最後まで全力で生き抜いたラッキーは、2026年6月21日に亡くなった。多臓器不全で闘病中も、驚きと希望、それに夢をしばしば与えてくれたラッキー。愛犬を最後まで看取ることになる、他の飼い主の皆さんのお役に立ちたいと思い、3年間の治療経過を具体的にここに書くことにした。
2023年:多臓器不全で突然の発作、集中治療で緩解
多臓器不全の種類と使った治療薬
ラッキーは、2023年10月4日に13才7か月令だった(「バセンジーがやって来た」)。動きは活発で、わんこ仲間にラッキーの年令を言うと、皆さんが「若く見える」と驚いた。行動は敏捷でも、自然の摂理である高齢化に逆らうことはできなかった。何の前触れもなく発作が起きた。10月4日の夜に食べた物を全部吐いた。吐くのは犬ならば珍しいことではないが、その夜は痙攣の発作が併発した。
| 血液マーカー | リパーゼ(膵炎) | CRP(炎症) | 尿素窒素(腎不全) | クレアチニン(腎不全) | ALT(肝炎) | ALP(肝炎*) |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 2023年 10月5日 |
>300 | >7.0 | 43.4 | 1.34 | 353 | 422 |
| 10月13日 | 216 | 1.2 | 101 | 1.32 | >1000 | >1225 |
| 10月23日 | 41 | 0.5 | 85 | 538 | >1225 | |
| 11月3日 | >2.0 | 58 | 2.0 | 346 | 658 | |
| 12月1日 | 1.3 | 56 | 1.74 | 196 | 244 | |
| 2024年 6月7日 |
0.9 | 42 | 1.77 | 393 | 381 | |
| 12月6日 | 0.7 | 52 | 1.73 | 469 | 391 | |
| 2025年 2月28日 |
1.0 | 40 | 1.73 | 344 | 401 | |
| 8月8日 | 119 | 2.3 | 91 | 2.49 | 840 | 860 |
| 8月28日 | 100 | 3.66 | >1000 | >1225 | ||
| 10月12日 | 1.1 | 57 | 2.77 | 688 | 630 | |
| 2026年 1月16日 |
2.5 | 60 | 2.39 | 492 | 543 | |
| 5月14日 | 3.2 | 95 | 4.45 | >1000 | 1083 |
*ALPは肝炎特異的ではなく、高値ならば胆嚢炎、膵炎、ホルモン異常、骨疾患も疑われる。
足がふらついて歩行困難になり、10月5日の朝にペットクリニックへ連れて行くと、血液の化学検査によって膵炎と診断された。膵炎の特異マーカーであるリパーゼと、炎症マーカーのCRP(C反応性蛋白)の値が測定範囲を超えていて、膵臓に高度の炎症があることは明白だった。急性膵炎になると腹部に激しい痛みを感じ、吐き気がする。 肝炎マーカーのALT(アラニンアミノトランスフェラーゼ)とALP(アルカリフォスファターゼ)の値も高く、肝炎が併発していると診断された。それ以降、両マーカーの値は測定範囲を超えるなど、全期間を通して高く維持された。いつも元気一杯だったので、発症するまで最近は血液検査を受けていなかった。若かったときにやった検査では、全マーカーのうち、唯一ALPの値だけが正常範囲を超えていた。生涯を通して肝障害を抱えていた可能性がある。
尿素窒素の値は43.4と比較的高く、その後このレベルを超えることはあっても、低下することはなかった。クレアチニン値は1.34で正常の範囲にあり、この時点で、決定的と言えるほどの障害は腎臓にはなかったと思われる。
投与した治療薬
嘔吐抑制・食欲増進- セレニア:嘔吐中枢に働きかけて嘔吐の抑制と予防
- プレドニゾロン:炎症やアレルギーに使われるステロイド、食欲増進効果がある
- ビオイムバスター:乳酸菌と消化酵素を配合、整腸・消化効果で消化不良や下痢を改善
- リバフィット:肝臓の健康維持
