最先端の量子論どころか、物理学には素人の私。中学生の時に、太陽黒点の観測で学生科学賞を受賞したが、物理学を体系的に勉強したのは、高校生の時だけだ。この科目はおもしろくなかった。当然、成績は悪かった。大学生になってからSF同人誌を編集・発行し、同人からプロのSF作家が2人誕生した。そんなこんなで、高校時代の物理学の成績はともかく、宇宙存在を究極的に解明しようとする現在の量子論によって、知的好奇心を極限にまで刺激される。
かつて、ビッグバンを理論化したガモフが書いた、「不思議の国のトムキンス」などを読んで感銘を受けた。当ページの評論は、私の心の中ではその感銘の延長線上にある。
「間違いと実証されていないことには、意味がある」
これが、最先端の量子論を議論する時の「常識」のように思われる。それならば、この評論で素人が想像をたくましくしても、専門家は文句を言わないはずだ。ついでに、理論物理学者への批判も少し書くことにする。
この評論は、「 巻頭夢 」を補完する意味を持っている。冗談混じりの前の評論よりも、科学的に突っ込んだ議論をすることになる。現在知られている量子論(「次元の闇から湧き出る宇宙」と「宇宙を構築する究極のドット量子」を参照)の知識を使っているが、前の評論と同様に私の夢想が至るところに散りばめられている。いくつかの分かりにくい専門用語は、私のような素人に分かりやすい言葉に置換している。
最先端の量子論を紹介すると同時に、量子論に挑戦もするこの評論で、私は私の夢を語る。その夢の中には、恐ろしい夢(悪夢)も含まれていることを、最初にお断りしておきたい。
自分のからだをじっくりと観察してみよう。縦、横、高さの3つの座標で規定できる、球形を含む立体になっている。顕微鏡下で見れば、からだを構成する60兆個の細胞の一つひとつも、立体になっていることが分かる。これらの立体の内外は、体積で量を示すことができる、血液とリンパ液で満たされている。
3次元立体の私達は、縦、横、高さで規定される3次元空間の中で、日常生活を送っている。マンションの部屋も車も電車も、それぞれ形状は違うが、完全な立体だ。地球も、人間が観測できる範囲にある宇宙も立体。即ち、私達は、3次元の空間に住む3次元空間生物だ。時間を見ることはできないが、時間の経過を認識することはできる。私達は、3次元空間+1次元時間=4次元時空に住んでいる。
私達の宇宙の時間は、1次元ではなく0次元と考えることが可能だ。もしも未来と過去へ自由に行き来ができるならば、時間は正確に1次元になる。2次元、3次元の時間は想像できないが、より高い次元の宇宙へ入っていけば、そんな時間があるかもしれない。
生存のために、食用の動物を捕獲したり、穀物・野菜を栽培する仕事は、3次元空間と1次元時間によって規定される宇宙の一隅で、成就されている。
4次元時空の生物である私達は、4次元時空の中で生じるできごとだけを知っていれば、生存できる。それ以上の次元の空間と時間の情報を、必要とはしない。
そのために、たとえ5次元以上の時空(4次元以上の空間と同じ意味)が周囲に存在していても、それを知覚・認識する能力を身につけることがなかった。
私達は、より高い次元の宇宙の一部として存在しているのに、その高次元時空を知覚することは勿論、想像することもできないとすれば、観念的には恐ろしい。
量子論は、その実在すると思われる、不可知な高次元時空を解き明かそうとしている。
量子論である超ひも理論によると、私達が住んでいる4次元時空は、9次元空間と1次元時間から構築されている、10次元時空(空間次元が一つ増えた11次元時空の可能性もある)の一部と考えられる。即ち、私達が認識できる4次元時空に、更に6つの空間次元が加わった時空が、私達の周囲に存在している。この理論は、人間の能力の限界を超えない範囲で構築された。時間を1次元と規定しているが、理論的な根拠があって1次元にしたわけではない。時間を2次元以上にすると、理論を構築するための計算が人間の能力を超えてしまい、計算が不可能になるのだ。ここに、この理論の限界がある。
