Essay 71

中国浸透工作の全貌暴露

世界を変えた本がある。中国の工作を暴露した「目に見えぬ侵略」。各国の対中戦略が大きく変化。
2020年7月17日
日本に取って代わった中国

1968年に、日本のGNP(GDP)が世界第2位になった。1970年代に、オーストラリアの輸出に占める日本の割合が、30%超に達した。オーストラリアの繁栄にとって、経済大国の日本がなくてはならない存在になった。しかし、鉄鉱石、石炭、牛肉などのオーストラリアの主要輸出品の供給と、日本の需要との間のアンバランスが、貿易摩擦を生み出した。それを乗り越えて、1980年代に協力関係が単なる貿易を超えた。外国で日本語を学ぶ人の数が最も多くなったのが、オーストラリアだった。

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1980年代前後に、家電、自動車などの工業製品が、日本からアメリカへ怒涛のように輸出され、激しい日米貿易摩擦が勃発した。アメリカの圧力に負けて、1990年代に日本の経済力低下が鮮明になった。
日本に取って代わったのが中国だった。2000年頃から中国の輸出が増加し始めた。2008年のリーマン・ショック後に、60兆円の景気刺激策で、中国は揺るぎのない経済大国に成長した。2010年には、GDPが日本を上回り世界第2位になった。

強化された独裁

かつて、中国が豊かになれば自然に民主化するはずだ、という期待が、アメリカなどにあった。これは間違いだった。

ニューヨークタイムズ紙が、李克強の個人資産が、1兆2千億円あることを報じた。その直後に、ニューヨークタイムズは激しいサイバー攻撃に見舞われた。情報提供者を特定することが、目的だったと思われる。
噂によると、習近平の個人資産が20兆円に達する。親類縁者の銀行口座が、海外でいくつも確認されている。

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中国が民主化すれば、共産党幹部の腐敗や、ウイグル人、チベット人、法輪功などに対する悪行に、光が当てられる。国のトップが、犯罪者として裁かれることになる。共産党政権はそれを受け入れない。中国がどれほど豊かになっても、共産党が主導する民主化が起こることは、決してない。
逆に、民主化を完全に抑えるために、共産党の指示によって、監視と懲罰のシステムが休みなく高度化されている。情報・思想の統制がさらに厳しくなっている。断っておくが、これは、中国人だからということではない。独裁者は、民族的特質とは無関係に、例外なくこのように行動する。香港や台湾に住んでいる中国人は、日本人以上に共産党独裁に抵抗している。

香港の国家安全維持法が、中国の危険性を明確にした。国外に住んでいる非中国人まで、中国に対する反逆罪で逮捕できる法律を、制定してしまう国だ。もっとも、共産党は法律を超越しているので、法律自体が無意味、という現実がそこにある。

オーストラリアの属国化を決めた中国共産党

中国経済の高度成長に伴って、オーストラリアから中国への、地下資源や農産物の輸出が急増した。オーストラリアの輸出に占める中国の割合が、高度成長期の日本と同じ30%超になった。

最も重要な貿易相手国になった中国に対して、オーストラリアは親中国的な施策を、次々に取り入れた。経済大国になった中国に依存することでしか、オーストラリアの未来はない、という主張がメディアを席巻した。中国マネーを期待する政治家が、それに呼応した。

生き馬の目を抜く中国共産党政権にとって、オーストラリアはネギを背負ったカモになった。そのカモはとても扱いやすく(ナイーブ)、食べごたえがあった。土地、企業、インフラなどが中国の標的になった。 住宅地、農地、港湾、鉱山などの最も価値のある土地が、買われている。
中国企業がすでに所有している土地は、オーストラリア全土の2.3%と言われる。オーストラリアの国土は広大だ。割合では狭く思われるが、実面積では17.7万平方kmになる。実に、日本の面積の47%に達する(本州の78%)。日本の半分弱(本州の8割弱)が買われてしまった。

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オーストラリアに対する中国の政策は、オーストラリアが繁栄のためにかつて頼っていた日本とは、根本的に異なっている。中国のそれは、国の乗っ取りだ。