- ウルソデオキシコール:肝機能改善で胆汁の流れが良くなる
- エンロクリア:尿路感染に対する抗菌効果
- FCV:ビタミンB群を配合した腎臓の健康維持サプリメント
- プロネフラ:腎臓の健康維持のための液体サプリメント
膵炎治療において最も大事なのは輸液の点滴だ。診断後すぐに、水分と電解質を補給する輸液の皮下点滴を行ない、嘔吐を止めるセレニアを皮下注射した。6日も皮下点滴とセレニア注射。プレドニゾロンとビオイムバスターに加えて、肝臓の治療薬であるリバフィットが処方された。13日に肝臓治療薬のウルソデオキシコールの追加処方。
初動の治療が功を奏して食欲も行動も回復
10月23日に、リパーゼとCRPは正常値になり、膵炎は落ち着いた。肝炎マーカーのALT値は10月13日に1000を超えたが、その後12月1日までに196へ低下した。
バセンジーは腎障害になりやすいと言われる犬種だ。しかも膵炎は腎炎を併発しやすい。11月3日に、それまでは正常の範囲にあったクレアチニン値が2.0になり、58に上昇した尿素窒素の値も考慮して、腎炎を併発していると確診された。同日にウルソデオキシコール、リバフィットに加えて、腎臓のサプリメントであるFCVとプロネフラが処方された。
この間、皮下点滴・薬物治療と食事療法を集中的に実施した。その甲斐があって、血液マーカーが改善しただけではなかった。約2週間後にラッキーは元気を取り戻し、食欲が回復した。行動は発症前よりも活発になった。私も妻も散歩で先を急ぐラッキーに引っ張られ、青息吐息の有様だった。マンションへ戻ると、疲れているはずのラッキーが、階段を4階まで駆け上がった。治療がラッキーを若返らせたように見えたので、私たち自身の若返りのために、ラッキーから治療薬を拝借してしまおうか、と私と妻は冗談を言い合った。
2024年:血液マーカーが安定して活動的な日々
10kmの散歩が可能
2023年末から2025年の序盤にかけて、血液マーカーは正常値よりも高い傾向を示したが、大きく上昇することはなく安定していた。食事は普通に取り、海岸沿いの公園を2時間以上かけて約10km歩くことが、珍しくなかった。ラッキーと家族が一緒になって、運動量の多い活動的な日々を過ごすことができた。
体調と血液マーカーが安定したので、2024年3月から、処方薬はウルソデオキシコール、リバフィット、プロネフラに絞り、最後の日までこれらの治療薬を継続投与した。
2025年:死からラッキーを救った再生医療と強制給餌
獣医師による余命宣告
2025年の中頃から、クレアチニン、尿素窒素、ALT、それにALPの値が上昇した。体内の変化が行動の変化になって表れた。長い散歩をしようとすると、ラッキーが抵抗する素振りを見せるようになった。それまでは、妻と2人で外出すると、留守番役のラッキーが、「フオオオーン」という風の音のような鳴き声を発して、不安の感情を表現した。この頃から、朝、私が階下の郵便受けにある新聞を取りに行くだけで、玄関まで出たラッキーが不安の表情を見せるようになった。
7月頃から体調が悪化し、虚脱状態になって、身じろぎもせずに横になったままになることがあった。8月8日に行なった血液検査で、クレアチニンと尿素窒素の値が大きく上昇していて、腎不全が深刻になっていることが分かった。クレアチニン値に基づく腎不全のステージは3なので、残存腎機能は10~25%と推定された。ステージ3の場合、100余日後の生存率は50%に下がり、500余日後にはゼロに近づく。尿素窒素だけを見るともっと深刻で、100日前に生存率が50%を切り、300日前にゼロに近くなると予測された。
8月8日に、腹部のエコー検査もやってもらった。腎臓と肝臓以外に、脾臓にも問題があることが分かった。脾臓が正常脾の1.5倍ほどに腫大していた。緊急処置として、治療薬の静脈内点滴と輸液の皮下点滴をやったが、これらがラッキーに強いストレスを与え、症状の悪化に輪をかけたと思われる。直後に体調がさらに悪化した。