高次元時空に浮かぶ、3次元空間のブレーン(メンブレーン=膜)どうしの接触によって、私達の宇宙(私達の宇宙である3次元ブレーン)が生まれたとする説が、スタインハートらによって提唱された(エキピロティック宇宙論)。これが、超ひも理論の基本概念になっている。
この理論によると、
10次元時空の中で2つの3次元ブレーンが接触し、その接点で新しい宇宙が誕生した。誕生した瞬間の宇宙は、10次元時空を巻き込んだ、極微の3次元ブレーンだった。誕生から10
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秒後に、3次元空間と1次元時間だけが選択された。
この4次元時空が膨張を開始し、やがて私達の今の宇宙の姿を取るようになった。
この理論を敷衍すれば、ブレーンを3次元だけに限定する必要がない。10次元時空内に8次元ブレーン(9次元時空)が存在し、9次元時空内に7次元ブレーン(8次元時空)が存在するというように、ブレーンの次元が段階的に下がる、ブレーンの階層構造が形成される。私達の4次元時空(3次元ブレーン)内には2次元ブレーン(3次元時空)が存在し、3次元時空内には1次元ブレーン(2次元時空)が存在する。ブレーン階層構造の中で、次元が異なる宇宙が誕生しているならば、その全貌はめまいがするほど複雑になる。
後で触れるが、10次元時空内に存在するより次元の低いブレーンの数は、無限になると思われる。2つの3次元ブレーンの接触によって、私達の宇宙である3次元ブレーンが新しく生み出されたのならば、10次元時空内において、3次元空間の宇宙が数限りなく生み出されているはずだ。
接触は、同じ次元のブレーンどうしで起こることになる。3次元ブレーンと、4次元以上、あるいは2次元以下のブレーンとの接触はあり得ない。立体(3次元)とその立体の表面(2次元)を考えれば、そういう結論になる。立体の表面は立体の構成要素なので、その表面が立体の本体に接触することはあり得ない。
ブレーンどうしの接触によってブレーンが消滅する可能性が考えられる。消滅は本当に起こるのだろうか?起こるとすれば、どういう条件がそろった時なのだろうか?
他の3次元ブレーンの消滅が、高次元時空のどこかで起こっているとしても、観測は不可能だ。私達は、次元の彼方にある他の宇宙ブレーンを、観測する術を持たない。他の宇宙ブレーンとの接触によって、私達の宇宙ブレーンが消滅する場合は、接触を知る前に私達自身が消滅してしまう。
ブレーンどうしの接触によって引き金を引かれた、宇宙誕生によって、莫大な量の準位の低いエネルギー(真空エネルギー)が、誕生したばかりの宇宙へ放出された。真空エネルギーが対称性の破れによって励起され、対の量子である、電荷が正反対の「粒子」と「反粒子」が同時に誕生した。ほとんどの「粒子」と「反粒子」は、接触して対消滅した。しかし、不確定性原理によって、「粒子」の数がわずかに勝っていたために、消えずに残る「粒子」があった。
ここで、アインシュタインの有名な公式E=mc
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を思い出そう。この公式は、エネルギーと物質が等価であることを示している。エネルギーは物質に変換され、物質はエネルギーに変換される。
宇宙誕生最初期に残った「粒子」によって、クオークが形成された。そして、原子核を構成することになる陽子と中性子や、原子核の周囲を回る電子が誕生。ここまでにかかった時間は、宇宙誕生から1000分の1秒ほどだった。
空間が膨張するとともに宇宙の温度が下がり、およそ38万年後までに、原子核と電子が結合して最も単純な原子が誕生した。それは水素原子で、現在、宇宙に存在する原子の約75パーセントを占める。
やがて、原子が集合して星が形成された。水素原子は燃える星の中で重合し、元素表に載っている各種のより重い原子へ進化した。それらの原子は、超新星爆発によって宇宙空間へ放出された。自らの引力や斥力によって、宇宙空間で集合した原子は、ケイ酸塩や水などの分子を誕生させた。それらの分子が宇宙塵を形成した。宇宙塵が星間雲に成長し、太陽系のような恒星系を生み出す種子になった。太陽の周囲を惑星が回るようになり、やがて地球上に生物が誕生。