2003年に、オーストラリアを訪れた胡錦涛が、オーストラリア議会で演説した。
「1420年代に、明朝の艦隊がオーストラリア東海岸へたどり着き、この地に住み着いた」

オーストラリアへ最初に上陸したヨーロッパ人は、オランダ人で、1606年だったと言われる。胡の主張によると、オーストラリア大陸を発見したのはヨーロッパ人ではなく、中国人だった。これが意味するところは重大だ。「オーストラリアは歴史的に中国固有の領土で、中国の核心的な利益を形成する」、と宣言するための伏線になるからだ。演説がオーストラリア議会だったことが、この可能性を増大させる。

なお、胡が述べた歴史は嘘(偽史)であることが、幾人もの歴史家によって証明された。しかし、中国が他国の意見に耳を傾けないことは、多くの「核心的利益」紛争で証明されている。

翌年の2004年に、共産党中央委員会の秘密会議で、オーストラリアを属国化することが、正式に決定された。オーストラリアはその決定を知らなかった。その後の政治・経済・教育などのあらゆる分野における、中国の浸透工作はすさまじいものだった。中国の本音を知らないオーストラリアは、浸透を許してしまった。

「目に見えぬ侵略」が浸透工作の全貌を暴露
目に見えぬ侵略

ところが、オーストラリアの対中国政策が、突然に大きく方向転換した。今では、日本よりもはるかに厳しく中国に対峙している。妥協の余地のない対決。この政策転換に決定的な貢献をしたのが、2018年2月にオーストラリアで出版された、「目に見えぬ侵略(中国のオーストラリア支配計画)」だった。著者のクライブ・ハミルトンは、オーストラリアの応用哲学・公共倫理センターと、チャールズ・スタート大学の教授をしている。
当初は、2017年11月に出版される予定だった。しかし、出版社が中国関係者からの報復を恐れて、出版契約を解消した。香港ならばありそうな話だが、これはオーストラリアの話だ。出版前から注目されていたために、出版中止のニュースが世界中へ広がった。他の2つの出版社からも断られ、最後にやっと中小出版社が出版を引き受けた。日本語版は、2020年5月に飛鳥新社が出版。

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ハミルトンは、学者らしく、中国の浸透工作の全貌を緻密に描いている。その内容は驚くべきものだ。ボブ・ホーク、ポール・キーティング、ジョン・ハワードなどの元首相を始めとする、政治・外交・経済・教育界のトップが、どのようにして中国に懐柔されたのかが、実名入りで詳細に描かれている。工作に関与している在豪・在中の中国人要人ばかりか、北京の先兵になって動く中国人学生まで、実名で登場する。

中国政府は、金と欲と名誉に突き動かされる、人間の弱みにつけ込む。さらに、海外の中国人が反中国的な活動をすれば、中国に残る家族に危害を加える、という恐怖まで使う。その工作過程が克明に記述されているので、読んでいると、まるで眼前にドラマを見ているように感じる。

情報の信憑性

膨大な数の引用元が示されているので、情報の信頼性は高い。情報提供者は北京にもいて、共産党の極秘情報まで開示されている。この莫大な量のセンシティブな情報を考慮すると、ハミルトンには諜報機関からの助けがあった、と推測できる。中国政府は、ハミルトンへの情報提供者を知ることに、大きな関心を持っているはずだ。北京寄りの中国人ばかりか、親中国のオーストラリア人からも攻撃される危険をおかしてまで、この本は書かれた。

日本語へ翻訳した奥山真司が、ハミルトンを訪問したときに、ハミルトンが奥山に言った。
「気候変動を書いているときは、何度も脅迫メールを受け取ったが、今回は、出版してから一通も受け取っていない。逆にそれが怖いから、通勤するときとか外に出るときには、いつも気をつけている」「地政学を英国で学んだ」から引用)

ちなみに、奥山の努力にも触れておきたい。英語版では、中国人の名前が全てアルファベットで書かれている。これらの名前を漢字に戻すという、膨大な作業を行った。有名人ならば漢字名はすぐに分かるが、学生まで多数登場するのだ。