腎臓と肝臓の機能が急速に減退していた8月中旬の頃、明らかに死の瀬戸際にいた。獣医師が、覚悟を決めるようにと私たちに言った。「余命」として残っている時間をどのように過ごさせるのかを、獣医師と話し合った。クリニックで皮下点滴を4回やったが、腎不全は治療で治る病気ではないので、ストレスをかけすぎる点滴を中止した。
食欲減退の原因と結果
代謝を担っている肝臓の機能低下は、意識の混濁によって嗜眠をもたらすことがある。腎不全においては、口中でアンモニア臭がするようになり、食べ物に不快感を感じるばかりではない。毒素によって胃腸の粘膜が傷つき、「これを食べると気分が悪くなる」という学習をしてしまう。慢性的な炎症が続くと、炎症性サイトカインが脳の食欲中枢に拒食サインを出す。体調は時間単位で変わる。体内毒素の量が少なかったときに食べた物は、その後も食べるが、多かったときに食べた物は、その後拒食するようになる。
食欲減退は急激で、それまで喜んでいた食べ物をほとんど口にしなくなった。犬用ソーセージが好みだったので、錠剤の治療薬をソーセージに入れて吞ませていたが、ソーセージを食べなくなってからは、薬を呑ませることが難しくなった。
腎不全だけではなく多臓器不全のラッキーが、長く生きるのは困難に思えたが、それから300日余も生き永らえた。人は体調が悪ければ寝込んでしまうが、犬はどれほど体調が悪くても、歩ける限りは最後の瞬間まで歩こうとする。ラッキーは犬に典型的な行動を最後まで取った。家族が懸命の努力で命を支えたが、それまでの運動量の多さによって作り上げられた体力と、ラッキーの生き続けようとする意志の強さが、延命に重要な役割を演じたと思われる。
最後の選択、幹細胞移植による実験的な再生治療
以前、私は自分の研究において幹細胞を考察する機会を得た。しかし、幹細胞をラッキーの治療に使うことができるかどうかまでは、考えたことがなかった。犬の治療に幹細胞が使われていることを指摘したのは、息子だった。足元がよろめいて歩行困難になり、治療薬の投与をできなくなったラッキーを見て、決断した。臨床研究の段階にある幹細胞移植(再生医療)を、ラッキーにやる検討をした。
血管、肝臓、腎臓、心筋などの多くの細胞に分化する幹細胞が、皮下脂肪の中に含まれている。それを患者の動物(患畜)から取り出して培養器内で培養し、患畜へ戻し投与をする(自家移植)。理論的には、機能不全の臓器(ラッキーの場合は腎臓、肝臓、脾臓など)へ幹細胞が入り込み、障害を受けた各臓器の細胞が再生する。今までの報告によると、椎間板ヘルニアや腎不全の犬に明瞭な治療効果があった。
自家移植の場合、皮下脂肪を採取する以外に、3回の静脈内点滴で幹細胞を投与することになっており、犬に大きなストレスを与える。さらに、まだ臨床研究の段階にあるので、病院によって幹細胞の培養技術に大きな差のあることが考えられる。
調べているうちに、DSファーマアニマルヘルスが、動物用細胞医薬品の承認を受けた、犬脂肪由来間葉系幹細胞のステムキュアを販売していることを知った。動物用再生医療品の製造販売承認は、本製品が世界で最初だった。ただし、承認されたのは犬の椎間板ヘルニアの治療だけだ。市販品なので、品質は保証されていると考えられた。
行きつけのクリニックでは再生医療をやっていなかったので、他のクリニックで、8月28日に、ステムキュアの静脈内点滴投与をやってもらった(他家移植)。治療費は20万円だった。この日にやった血液検査では、クレアチニン、尿素窒素、ALT、ALPの値が、20日前よりも大きく上昇していたので、明らかにこの再生医療が最後の望みになった。
ステムキュアの点滴投与に約2時間かかり、ストレスが大きかったことが病状を悪化させ、29~31日にかけて、やっと生きているという状態になった。身じろぎもせずに横たわったラッキーの胸に手を当て、心臓の鼓動を確認することを、何度もやった。幹細胞移植の結果がどれほど良くても、2回も投与できないことは明らかだった。
命を救った食べ物ペーストの強制給餌