生物のもとになる分子の形成と、複雑なたんぱく質の誕生のためには、普遍的な原子間・分子間相互作用である、ファンデルワールス力、クーロン力、水素結合、配位結合、疎水結合などの物理化学的な結合があれば、十分だ。地球上の生物進化において最終的には人類が誕生したが、この進化に奇跡が入る余地はない。
以上のことを考えると、 私達が住んでいるこの宇宙のみならず、観察することが不可能な別の3次元空間宇宙にも、私達のような生物が住む惑星が無数に存在する、と考えるのが自然だ。私達の宇宙だけを特別な存在と結論するためには、無理な仮定を数多く導入しなければならなくなる。
宇宙には、莫大な量の量子や原子が存在する。これらの量子や原子を全て取り除くと、何も存在しない無の空間になるはずだ。ところが、ここにおける「無」は、私達の通常の概念とは異なる。量子も原子も存在せず、無になっているはずの空間で、無数の量子(バーチャル粒子)が瞬間的に生まれ、瞬間的に消滅している。
一つひとつの量子が存在する時間は10-22秒ほどで、余りにも短かい。これらの量子を直接に観測することはできない。存在の証拠は、間接的な実験の結果から得られる。2つの量子を、反対方向に光速度で飛ばして衝突させる、円形加速器の実験だ。この実験で、衝突のエネルギーから全く新しい量子が生み出される。
無の空間に一瞬だけ存在する量子は、電荷が異なるバーチャルな「粒子」と「反粒子」。これらの量子は対生成され、生成後即座に衝突して対消滅する。対の量子エネルギーは、高次元時空のどこかから、間断なく私達の宇宙へ湧き出ていると考えられるので、供給が途絶えることはない。
不確定性原理によって、無の空間に湧き出る「粒子」が、「反粒子」よりもほんのわずかに多いならば、何が起こるだろうか?ある特定の時間と空間においてはわずかでも、宇宙的な時間と空間を考えれば、残存「粒子」が極めて多くなる。
宇宙誕生最初期においても、「粒子」と「反粒子」が対生成されたと、考えられている。大部分の「粒子」は「反粒子」と接触して対消滅してしまったが、「反粒子」よりも「粒子」のほうがわずかに多かった。生き延びた「粒子」から原子が形成されたおかげで、今私達がここに存在している。
無の空間に生まれ、対消滅をまぬがれて宇宙空間に蓄積される、バーチャルな「粒子」。宇宙誕生時に生き延びた「粒子」と比較しても、かなりな量になるのではないだろうか?
アインシュタインは、当時の観測機器では実証できない宇宙論を構築したが、この時に最も大事にした思索法は、「自然であること」だった。実証できない現象やエネルギーのあり得る姿を描く時には、論理的に誤りがないことを求められる。それが「自然であること」だ。今話題のダークマター(暗黒物質)に、私なりに自然な思考を適用すると、以下のようになる。
宇宙に存在する物質エネルギーのおよそ80パーセント(全エネルギーの20%強)が、空間で引力を生じるダークマターと考えられている。即ち、
物質の構造形成に関わるエネルギーの大部分は、ダークマターなのだ。ところが、このエネルギーは目に見えないだけではなく、目に見える物質と直接的には反応しないと思われる。
ダークマターは、宇宙空間に存在するだけではなく、私達のからだの中にも存在する。からだが占める空間にダークマターが満ちている。ところが「見る」ことはできない。このような特徴を考えると、既知の実証された量子をダークマターの正体とするのは、不自然だ。ダークマターの候補として、ニュートリノ、ニュートラリーノ、アキシオンなどの仮想量子があげられている。仮想ではあるが、この宇宙に実体が存在すると想定されている。
繰り返し書いているように、
私達の宇宙は、より高次元の時空の一部と考えなければならない。ダークマターは、4次元時空が高次元時空と交わるところに存在する、「何か」ではないのか?そのぎりぎりの境界に存在する「何か」の実体を、量子としては観測できないが、顕現する力を観測できる、と考えてはどうだろうか?
