来る。去勢をしていない5才のオスだ。バフ自身の判断はともかく、飼い主はバフが公園のボスと考えている。新入りや若い犬に厳しい態度を取るという。このボス犬バフが、なぜかラッキーには最初から寛容だった。ラッキーがバフに挑戦しても黙って無視。
しばらくしてから飼い主の女性が言った。
「ラッキーはバフの舎弟よ。ラッキーがそのうちにバフの跡目をついで、この公園のボスになるわ」
ラッキーのリーダー的性格を、他の犬の飼い主が認めたことになる。
1才になった頃から、ラッキーの行動に大きな変化が出てきた。それまでは、私が強引にリードすれば、街にあるどの公園へでも出かけた。ところが、現在は猛烈に自己主張をする。自分が行きたい公園へしか行こうとしない。その公園は家に近い川沿いの公園だ。
川沿いの公園には、ラッキーが本気で遊ぶことのできる犬が、たくさん集まる。マイケル、チャチャ、フィッツ、エース、ピースのうちの誰かと、毎日のように出会い、走ったり転げまわったりして遊ぶ。ラッキーを含めた数頭が、ひとかたまりになって遊ぶこともある。
平和な話ばかり書いてきた。けれども、数は少ないが、獰猛な犬がいることを書いておこう。
その代表格がやや大きめの黒柴(名前は知らない)だ。最初に出会ったとき、シニアの男性に連れられて、前方から黙って真っ直ぐに歩いてきた。私もラッキーも特に避ける必要性を感じなかった。
ところが、
飛びつけば相手をかむことができる距離まで近づいたときに、その犬はラッキーに突然に襲いかかった。間違いなく本気でかもうとした。
他の犬ならばかまれていたに違いない。ラッキーは普通以上に敏捷なので、すばやく身をかわして難を逃れた。
黒柴の飼い主が、身を引いた私とラッキーに歩みを止めずに近づくので、私たちはさらに後ずさった。黒柴は、上唇を巻き上げて犬歯をむき出しにし、ラッキーを狙い続けた。
その飼い主の言葉が予想外だった。
「お宅の犬は他の犬をかみませんか?近づいても大丈夫ですか?」
状況が状況なので、いささか腹が立った私は厳しく言った。
「かもうとしているのはあなたの犬ですよ。分からないのか?」
それからは、この黒柴が反対側から歩いて来ると、遭遇をしないように、私もラッキーもとても注意深くなった。ところが、その犬の凶暴さを知らない女性の飼い犬が、犠牲になってしまった。
公園沿いの道を、私たちから約50メートルくらい離れて、チワワを連れた女性が歩いていた。先を歩いていた私たちが、黒柴を前方に認めた。私たちは道を避けた。後方を歩いていた女性とチワワは、そのまま歩き続けてしまった。
後方から女性と犬の悲鳴。振り返ると、チワワの胴体をくわえた黒柴が、チワワを空中で激しく振り回していた。
これは、猟犬がウサギなどを殺すやり方だ。まず激しく振り回して脳震盪を起こさせ、獲物が意識を失ったところで、本格的にかみ殺す。
飼い主が2人がかりで、何とか黒柴の口からチワワを離すことができた。前方で立ち止まっていた私のところまで、女性とチワワが来た。血を流しているチワワはおびえ、女性は真っ青だった。黒柴の飼い主は、自分の名前や住所も教えずに立ち去った。パニック状態の女性は、相手に名前、住所を聞くことを忘れていた。
この黒柴の獰猛さを他の人も知っていた。中央の大きな公園で会った犬仲間の1人が、他の犬がこの黒柴にかまれるのを目撃していたのだ。
人間にも獰猛な者がいる。
ラッキーと一緒の散歩中に、白いトイプードルを連れたシニアの女性に、時々出会う。初めて遭遇したとき、まだ距離が離れていた私たちに、彼女は大声でどなった。それは悲鳴に近かった。
「こっちへ来ないで!あっちへ行って!」