栄養と薬を取らなければ命が危ういと思われた。9月1日に、薬を混ぜた食べ物をミキサーでペースト状にし、妻と協力してシリンジで経口強制給餌を行なった。それまで、自己主張が強烈なバセンジーのラッキーに強制給餌をできるとは思っていなかったが、そんなことを言ってはいられなかった。強制給餌の効果は抜群だった。夜に突然に硬いガムを食べた。 強制給餌が自力摂取の呼び水になり、好きな物ならば自分で食べるようになった。食欲と体力が、すぐに回復する兆候を示した。多飲多尿が改善され、食欲と体力が増したので、散歩の距離を少しずつ長くした。
10月12日の血液検査で、尿素窒素、クレアチニン、ALT、それにALPの値が大きく改善しているのが分かった。ここまで改善が見られたということは、強制給餌が助けになったばかりではなく、幹細胞による再生医療が、多臓器不全の治療法として有効なことを示唆している。
10月に、耳の激しいかゆみによる異常行動が現れた。頭を振りながら走ったり、逆に脱力状態になったりした。オトスコープで耳の中を見ると、耳垢がたまっていた。皮下点滴と皮下注射を行なったが改善は認められず、耳道洗浄剤のエピオティックで洗浄を試みた。ところが、この耳道洗浄はラッキーのストレスを極限にまで高め、直後に激しく走り回る異常行動を取った。エピオティックの使用は止めた。 ラッキーは以前からアトピー性皮膚炎の問題を抱えていて、治療薬のアポキルを使うことがあった。このアポキルが、耳の症状を少しやわらげた。耳の周辺をもむことも症状の改善に貢献し、妻と私は手がつかれて痛くなるまで、ラッキーの頭部をもみ続けた。耳を中心にしたこの激しいかゆみは、多臓器不全が進行するにつれて減少し、死の2~3週間前にはかゆみは問題にならなくなった。
獣医師による余命宣告があったにもかかわらず、ラッキーは驚くような回復を見せた。散歩で距離を稼げるようになったばかりではなく、歩くスピードが速くなった。丸い尾をぴんと立てて加速するラッキーと歩くのは大変だったが、私は無上の喜びを感じた。
2026年:最後の日の奇跡
小康状態で希望を持った日々
3月8日にラッキーは16才になった(人の年令換算で80才弱)。治療薬を混ぜた食べ物ペーストのシリンジ強制給餌と、好きな食べ物を口で食べさせる自力摂取の組み合わせで、食事をさせた。 病状を悪化させる通院のストレスは最小限にし、散歩は欠かさないようにした。気が向けば7~8kmを歩き、途中で走ることがあった。特に、帰省した息子と走るのが好きだった。階段を降りるときに、最後の段を飛び超えて妻を心配させた。それを元気の表象と捉えた私には、うれしい行動だった。一度死んだはずの命がまだ生き続けているのを見ると、とても幸せで、病犬の飼育の苦労を忘れた。あと3年余生きれば人換算で100才になる。それまで頑張ろう、という意欲が湧いた。
体調悪化が変えたラッキーの行動
家族とラッキーがどれほど努力をしても、深く潜伏した多臓器不全と高齢化に勝つことはできなかった。1月の検査では著変がなかったが、3~4月頃にクレアチニンと尿素窒素、さらにALTとALPの値の上昇に加速がついた。5月14日の最後の検査で、ほとんどの値が最高値を更新した。
体力が落ちたこの頃から、とても甘えん坊になった。元気だった頃は、夜はひとりでソファに寝るのが普通だったが、ベッドへ行って私の横で寝るのを好むようになった。午後9時頃がラッキーの就寝時刻で、ラッキーはその頃私をベッドへ誘った。就寝するには早すぎたが、ラッキーの誘いに抵抗できなかった。誘う方法は、玄関へ歩いたり(寝室は玄関の横)、歯を磨いている私がいる洗面所へ入ったりする、ということだった。 自己主張が強いばかりか、足が長いラッキーは、窮屈な拘束になるので、抱かれることを嫌っていた。ところが、この頃から抱かれることをいやがらなくなった。最後の1か月ほどは、散歩に出るときに、階段の上り降りで妻に抱かれるのを喜ぶようになった。
4月頃から運動量が落ちた。特に散歩の初めに歩みが遅くなり、立ち止まって抵抗するようになった。それでも少し歩いていると、帰宅路で積極的な歩行に変わった。長男が「車で遠くへ連れて行って帰りに歩かせれば」と、冗談半分の提案をした。ゴールデンウイークには帰省した息子たちと少し走った。
偏食と拒食に対する努力の全貌