下のほうで述べる、超ひも理論で規定される重力子を、ダークマターの実体としてあげることができる。重力子は素粒子の標準模型に入っていない。重力相互作用を担うと考えられる、まだ実証されていない仮想の量子だ。
高次元時空と私達の宇宙の間を行き来している重力子は、宇宙を構成する量子と結合するとしても、その結合力は極めて弱い。また、宇宙ブレーンに結合しないので、宇宙を素通りし、宇宙に存在する時間は極端に短い。一個一個の重力子が宇宙に存在する時間が瞬間的でも、ある時点における重力子の総和は、莫大になるはずだ。
以上の仮説が、余りにも空想的すぎるならば、 もう少し現実的な仮説として、上に書いた、無の空間に湧き出る「バーチャル粒子」をダークマターの候補としてあげられる。対生成された「粒子」と「反粒子」が、空間を膨張させる力になるダークエネルギーで、対消滅を生き延びた「粒子」が、物質を誕生させるダークマターになり、引力を生み出す可能性がある。
ここで、高次元時空から見た宇宙の大きさの意味について、考えたい。
私達の宇宙は無から誕生し、誕生直後は極微で、そこでは物理法則が破たんしていた。誕生後のある時点で、宇宙の直径が1000メートルになったはずだ。この微小宇宙の中心に私達がいたとする。そこから、どの方向へでも500メートルも歩けば、宇宙の端に到達したのだろうか?
宇宙の端とは何か?壁のように固いのか?両手で力一杯押しても、その宇宙の端の壁は微動だにしないのか?
高次元時空から見ると直径1000メートルの宇宙だが、その中にいる私達の感覚では、無限大の宇宙の中にいるのと同じことになる。より高い次元から見れば、3次元空間は曲がっている。この高次元的な曲がりを私達は認知できない。高次元的に曲がった3次元空間は、無限に広がっているように感じられる。500メートル歩こうが1億キロ歩こうが、端に到達することはない。
球の曲がった表面を想像すれば分かりやすい。2次元生物は、3次元的な曲がりを知覚も認識もできない。この生物が、球の表面を歩いている。3次元的には有限の表面だが、2次元的には端がないので、2次元生物がどこまで歩いても、端に到達することがない。2次元生物にとっては、表面の広がりは無限だ。
あるいは、次のような説明をしてもいい。3次元空間に2次元の平面を描く。一辺が10センチの正方形だ。正方形の一方の辺にいる2次元の生物は、他方の辺まで最短でも10センチ歩かなければならない。3次元空間に住む私達は、この生物を助けるために、歩く距離をなくすことができる。3次元的に平面を折り曲げればいい。2次元生物のいる辺を反対側の辺に接触させれば、2次元生物にとっては、それまでの10センチの距離が0になってしまう。10センチ離れていたはずの反対側の辺が、足元に突然に現れたのを見て、2次元生物は仰天する。
この2次元生物には、3次元的な折り曲げを知覚も認識もできない。最初に書いた、知覚が3次元空間に限定された、私達人間と同じ立場にいる。私達には4次元的な折れ曲がりを知覚も認識もできない。
私達の宇宙がその一部である高次元時空は、私達の宇宙の尺度を使って、大きいとも小さいともいえない。4次元以上の空間に、3次元の尺度を当てはめることはできない。大きい、小さいは、縦、横、高さを座標とする3次元空間の指標だ。縦、横、高さの3つの座標に付け加わる次の座標を、私達は想像することができない。 こんなことは、素人の私には分かり切ったことのように思えるが、理論物理学者は以下のように説明している。
「10次元時空に存在する私達の4次元時空。残りの6次元は極端に小さく、3次元的には見えない。この6次元は丸く閉じていて、4次元時空に接触している」