見ず知らずの他人が、なぜそこまでパニックになるのかを知りたくて、その女性に近づいた。恐ろしそうにラッキーを見つめる彼女の瞳が、点になっていた。おびえきったトイプードルが、首輪が抜けそうなほどに力一杯リードを引っ張りながら、後ずさりをした。
その女性から見れば、とてものんびりした私の質問。
「どうしたんですか?」
「その犬はバセンジーね。バセンジーを近づけてはダメ。あっちへ行きなさい」
その後の会話から、彼女の友だちが、バセンジーは凶暴だと彼女に言ったことが、判明した。けれども、目の前にいるバセンジーのラッキーは、トイプードルに近づいても何もしなかった。私は、ラッキーが危険な犬ではないことを強調した。それで、普通ならば話が通じるはずだった。ところが.....。
その後何回か道路で出会ったが、いつも「あっちへ行け」なのだ。トイプードルは、ラッキーに対してだけではなく、他のどの犬に対してもとても怯えていた。
バセンジーよりも、この瞳が点になっているおばさんのほうが、ずっと怖い。意味もなく他人にかみつくのだ。
犬よりももっと激しくかみつく、こんなおじさんもいる。
近くの川沿いの公園では、犬の放し飼いが禁止になっている。ある日のこと、おじさんが小学生の男の子にラグビーを教えていた。ラグビー場を想定して、10個ほどの小さな赤いテトラポットが、長方形に大きく並べられていた。
そこへ突然に、リードから離されたままの白柴のサポが現れた。サポの飼い主はロシア人の夫と日本人の妻。この日は夫がやってきた。おじさんは、木陰から現れた飼い主にかみついた。
「犬の放し飼いは危険だから止めなさい。ここは放し飼い禁止になっていることを、知らないのか?」
ロシア人はおじさんの剣幕に驚いたが、言っていることの意味が分からなかった。そこで日本語でたった一言。
「分かりません」
おじさんはひとしきり吠えたが、ロシア人は相手にしないという素振りで、少し離れたところにいた私たちのほうへやって来た。サポは自由の身のままだったので、うれしそうにラッキーに飛びついた。
問題を整理しよう。その公園では、犬の放し飼いばかりではなく、ボール遊びも禁止されている。ついでにバーベキューも禁止だ。
おじさんは、自分がルールを破るのは構わないと考えるが、他人のルール破りを許さない。自分には甘くて他人には厳しいタイプ。他にも、おじさんにかみつかれた犬の飼い主が、何人かいる。しかも、4~5回も繰り返しかまれた女性がいる。
私は、おじさんとロシア人の両方に同情的だ。公園では、犬の放し飼いもボール遊びも自由にやらせればいい。
日本には、公園ばかりではなく街の至るところに、「ああするな、こうするな」という規則が、たくさんある。規則があるということで、皆は安心して何も考えなくなってしまう。
規則はないほうがいい。1人ひとりが常に周囲の状況を見ながら、判断する。何かまずいことが起きたならば、それは行政の責任ではなく、個人の責任だ。
子供のときから、規則だらけの生活に慣らされた日本人は、生きるための情報収集、解析、判断、責任の訓練機会を失っている。これでは、自分たちの社会に異質な外国人を入れることも、自分たちが、異質な外国人のいる国へ行くこともできなくなる。 日本人の閉鎖性が、世界の中で国家規模の弊害になっていることは、外国人ばかりか日本人自身が知っている。
まず公園で、犬の放し飼いもボール遊びもバーベキューも、何でも自由にすることから始めたい。もしも問題が起こった場合は、その問題を引き起こした個々人が責任を取れば、済むことだ。
ここまで書けば、ラッキーの年令に不相応なほどの落ち着きぶりを、皆さんに分かってもらえたと思う。年令に不相応な余りの落ち着きぶりに、「よく訓練しましたね。どのスクールへ通いましたか?」と、たずねる人までいる。