食べ物の問題はずっと尾を引いた。腎臓病用療法食を自力摂取するならば何も問題はなかったが、何でも食べる完全な自力摂取は、2025月7月で終わった。犬が好むとされる、ジャーキー、ムース、ピューレ、缶詰、干し肉、生肉、犬用ケーキ、犬用ヨーグルト、ビスケットなどをアマゾンで注文した。息子がおみやげとしていろいろな犬用食べ物を買ってきた。食べる物よりも捨てる物のほうが多かったが、自力摂取できる食べ物を探す方法は、他になかった。たまに喜んで食べる物が見つかると、爆買いをしたが、それが家に到着する頃には食べなくなり、捨てることが多かった。
最後の1か月ほどの間に自力摂取で間欠的に食べた物(1日の最大量)- 馬肉ソフトビッツ:40g入りのパック2~3個
- ペディグリー缶詰ビーフ&緑黄色野菜13才以上用(小さいときに子犬用から始まった):400g缶の約半分
- チキン(むね肉ではなく柔らかい手羽):4~5本
- 魚(焼いても肉が柔らかいあじなど):1匹
- 人用ヨーグルト
食べたい意欲は最後まで残っていて、キッチンへしばしば足を運んだ。消化器系統の臓器の機能が落ちていたので、強制給餌と自力摂取を組み合わせても、少ないエネルギーしか体内へ入れられなかった。飢餓状態のからだ中の細胞が、エネルギー摂取を望んでいるように見えた。上記の食べ物をがつがつと夢中になって食べる「瞬間」があったが、すぐに食べることを止めてしまい、皿に残った食べ物に目を向けなくなった。食べることができなくなってしまうラッキーを見ていると、胸がきりきりと痛んだ。 何日か食べ続けているうちに体調が悪化し、そのときに食べていた物を嫌いになるが、1~2週間後に前の記憶が薄れて再度挑戦する、というサイクルの存在を思わせた。同じ物を継続して食べないので、間を置いてかわるがわる食べさせた。
食欲増進に効果があると言われる、ステロイド、ミルタザピン(抗ヒスタミン作用)、エンタイス(空腹ホルモン作用)を試しに使ったが、どれにも食欲増進作用は認められなかった。
下痢に近い軟便が長く続くことがあった。いろいろな胃腸薬を試したが、効果はなかった。ところが、4月から使い始めたビオイムバスター(犬用ビオフェルミン)が著効を示し、最後の日の前日の下痢を除いて、ほぼ正常な排便をした。消化についてはこれが私に安心感を与えた。
シリンジによる強制給餌は1日に2回行なっていたが、自力摂取で食べる量が少なくなるのに合わせて、回数を増やした。最後の3週間ほどは1日に4回になった。妻と私は大変だったが、自分の意思に反して強制的に給餌されるので、ラッキーのほうが間違いなくもっと大変だった。腎臓病用療法食の缶詰やムースだけではなく、ラッキーが好んでいたピューレを味付けとしてペーストに加えたが、そんなだましは効かなかった。飲み込む力が弱くなるにつれて、ペーストに加える水の量を増やした。口に入れる1口1口の量も減らしたが、それでも口から出てしまうペーストの量が増えた。
最後の最後まで続けた延命のための努力
5月19日の夜の2時頃に、からだが激しく痙攣し、前足が硬直すると同時に、大声で悲鳴をあげた。それが20~30分継続したが、妻と私にできるのは、抱いてなでるのと同時に、舌をかまないように注意することだけだった。その発作の後に、2~3時間室内を激しく歩き回った。翌朝にクリニックでエピレスを処方してもらった。その治療薬の効果は抜群で、以後、発作が起きることはなかった。
6月11日の受診後に、クリニックの周囲を予想以上の速さで、予想以上の距離を歩いた。「散歩のために毎日クリニックへ連れてこようか」と、私が妻に冗談を言った。
強制給餌のあとで、褒美として好みの馬肉ソフトビッツをあげた。6月16日くらいまで、上記のリストの好みの食べ物を、食欲が出る夜の7~8時にあげると、意欲的に食べることがあった。
最後の3週間ほどの体重減少は急激で、肩と腰の筋肉が急速に失われるのが、見ていて分かった。散歩の距離が極端に短くなった。