3次元空間の中に、あらゆる形と大きさの2次元平面を描くことができる。高次元時空の中には、あらゆる形と大きさ、それに時間の4次元時空が含まれていると考えるのが、自然だ。しかも、3次元空間に2次元平面を無数に描くことができるように、高次元時空に、無限の数の4次元時空が存在しても不思議ではない。
この「無限」という概念は、驚くべき結論を導き出させる。あらゆる4次元時空が無限の数だけ存在すれば、その中には、私達の宇宙と全く同じものが含まれることになる。しかも、この同一の宇宙の数は無限だ。時間の視点からいえば、今のこの時点における私達の宇宙と、同じ時点にある宇宙が、どこかに存在する。その数はまたも無限。視点を異なる時間へ持っていけば、私達と同じ宇宙の誕生から死に至るまでの、あらゆる時点における宇宙が存在することになる。しかも、どの時点をとっても、同じ宇宙が無限の数だけ存在する。
3次元空間に住んでいる私達は、縦、横、高さのどの座標方向へでも、自由に動くことができる。ところが、この空間における時間の流れは一方的だ。過去から未来へ。私達は、時間軸上においては一方向へしか進むことができない。ここでは、私達が住んでいる3次元空間の宇宙は、無から誕生したように見える。
量子世界の時間の流れが不定なので、宇宙レベルへ不定な時間を敷衍することができる。異なる時空の宇宙においては、時間が未来から過去へ流れたり、流れ方が、私達の宇宙とは根本的に異なることがあっても、不思議ではない。そこでは、宇宙の誕生から全てが始まるわけではない。
以上を、もっと個人的に表現すればこうなる。今の時点の私達の地球と完全に同一な地球が、高次元時空のどこかに無限の数だけ存在するのであるから、量子論を書いている和戸川も、無限に存在している。1日前の私が存在する1日前の地球も、無限に存在する。1日後の私と地球についても同じことだ。4次元時空の存在である私は、高次元時空のどこかに存在する、このような他の和戸川も地球も決して見ることがない。
高次元時空へつながるのは、私達の宇宙存在を規定する、最も基本的なエレモントである量子エネルギーだ。しかし、物質を構成する最小の基本量子を見極めることは、3次元空間のかなり大きな物体しか知覚・認識できない人間にとって、極めて困難だ。更に、 私達が見ている宇宙の物理法則のいくつかを、 量子の世界に適用できない。そこは、マクロの宇宙の法則とは異なる法則で動いている、高次元時空との接点だ。
私達の宇宙が高次元時空に存在していることを、具体的に検証する方向で動いている研究者がいる。究極の基本量子の理論的な探求は、極微のひも(ストリング)を物質の最小単位と考える、超ひも理論に辿り着いた。このひもを介して、私達の時空と高次元時空との関わり合いが、解明されることを期待できる。
ひもは想像を絶する小ささだ。原子核を地球の大きさに拡大し、太陽の位置に置くとする。その核の周囲を周回する電子は、地球軌道の位置に存在する。同じ倍率をひもに適用すると、ひもの大きさは、やっと原子核と同じになるのだ。
以上の説明では、小さいとはいっても、ひもはあるサイズを持っていることになる。即ち、ひもは3次元的な存在になる。ところが、
超ひも理論の専門家は、このひもの直径を0といったり、ひもを1次元の存在といったりする。直径0のひもは、3次元的には存在しない。私達には知覚も認識もできない。1次元の存在も同じことだ。
3次元空間の極微振動(エネルギー)がひもの実体なので、周囲へ広がる波には境界が存在しない。直径を確定できないことは理解できるが、この振動の直径を0といったり、1次元の存在と規定すれば、安易な飛躍になってしまう。