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出版から2年以上が経った。この本に書かれたことが嘘(フェイク)ならば、中国の走狗と名指しされた元首相や大臣・議員が、黙っているはずがない。大学教授や中国人の企業経営者も同様だ。しかし、誰も名誉棄損で訴えている気配がない。沈黙を守っているということが、「目に見えぬ侵略」に書かれたことが真実であることを、間接的に示唆する。書かれた以上の悪行をやっていたので、さらに掘り下げられることを、恐れている可能性さえもある。それが沈黙につながる。

世界を変えた間接的な証拠

「目に見えぬ侵略」が世界を変えたと言っても、具体的に証明することは不可能に近い。各国の政策立案者の心理に与えた、影響の度合いを測ることができないからだ。可能な証明は間接的。この本の出版時点の前後における世界のできごとを、時系列的に並べることで、世界への影響を推し量ることができる。
「目に見えぬ侵略」をもとにしてオーストラリアで制作され、2019年4月に放映された、テレビのドキュメンタリーをYouTubeで視聴できる(China's covert political influence campaign in Australia)。

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国別に時系列的な展開を見る。

●オーストラリア
2008年 4月 北京五輪に向かうオリンピックの聖火が、世界ツアーの最後にキャンベラに到着。紅い旗を持った何万人もの中国人学生が、チベット人や一般オーストラリア人を攻撃。現場にいたハミルトンが衝撃を受けた。
2016年 6月 上院議員のスキャンダルが発覚。裕福な中国人が、主要政党への最大の資金提供者であることが分かった。ハミルトンが「目に見えぬ侵略」の著作を開始。
2017年 後半 親中派だったターンブル首相が方向転換。対中警戒へ。
11月 中国の報復を恐れた大手出版社が、「目に見えぬ侵略」の出版契約解除。このニュースが世界へ。
12月 書中で中国との癒着が指摘された上院議員辞職。中国の影響力を排除する各種法案成立。
2018年 2月 中小出版社が「目に見えぬ侵略」出版。
5月 外国人の政治介入を制限する法案成立。
6月 複数のスパイ・内政干渉防止法案と、中国の浸透を排除する「重要インフラ保安法」成立。
8月 ファーウェイとZTEの完全排除決定(世界で初めて)。
2019年 2月 元首相などの政治家に、莫大な額の闇献金をしていた黄向墨(書中で詳述)。永住権はく奪、国外追放、再入国禁止。
9月 中国人初の議員が、中国の対外工作機関に所属していたことを認める。
11月 オーストラリア保安情報機構(CIAやNSAに相当)の元長官が、組織的なスパイ活動と利益誘導によって、中国がオーストラリア政治体制の乗っ取りを企てていることを指摘。
2020年 6月 オーストラリアとインドが軍事協力協定。
7月 香港国家安全維持法の導入に伴って、香港と結んでいた犯罪人引き渡し条約停止。

それまでの首相と同じように、親中派だったターンブル首相。突然に方向転換した理由は、明確には説明されていない。情報機関からの警告や、南シナ海の問題が影響したと言われる。中国からの賄賂スキャンダルも、政権への批判を強めた。
ハミルトンの情報取集が、ターンブルの周辺にも及んでいた。ハミルトンの著作がまとめの段階に入り、本の内容が知られるようになったことが、心理的に大きなプレッシャーになったことは、間違いない。2018年8月に、ターンブルの後を継いだスコット・モリソン首相は、元の親中路線に戻らないことを明確にしている。

2020年7月に、イギリス政府が、5Gネットワークからファーウェイを完全に排除する決定を下した。中国共産党を代弁する環球時報が、イギリスへ報復することを主張。ファイブアイズ(諜報活動を締結している、アメリカ・イギリス・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド)の中で、イギリスはアメリカ・カナダ・オーストラリアよりもぜい弱(報復が容易)、と環球時報が指摘。ニュージーランドと共に最もぜい弱だったオーストラリアが、今では中国が認める対中国強硬派に属する。