ソファにもベッドにもジャンプをできなくなったので、床にマットレスを敷いてラッキーの寝床にした。眠りが浅い妻にはラッキーの夜の面倒を見ることはできず、私がラッキーに添い寝をした。歩行がふらつくラッキーを寝床に乗せても、ぐるぐる回ったり、立ったままで動かなくなるので、横にして寝かせるまでに時間がかかった。 居間に置いた水飲み器からは水を全く飲まなくなった。排尿と水飲みは、トイレフレームとバケツが置いてあるバルコニーで、最後までやった。始末がいい犬だった。外で排便をするために就寝前に外出することを、最後まで望んだ。排便も排尿も1回1回の量が少なくなり、その分回数が増えた。就寝後は、夜の0、3、5、7時頃にふらつきながらバルコニーへ出て、排尿や水飲みをすることを試みた。けれども、なかなか目的を達成できずに同じところをぐるぐる回った。飲料用のバケツの水は、水道から入れたばかりのものを好んだので、水を飲みそうになると浴室へ走り、バケツにぎりぎりいっぱいまで水を入れて、ラッキーの目前に置いた。排泄をし、水を飲むのを見ると、真夜中の大変な作業が報われて、とても幸せな気持ちになった。
6月18日が最後の受診日になった。クリニックの周囲を前回のように歩くことはなかった。夕方に、食べたペーストを室内で初めて吐き、そのときに排泄した軟便に血が混じった。バルコニーへ行くことができなかったラッキーに、「いいんだよ。いいんだよ」と言ってなぐさめた。その夜、自宅で皮下点滴をやった。就寝中に、横になったままのラッキーが足を激しく動かしたので、抱いて動きを止めた。
それまでは暗いほうがよく眠れるだろうと考え、暗い部屋で昼寝をさせるようにしていた。妻と私が見えると安心するかもしれないと考えた妻が、19日に、日が良く当たる居間の窓の下に、昼寝のための寝床を作った。その寝床でラッキーは静かに昼寝をした。この日に、最後の散歩をした。以前は10kmを歩くことができるラッキーだったが、階段の降り口まで、往復50mほどをふらふらと歩く散歩になった。私は、自力で歩こうと努力するラッキーのサポート役に徹した。その日は、飲み込みやすいように薄めたペーストを給餌した。皮下点滴は継続した。
奇跡としか思えない亡くなる前夜の家族団らん
翌日が父の日だったこともあって、6月20日土曜日の午後4過ぎに、次男と長男が相次いで帰省した。集まった家族全員を寝床から見るラッキーは静かだった。夜に、皆が交代でラッキーを抱いた。私が抱いたとき、ラッキーは両目を見開いて私をしっかりと凝視した(写真7の右下の写真)。そのときは、ラッキーはもう少しの間生き続ける、と誰もが思った。
21日の朝の4時頃、私がトイレに起き、ラッキーが寝たときの姿勢のままで横たわっているのを、確認した。呼吸は静かで正常に思え、それまでのような夜の行動がなく、朝まで安眠したことに安堵した。私はキッチンで水を飲み、のどが渇いているはずのラッキーにも、1mlほどの水をシリンジで口にたらした。シリンジの先端が口に触れるとラッキーは反応した。それまでに、横になったラッキーの口に水を垂らすことはなかった。最初で最後のシリンジ給水が、偶然にも死に水になった。7時過ぎに私が起き、ラッキーに触れると、呼吸が止まっているのが分かった。心臓も止まっていた。からだはまだ温かかった。家族を大声で呼んだ。
最後に、奇跡に近いことが起こったのだ。亡くなる前の晩に家族全員が揃い、全員がラッキーを抱いただけではなく、私は最後に死に水まで与えた。ラッキーは眠るように亡くなった。
バセンジーの平均寿命は約14.1才なので、多臓器不全という問題を抱えながら、16才3か月令まで生きたことは、驚異的と言える。獣医師による余命宣告からは10か月で、この月数は人の約4年に相当する。大勢いた遊び友たちのほとんどが既に亡くなっていて、散歩で遭遇することはない。一番重かったときに13kgあった体重が、最後は9kgに減少したが、毛並みは最後まで美しく、多臓器不全と高齢化の影響はほとんどなかった。 最後の最後まで、予想外の行動をするラッキーから多くのことを学んだ。からだは小さかったが、その存在感は宇宙よりも大きかった。永遠に忘れることのない思い出を、たくさん作ってくれたラッキー。ありがとう。