少し鼻が高くなった育ての親の私の答。
「スクールには一度も入れたことがありません。訓練は何もやっていません。『お手』、『お座り』、『おあずけ』さえも教えていません。『犬らしく素直に育てばいい』が教育方針です」
ラッキーは、家にいるときよりも外にいるときのほうが、クールガイに見える。家にいるときのラッキーが本物で、外にいるときのラッキーは、「猫かぶり」をしているように見える。
家では、誰かいれば落ち着いているが、家族が1人もいなくなるとパニックになる。家を出る最後の誰かは、外の階段を降りるときに、「フオオオーン」という低い吠え声を聞く。犬の吠え声というよりも、風の音のように聞こえる。
私たち家族にはラッキーの吠え声と分かるが、他の人は犬の声とは思わないはずだ。
家では、クールガイというよりも、意外にいたずら好きの甘えん坊なのだ。なでられることが好きで、妻や私に、目覚めてから就寝するまで、なでることを四六時中要求する。
和戸川を知らない人にとっては、和戸川の飼い犬のラッキーは、とても遠い存在になってしまう。誰でも知っている有名人のキムタクと、無理にでも何らかの関連づけをしてしまえば、少しは身近に感じてもらえるかもしれない。そこで、この追記を書くことにした。
私は、特にキムタクのファンというわけではない。ドラマ「南極大陸」も、最終回の最後の30分ほどを偶然に見ただけだ。黒い大型のカラフト犬を相手に演技しているキムタクを見て、このドラマに出演したことは、とてもうれしかったのではないだろうかという、感想を持った。なぜならば・・・・。
キムタクの実家は、私たちの街から見て川の反対側にある。キムタクが、実家で飼われている黒い大型犬のラブラドール・レトリーバーを連れて、海岸を散歩しているのを見たという情報が、以前に何度かワンコ仲間から流された。外を自由に出歩くことができない人気者にとって、実家で犬の相手をするのが、数少ない楽しみの一つだったことは、想像に難くない。そのラブラドールが最近永眠したので、キムタクはとても悲しんだと思う。その亡くなった犬にとてもよく似ている、「南極大陸」に出演したカラフト犬。
今朝、キムタクのお父さん(以下、木村さんと書くことにする。キムタクのお父さんは、キムタクの父親ということが強調されるのを、多分好まないと思う)に出会った。木村さんの隣人のワンコ仲間から、木村さんとワンコの特徴を詳しく聞いていたので、出会った途端に、キムタクのお父さんということが分かった。公園沿いの道路を自転車で走り、犬を伴走させていた。ラッキーを連れた私を見て、木村さんは自転車を止めた。とても話し好きな人だ。
木村さんが最近まで飼っていたラブラドール、今飼っているハッチ。それらの犬と、我が家のモンタ、それにラッキーとの間には共通点がある。
木村さんはハッチの前に3頭の犬を飼ったが、全てがメスだった。最後に死んだラブラドールは17才まで生きた。大型犬でここまで生きるのは珍しい。大型犬のモンタは13才で死んだが、モンタでさえも長命なうちに入る。このラブラドールは最後まで元気で、死の直前の30分間ほど苦しんだだけだった。モンタも最後の20分間しか苦しまなかった。
食いしん坊なのも同じだった。ドライフードのバッグを閉め忘れたときに、ラブラドールが中味をほとんど食べてしまった。苦しくて床の上で七転八倒。モンタも、オーストラリアで同じことをやった。
ハッチは、最近動物保護施設からもらってきた犬だ。木村さんは、命を一つでも助けたかったのだ。
年令は3才前後。ボストン・テリア系の雑種で、体毛は白地に黒い丸が入っている。黒の丸の中に濃褐色も混じっているので、ブリンドルということになる。