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●アメリカ
2017年 1月 対中最強硬派のナバロが策定した対中戦略「ナバロ・ペーパー」を持って、トランプが大統領就任。
12月 「国家安全保障戦略」で中国とロシアを修正主義国家と認定。
2018年 1月 「国家防衛戦略」で防衛戦略策定。
3月 かつて日本たたきに使った「301条」を中国に発動。
4月 中国のZTEへチップセットの販売禁止。ZTE破たんの危機。それでも中国はまだ油断。西側の識者も、11月の中間選挙に向けたトランプのパフォーマンスと判断。
同月 ハミルトンがアメリカ連邦議会で証言(Clive Hamilton testimonyに映像)。
5月 第1回米中通商協議。アメリカが「枠組みの草案」提示。事実上の最後通告。多くの米高官が中国警戒論を次々に表明。議会と国民が対中国で一体化。対決姿勢が質的に変貌。だが、多くの識者がトランプ政権のハッタリと評価。それまでの判断を変えなかった。
6月 「国家防衛認可法」で防衛予算を81兆円に急増。
7月 中国に対して第1弾制裁関税発動。
8月 中国の宇宙・軍事関連企業44社へ輸出規制発動。戦線が全方位に拡大。しかし、中国も西側識者も、米中の相互依存は余りにも深く、対決はこの程度までと判断。
10月 ペンス副大統領が宣戦布告と捉えられる演説。
2020年 7月 南シナ海をめぐる中国の主張は完全に違法、と米政府が初めて公式に宣言。中国の主張を否定した、2016年7月の国際仲裁裁判所の判決を全面的に支持。この宣言は、アメリカの実力行使を正当化する伏線になる。日本がこの声明を支持。

中国も西側の多くの識者も、覇権を守る本能に突き動かされているアメリカを、ずっと誤解してきた(私が2018年に書いた「中国をつぶすアメリカの戦略」「アメリカの対中国全面攻撃」「中国の覇権奪取戦略」を参照)。日本人は、21世紀が日本の世紀にならなかった理由を、もう一度熟考する必要がある。覇権を死守する覚悟を決めたアメリカと中国の関係は、抜き差しのならないステージに入った。

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●台湾
2019年 3月 中国語訳「目に見えぬ侵略」の出版。
6月 世論調査で半数が独立を支持。
2020年 1月 蔡英文総統が台湾は独立国家と言明。
4月 アメリカで台湾の外交を支援する「台北法案」成立。
5月 蔡が総統選挙で圧勝し2期目入り。一国二制度による中台統一を改めて拒絶。
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以上の解析から、時代が「目に見えぬ侵略」の刊行を待っていた、と結論できる。中国の戦略が、次第に権威的・暴力的・拡張的・顕示的になるにつれ、他国の人々の深層心理に不安が芽生えた。それをどう表現すればいいのか分からなかったときに、代弁してくれるように思える、この本が出版された。中国警戒論が一気に吹き上がった。

ハミルトンが衝撃を受けた、チベット人への攻撃は「目に見える侵略」だった。チベット人だけではなく、一般オーストラリア人も罵声を浴び、殴られるなどの暴行を受けた。大学教授が、授業中に中国政府の公式見解に反する話をすると、中国人学生が教授をつるし上げた。謝罪をしない教授には、中国領事館からいろいろな圧力がかけられた。このような言論弾圧も「目に見える侵略」だ。

中国は、浸透すればするほど圧力を露骨に強化する。ハミルトンが、オーストラリアが台湾化・香港化・ チベット化・新疆ウイグル自治区化することを懸念しても、不思議ではない。

国際法も常識も他国の意見も無視し、南シナ海で強引に既成事実を作り上げる中国。アメリカの軍事力行使以外に、中国を止める手立てはない、という世論が現れるようになった。尖閣問題を考慮すると、アメリカを支持する以外に日本の選択肢はない。また、陰に陽に、法輪功、ウイグル人、チベット人、香港と台湾の人々を助けることが、日本を守ることにつながる。

<和戸川 純>

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