超ひも理論は大胆な理論だ。私達には不可知な4次元以上の空間と、認知可能なこの3次元空間をひもが介在しているとすれば、発想の飛躍が大き過ぎるからといって、否定する根拠にはならない。
中心に原子核があって、その周囲を電子が回っている原子の絵は、誰もが見たことがある。原子核は陽子と中性子から成る。その陽子と中性子はクオークから成る。量子(素粒子)とはこれらのクオークや電子のことだ。量子は大きく2種類に分けられる。
電磁気力、ウイークボソン、グルオン、重力、クオーク、電子、ニュートリノなどが、超ひも理論のひもだ。
超ひも理論におけるブレーンに説明を加える。超ひも理論の理論展開のためにブレーンという概念を使い始めたのは、ポルチンスキーらだ。
最も単純なブレーンは0次元の0ブレーン。3次元空間の生物である私達は、この0次元を知覚も認識もできない。例えば、点は厳密には0次元だ。0次元の点の直径は0にならなければならない。ところが、私達は、直径0の点を紙に描くことも認識することもできない。紙に点を描けば、その点は、どれほど小さくても常に直径を持つ。即ち、2次元の図形になる。この点にはインクの厚みがある。この厚みが高さになり、知覚できる点は構造的には3次元の立体だ。
同様に、1次元の図形も私達には知覚も認識もできない。1次元の線には、長さはあるが幅はないはずだ。ところが、幅0の線を私達は描くことができない。私達が紙に線を描けば、その線には必ず幅がある。2次元図形だ。更にインクの厚みが高さになる。3次元の生物である私達に知覚できるのは、3次元の立体だけだ。
超ひも理論のひもは、理論的には、私達には認知が不可能な1次元のブレーンに乗っている。これは、私達が住んでいる3次元ブレーンの構成要素だ。この1次元ブレーンに乗っているひもは、5次元方向へでも10次元方向へでも、どの次元方向へでも自由に振動できる。ひもの振動の方向と状態が変われば、異なる量子になる。上の図はひもの多様な振動パターンを示している。詳細は拙著の「無から湧き出る宇宙」に書いた。
以上は超ひも理論が提唱する仮説だが、この仮説を実証できれば、私達が住んでいる4次元時空が、高次元時空の一部であることの直接的な証明になる。
電磁気力、ウイークボソン、グルオン、クオーク、電子、ニュートリノなどは、両端が開いた直線状のひもだ。これらのひもは、両端でブレーンに付着している。重力子は、輪ゴムのような輪になっているので、ひもに端は存在しない。通常は特定のブレーンに付着することがない。
私達の宇宙は3次元ブレーン。両端が開いたひもは、両端でこのブレーンの表面に付着している。端のない重力子はブレーンに付着しないので、異なる次元の時空へ自由に動くことができる。高次元時空を介して飛べば、重力子が瞬時に宇宙の彼方へ移動したように見えることが、あり得る。また、今ここに存在している重力子が、時間の壁を乗り越えて、どの時点の私達の宇宙へでも移動できる可能性がある。高次元時空のどこかに存在する、他の3次元空間宇宙の重力子が、私達の宇宙へ出現することも否定できない。
アインシュタインは、一般相対性理論で、重力の伝わる測度は有限、即ち光速と述べた。2016年に初めて重力波が検出されたが、重力波は3次元空間の振動だ。存在の仕方が、重力子を介した重力とは根本的に異なる。重力の伝播速度が光速を超えることが 、超ひも理論から示唆される。重力の伝播速度を測定できれば、超ひも理論の可否を判断するための重要な証拠を、入手できる。
一般相対性理論によると、重力は4次元時空を曲げる(3次元空間の曲がりと時間の遅れ)。4次元時空の全ての存在に影響を与えることから、重力子が、他の量子と根本的に異なることが分かる。重力子が高次元時空を飛び回るとする超ひも理論と、マクロの宇宙に適用される相対性理論が、重力子の特質を使って統合される可能性がある。