からだのサイズはラッキーのほうがやや大きい。ハッチはラッキーよりもスリムで、体形は甲斐犬系雑種のフィッツに似ている。
木村さんはハッチの体力を自慢するついでに、後足の筋肉に手を当てた。私も負けずにラッキーの筋肉を自慢。
ハッチは遊ぶときによく前足を使うそうだ。ラッキーも招き猫のように前足で誘いをかける。今朝公園で出会ったときにも、ハッチに対してラッキーがそれをやった。公園の真ん中に坐ってあたりを睥睨することは、ラッキーの習慣になっている。同じ犬坐りでハッチも同じことをやると、木村さんは自慢。
ハッチとラッキーは、体力と行動パターンが間違いなくとてもよく似ている。
食欲旺盛なことも両犬とも同じだ。特にハッチはキャベツが好きで、キャベツを生のままでやるという。ラッキーもキャベツが大好き。私たちがショッピングから帰ると、バッグの中をまず調査。キャベツが入っていれば、頭をバッグに突っ込んで生のままで食べてしまう。
木村さんには、ハッチが初めて飼うオス犬になる。まず、タマタマとチンチンに驚いたそうだ。チンチンの先から、ピンク色の棒の先が出るのを見るのは、ちょっとしたショックだった(こんなことまで気さくに話す木村さん)。 そこで去勢をしたが、チンチンが小さくなることはなく、ちょっとがっかりしたそうだ。ハッチよりもラッキーのほうがチンチンは小さいので、うらやましそうだった。
ハッチが気が強く活発なことは、ワンコ仲間から既に聞き知っていた。一見おとなしそうに見える白柴のサポが、初対面のハッチと真剣勝負をしてしまった。サポの飼い主によると、かみあいのあとでサポが地上に横たわったので、飼い主の女性は死んでしまったと思った。ところがサポは無傷だったのだ。かまれたハッチが頭から血を流した。
ハッチの目つきが鋭いと感じたイタリアン・グレーハウンドの飼い主は、自分の犬をハッチに近づけなかった。ハッチには、ラッキーくらいしか相手にならないと話した、老犬の飼い主がいる。
ハッチの行動がすばやいことは、野ネズミをつまえたことからも分かる。ラッキーもすばやいが、野ネズミをつかまえることはできない。猫ならばともかく、野ネズミをつかまえられる犬は、そんなに多くはないはずだ。ハッチはその猫を追いかける。猫が逃げて木に登ると、30分も木の下で待つそうだ。私は、ラッキーに猫を追いかけさせたことがない。
木村さんは、犬はじゃれあって遊んだほうがいいと、考えている。行動を抑えるとストレスがかかり、犬にも人にもよくないと判断している。遊び好きのラッキーと、遊ぶラッキーを見るのがとてもうれしい私。木村さんに完全に同意。
保護施設からもらってきたナナと同じように、ハッチは人を好きだが、他の犬に対してはきついという。私に甘えまくるハッチは、確かにナナに似ている。
ラッキーは、こんな他の犬に対して気の強い犬が、大好きなのだ。尻を高く上げて後ずさりをしながら、遊びに誘ったり、体あたりをして、ハッチのやる気を引き出そうとした。ラッキーはハッチをとても気に入ったが、ハッチは気に入られたときの反応の仕方を、よく分かっていないようだった。ラッキーを受け入れたハッチだが、じゃれあいはどことなくぎこちなかった。
ここに、今までの生活環境の差が出ているように思われた。
2頭が出会ったのは公園の狭まったところで、長く伸びるリードをつけて遊ばせられる場所ではなかった。ハッチはともかく、一生懸命に遊びたいラッキーだったが、その動きは限定されてしまった。
ラッキーは、全力で遊べそうな良い友だちを見つけた。ラッキーの育ての親としては、キムタクのお父さんであろうと誰であろうと、ラッキーが気に入った犬を連れている人は、大歓迎だ。