ここまで推論を進めてくると、極微と極大の世界に物理的に絶対的な差は存在しない、と結論づけたくなる。極微世界で起こることは、極大世界でも起こる。その逆もある。あるいは、極微世界と極大世界は完全につながっている。同質だ。
私達の宇宙は、3次元空間的には無から誕生した。誕生直後の宇宙は原子よりも小さかった。量子よりも小さかった。それならば、今は何も存在しない目の前の空間で、突如新しい宇宙が誕生することは、あり得るのだろうか?それも、最初は量子よりも小さい宇宙だ。
3次元空間のブレーン同士が接触すれば、新しい3次元ブレーン宇宙が生まれる。目の前で、私達のブレーンが他の3次元ブレーンに接触し、新しい宇宙が誕生する可能性を完全には否定できない。
新しい極微の宇宙が、周囲で無数に誕生しているが、私達が宇宙誕生を認識する前に、消滅している可能性がある。実は、ビッグバンが始まる直前に、極微の「宇宙」と「反宇宙」が対生成されたという説が、あるのだ。両宇宙の対生成説が正しければ、両宇宙は、「粒子」と「反粒子」のように瞬間的に対消滅したはずだ。ところが、「宇宙」の数がやや勝っていたので、対消滅をまぬがれた「宇宙」があった。私達の宇宙は、対消滅をまぬがれて生き残った「宇宙」の一つになる。
今でも目の前の空間で「宇宙」と「反宇宙」が瞬間的に対生成されているが、幸いにも両宇宙の数が正確に同じなので、私達が気づく前に瞬時に対消滅しているかもしれない。
次に、無からの誕生の逆になる、無への回帰(消滅)を考えてみる。巨大な質量を持った星が無限に小さくなる、ブラックホールが好例になる。
限りなく小さくなるブラックホールは、最後にはこの宇宙から消えてまう、と車椅子に乗った天才学者のホーキングが、予言した。ブラックホールに落ち込んだエネルギーは、高次元時空へ移動してしまうと考えれば、話は簡単なように思われる。ところが、多くの物理学者は、ブラックホールの先に、観測も認識も不可能な高次元時空が存在することを、認めたがらない。この宇宙に存在する情報(エネルギー)が跡形もなく消えてしまっては、物理学者が信じる宇宙の物理法則と数学が、破たんしてしまうからだ。
ホーキングもジレンンマにおちいった。そして、ブラックホールへ吸い込まれた情報は、ホーキング放射によってこの宇宙へ戻される、と説いた。全ての情報が、私達の宇宙の中だけで循環しているとすれば、物理学者は物理法則の破たんを心配する必要がなくなる。天才ホーキングも、結局は3次元空間宇宙に閉じ込められていたようだ。
誕生時の極微宇宙に、私達の宇宙の全エネルギー(全情報)が含まれていたとする。このエネルギーが、高次元時空のどこかから移動してきたのならば、私達の感覚では、無から全てのエネルギーが湧き出たことになる。それとは逆に、宇宙が一つのブラックホールになり、この宇宙が私達の視界から消えても、再び高次元時空へ戻るならば、情報保存の観点からは理論的に何も矛盾が生じない。高次元時空を介したエネルギーの大きな流れを、拙著の「無から湧き出る宇宙」に詳述したので、参考にしていただきたい。星のブラックホールとは異質な宇宙ブラックホールの特性を、当サイトの「宇宙を誕生させる謎の重力子」で述べている。
新しい量子論、それを敷衍した宇宙論は、私達の宇宙が、高次元時空とどう関わっているのかを示し始めた。私達の生存と直接には関わりのない高次元時空。私達の知覚や認識能と高次元時空は無縁だ。目に見える宇宙の物理法則と数学公理の多くを捨てなければ、理解することはできない。最も野心的な理論物理学者の挑戦が続く。そして、私のように、好奇心が旺盛で向こう見ずな素人が、既知の物理法則から離れて夢想を自由奔放に語る。